サッカーとの出会いから

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(第2回)

1964年の秋、東京で開催されたオリンピックの時が、私がサッカーという競技を初めて見る機会になりました。
テレビでももちろん、生で見るのも初めてという機会がオリンピックという国際試合だったのも何かの巡り合わせかもしれませんでした。
数十年たった私の周辺のサッカーの話題は、日本代表の国際試合の奮闘ぶりが多くを占めているのですから。

正確には覚えていませんが、駒沢陸上競技場で行われたこのときの試合はハンガリーとどこかの国であったと思います。
どちらが何点入れて勝ったのかすら記憶にありません。
ただ、明確に覚えているのは、「選手がしょっちゅうグラウンドに倒れること」、「相手の足を蹴っているように見える」ことだけでした。

話に聞くサッカーというスポーツは、相手に蹴られることが多く、グラウンドに倒されることも多い。
そんな「野蛮な」スポーツなのだ。

そんな第一印象をもったサッカーとの初対面でした。

小学校5年の幼い私には、毎日放課後にランドセルを置いてすぐに野球をすることだけが、
「スポーツ」のすべてだったのかもしれません。

しかし、この東京オリンピックの機会を通じて、「真の」国際スポーツを見る体験をし、視野を実際に大きく広げた人間が、私の身近にいました。

私より11歳年長の長兄でした。

かなり年長の兄でしたので、子供の私もよくいろいろなところについて回りましたし、兄も渋谷や秋葉原に私を連れて行ってくれていました。
電機工学の学生だった兄は電気部品を探すために秋葉原へは都電を使ってよく行っていました。
私も万世橋にある「交通博物館」がある秋葉原には楽しみもありましたし、珍しい電機部品の店が雑居してる町も興味をそそりました。
その上、渋谷から「都電」に乗って行く、その道すじも景色も大好きでした。


そして、オリンピックの翌年からは兄が連れて行ってくれる場所が新しく増えました。

わが国最初の全国リーグ競技として、このころスタートした日本サッカーリーグの試合でした。

幸いにも、駒沢オリンピック公園にある競技場はリーグの常設会場として使用されており、
私の家から歩いて10分の距離にあったのです。


つづく

東京オリンピック

(第1回)


1964年東京でオリンピックが開催されました。

日本中が高度成長期と呼ばれている時期、私たち小学生にもいろいろな形で繁栄の「おさがり」が感じられていました。(もちろん後で思えば)

オリンピック開催の2年ほど前から、記念の切手や硬貨が発売になったり、菓子やジュースなどで記念の商品やおまけ付きキャンペーンが花盛りで、それこそ学校で使うような文房具にも様々な形でオリンピック記念のグッズが出揃いました。
特に東京の子供たちにとっては、そんな日本中の狂騒だけでなく同時に準備の槌音も日常的に耳にしていた時期でもあったのです。
結果的に90数カ国が参加するわけですが、私たち小学校中学年の生徒は地理の時間にそれらの国々の国名、首都の名前、国旗などを覚えさせられていました。
合計20種類の競技がオリンピック種目でしたが、もちろん見たことも聞いたこともない競技も体育の時間にレクチャーされたこともありました。

われら野球少年たちも「なぜオリンピックに野球はないのか」などの疑問を挟むことを考えることすらなく、あの世間の「お祭り騒ぎ」のムードに一緒になって酔わされていたのかもしれません。


さらに私の住んでいた地区では駒沢球場があっと言う間に取り壊されその周辺の遊び場にダンプや工事用のクルマがどんどん侵入してきたことに、複雑な気持ちになっていたことを覚えています。
駒沢はその後オリンピック競技場エリアになり、多くの種目をオリンピック公園で行うことになります。

1964年の開催の年に私は小学校5年生になりました。
秋に開催されるオリンピックの準備も進み、首都高も新幹線も完成が間近です。
目黒世田谷のような郊外のような区域でも道路や鉄道などの整備も町並みもすっかり変わりました。

東京都の計らいで、東京都内の小学生にオリンピックを生で見せてあげようということになり、我が小学校でも高学年(5.6年生)にかなりの枚数の権利が通達されたのです。多分、都内でも競技場に近い位置にある小学校が優先されたのだとは思いますが、私のいたクラスでは2.3人を除いて全員が何らかの競技を見に行ける確率だったのです。

私は見栄っ張りでした。カッコつけでした。
見られる競技は馬術と閉会式とフェンシングだったとおもいます。
「そんなの見たくないから」とでも言えば子供らしい意地の張り方ですけど・・・。
結果として自ら辞退して、全体の倍率を下げました。

せっかく一生に一度しかないであろうチャンスを自ら棒に振ってしまった後は、後悔もしていたとは思いますが、その後悔もあまり長くはつづかなかったと思います。
なぜなら、多分一ヶ月もたたない内に職員室に呼ばれ、こう言われたからです。女子生徒も一人いました。
「クラスでおまえら二人だけがオリンピック見られない、のもなんだから何とか行けるようにした。」という主旨の話だったと思います。
「でも、みんなと一緒じゃないけどな」多分他の学校の「はずれた子達」といっしょになるのだとも言いました。

「で、サッカーだよ、見るのは。駒沢で」

これが、私がサッカーというスポーツに出会う、その半年ほど前の出来事です。

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