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記憶は定かではありませんが、私の一番上の兄とは随分何度も都電に乗って出かけました。 その兄とは一回りも年齢がちがうので、私が10歳としても兄は大の学生のころです。 電気関係を専攻していた兄は、秋葉原の電気部品街に行くのに 小学生の弟を連れて路面電車に乗って出かけてくれたのです。 その兄の影響もあって「鉄道好き」になったのは間違いないのですが、 その頃は秋葉原の電気部品店の狭苦しい店構えも珍しくて好きでしたし、 都電の電車の中で一番前に立って運転士さんと同じ景色、町並みを眺めているのが大好きでした。 目が離せない幼い弟を連れて、同じように立ち続けた大学生の兄もよく我慢してくれたものです。 その何度かの「秋葉原行き」のうち、5回に1回くらいの目的は 万世橋の交通博物館にありました。 渋谷から出る東京都電の路線番号10番は渋谷から須田町へ行きます、 宮益坂を登って青山通りに入ると 青山1丁目、赤坂見附、皇居に沿って祝田橋から、九段を通って、神田岩本町から須田町に向かいます。 この路線は当時ドル箱路線だったようで、渋谷で待っていると次から次に電車が来ていました。 コースの中では、特に広い青山通りが大好きで、窓から見える自動車の数も多くて、 しかも途中に神宮前の人ごみや神宮絵画館に向かう並木道が記憶に残っています。 九段坂上に向かっている目の前には正面に靖国神社の大きな鳥居も見えますし、 神田・お茶の水界隈に走りこめば、今度は古本屋さんが並ぶ一角も通りすぎます。 そして、万世橋と「肉の万世」の看板が見えてくると、もう秋葉原の駅に着きます。 この「都内見学」のようなコースが大好きでした。 距離、経路から見ても渋谷から1時間以上はかかったと思いますが、 私は退屈になる間もなく、一心不乱に都電の前から外を眺めている子供でした。 都電はクルマよりもトラックよりもバスよりもスピードが遅い乗り物です。 後年、この都電もほとんど姿を消すことになりますが、 いまではクルマですし詰めになってしまった青山通りを見るたびに 何となく淋しく、懐かしく、悲しい気持ちになってきます。
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鉄おじさん
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東京の地下鉄「銀座線」は日本で一番古い地下鉄道です。 昭和9年には開通していましたが、同じ頃に渋谷の東横百貨店(いまの東急百貨店)が開業し、 私の父もちょうどその年から百貨店の宣伝部に勤務していました。 そういう部署に勤めていましたので、子供のころから父の勤務先に呼び出されたりして、 渋谷にある映画館で洋画を見せてもらったりしていました。 そして地下鉄です。 子供心に思ったのは「何故地下鉄なのに階段を登って、改札に向かっていくのだろう?」 ご存知のように銀座線の渋谷駅は地上3階にあるのです。 始めはデパートの3階から出発して、青山通りに向かう途中から地下に入っていきます。 文字通り「渋谷」という谷から、「青山」という丘を中腹から潜っていくような感じです。 昭和30年代のメトロは非常に走行音がうるさくて、殆んど会話も出来ないような状態でしたし、 充電の関係なのでしょうか、駅に着く直前に室内の照明が一瞬消えてしまうのです。 真っ暗な土の下で真っ暗闇になってしまう恐怖を駅ごとに味わうのですが、 子供ながらそれほど怖くは無かったことを覚えています。 もちろん一瞬のことでしたので、かえって面白がっていたような気がします。 非常に騒々しいのでスピード感はありましたが、今思うとせいぜい40km/hくらいの速度だったのでしょう。 その銀座線とその地下の駅などががこのほど「東京の土木遺産」に決まったそうです。 「地下鉄の電車は何処から入れるんでしょうか?」なんて言う漫才ネタも流行りましたね。 不思議な建造物、地下鉄です。 もう一瞬の停電もありませんし、エアコンの普及により窓も開けなくなりましたので、 通常の電車のように静かな車内になってきました。 そして「東京メトロ」も今では近代的な都市交通として数多くの路線を数えるようになりましたが、 相変わらず「銀座線」はデパートの3階から発車しています。
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最近初めて意識するようになったものですが、 「Bトレイン・ショーティー」という鉄道模型があります。 ごらんのように、少し「寸足らず」の小さなサイズになっています。 鉄道模型の「写実性」とおもちゃとしての「キュート」さが印象的です。 しかも、軌道(レール)の幅はきちんと9mm(Nゲージ)に作られていて、 ちゃんと車輪さえ付ければ、私の持っている線路の上も走らすことが出来るそうです。 小さい(短い)ので、テーブルの上などの「ミニレイアウト」にもピッタリですね。 それが手頃な価格で、近所の私鉄などもサービスの一環として自社のモデルを作っていて、 販促品として販売しているのです。 私の最寄の「阪急電車」でも、駅のサービスセンターで \2,200で売っています。 ま、一度買って組み立ててみます。
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子供のころ、親戚の家が沿線にありましたので、 我が家から東横線で渋谷まで行って、そして乗り継いで行くのが 「井の頭線(いのがしらせん)」でした。 高校生のころからのガールフレンドが住んでいたのもこの沿線でした。 渋谷から下北沢を通って吉祥寺までの、 いまではトレンディな町と走る抜ける車両は いつのころからか「いろいろなをアクセントにした」車両に変わっていって、 今では5種類の「同じデザインで別々の色」という特徴的なコンセプトを継続しています。 鉄夫クンには眼が離せない被写体になっています。 その「井の頭線」に新しい車両がデビューしたそうです。 あの殺人的なラッシュと都内最悪とも言える「痴漢の多さ」で当時話題になっていた路線も これからは更に人口増加の地域を走るいろいろな問題を抱えて走っていくのでしょう。
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昔は「国電」と言っていました。 ウチのおやじは「省線」と呼んでいました。 その後「JR」になり、ひと頃は「E電」などと呼ぼうとしてましたけど、根付かず。 一番身近だったのは「緑色の山手線」そして後楽園球場や秋葉原に行く「黄色い総武線」 それ以外にも「オレンジ色の中央線」「ブルーの京浜東北線」「ちょっと変わったコバルトブルーの常磐線」。 子供のころ東京中を駆け回って5色の電車の写真を撮りに行って、現像に出したら 当時は当たり前の「白黒フィルム」だった、なんてこともありました。 デザインが一緒なので、色違いがなければ「つまらない写真」そのものでした。 それから40年も経つと、JR東日本の東京近郊電車たちもかなり様変わりしているようです。 なにしろ、路線自体が増えています。 以前はローカル線風のチョコレート色の木造の車輌だった「南武線」も「横浜線」も、 貨物用の線路たっだ「根岸線」も「品鶴線(現横須賀線)」「山手貨物(現埼京線)」も、 そして新設路線の「武蔵野線」「京葉線」。 さらには「八王子線」「青梅線」もすっかり通勤用の新型電車の「仲間入り」です。 今やステンレスにイメージカラーのラインを施した「都会的な」電車たちに変わって来ています。 長いこと東京を離れていた私にとって、とくにここ数年の変化が著しくて、 しかも私鉄も地下鉄も含めるとまだお目にかかってない車輌もいくつかあります。 一度お会いしたいものです。
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