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コメントをいただいた方がこの記事に深い意味を感じられたようなので、
僕も読み直しました。
稲田さんの言葉には、常に深い意味が込められていたように思います。
最近、つとに思うこと…
2010-09-27
近況をネットに書いたり、ラジオで話したりしたところ、
あちこちからメールや電話が相次いだ。
その多くは、ぼくの病状を心配してくれたお見舞いや激励だったが、
なかには「裏切り行為」とか「余命はあと○○」などというものもあった。
どうやらそれぞれが、さまざまな霊的な力?を使って探ってみてくれたらしい。
いまの医学では、末期ガンというだけで、すぐに余命を連想するようだ。
それもまぁ、仕方のないことだと思う。
「ガンは恐ろしい悪魔のようなもの」というどうしようもない「ガン呪縛」に、
骨の髄の髄まで犯されているからである。
さらに、「あなたのガンは、○○したことが原因だ」と決めつけてくる者もいた。
その人の直感(霊感?)では、あるいはそうなのかもしれない。
そういう人は、自分の感覚(霊力?)を無条件で絶対化している。
みんなが同じようなことを言ってきたのなら参考にもしたいところだが、
それぞれがみな違ったことを、絶対的な確信のにもと言ってくるとなると、
さて、いったいどれが真実なんだろうとそれぞれを疑ってみたくもなる。
「あなたのガンは、○○したことが原因だ」と断定されてしまうとき、
ぼくは旧約聖書の「ヨブ記」のことを思い出す。
幸せだっらヨブが、突然、地獄のようなひどい不幸に見舞われたとき、
3人の親友がヨブを訪ねて、不幸のその原因について断定的に指摘した。
それは、親切心からのアドバイスだった。
しかし真実は、全く違うところにあった。
聖書によれば、神がサタンに、ヨブを苦しめることを許可していたのだ。
いかに苦しめても、試練を与えてもヨブは大丈夫という、絶対的な信頼がそこにはあった。
一般的に、正しい者は幸せにして健康であるはず…という単純なものの見方がある。
つまり、仕事を失って貧乏だったり、病気になる者は、正しくないと暗に思っている。
しかし、本当にそうなのだろうか。
少なくてもヨブ記の場合は、不幸の背後にも神の恩寵があることを示唆している。
実際ぼく自身、これまでの人生で「一見不幸」の中に素晴らしい恵みが芽生えていたことを、
身をもって何度も何度も体験することができた。
だからこそ、何があっても平気、あるいは、すべての出来事に深い意味があると、
心の底から思えるようになったのであった。
さて、『されど、ガン完治への旅』を執筆したいと思い、少し書き始めた。
しかし、なかなか思うようにははかどっていかない。
そうこうするうちに、世の中の動きに対してどんどん関心が湧いてきて、
ガンの話ではなく、全く別のテーマで、あちこちに書くようになった。
これはあるいは、本番のためのウォーミングアップなのかもしれない。
すべてのことに意味がある。
だからいまは、思いのまま、自然体で行動するようにしようと思っている。
つい先日も、「村木事件に対する検察の犯罪」について、少し思うことを書いた。
本当は、こんなことを書いても大丈夫かな?という躊躇もあったのだったが、
「いまこそ書いておかなければ」という思いが強くなったことにも意味があると考え、
その思いを大事にするかたちで「検察&マスコミ批判」を書いてみたのである。
そう、ぼくが「権力とマスコミによる情報支配=ガン呪縛」を強調するのにはワケがある。
決して、薄っぺらな感覚や直感や一般論などで、ものを言ってきたのではない。
それは、遠い昔に、実際にひどい体験をさせられたことがあったからである。
その体験については以下に書いたので、お読みいただければ幸いである。
★冤罪の寸前で脱出できた「クーデター首謀者?」の体験記
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/801.html
★許すまじ。検察とマスコミが作り出す冤罪&権力犯罪
http://www.asyura2.com/10/senkyo96/msg/130.html
「阿修羅」ではペンネームで書いたものを、ここで実名で紹介するのはどうかとも思った。
こんなことをしたら、ますますさまざま攻撃や嫌がらせを受けるかもしれないからだ。
しかし、昨今の動き(現象)を見ていると、波動周波数が変わったようにも感じられる。
それだけ人々の意識と感覚に、大きな変調が起きてきたということであろう。
いま、まぎれもなく、地球と人類史に、はっきりと根源的な変化が現れている。
ある詩人(高橋元吉)の詩ではないが、
崩れるものは崩れ
流れ猿ものは流れ去り
さうして山は いよいよ美しくなる
といったプロセスに、いまや入ってきたような気がする。
それだけに、思うことを自然体で吐き出して、身も心も自由にしていきたいと思う。
「阿修羅」では「冤罪」のことを書いたが、これは権力による犯罪である。
その意味では権力とマスコミによる「ガン呪縛」も、一種の犯罪的な支配であり、
さらに言えば、現代医学のガン治療は、法によって守られた合法的殺人とすら言える。
今回のぼくの骨折入院は、現代医学のガン観からすれば末期状態であり、
だからこそ、いろんな方々が余命を気にし、「原因はこうこうだ」と断定するのだろう。
しかし、ぼくはそうしたガン観が、そもそも根本からおかしいと思っている。
それだけに、やっぱり『されど、ガン完治への旅』を全うしなければと思う。
そうしてこそ「ガン呪縛」を真に解き、多くのガン患者に希望が示せるであろう。
そのためには、目に見えない潜象の世界のことにも触れなければならないが、
そのことにも、また意味があるというものであろう。
というのも、潜象の働きはともすればオカルトまがいの話にもなり、
目に見えない世界のことを語ったり、そのパワーを少しでも発揮する者は、
とかく自己陶酔に陥って」、悲しいことに自己絶対化しがちだ。
実際、多くの方々が、どこか教祖然として、そのごとく振る舞っているように見える。
それだけに、ぼくはそれを「他山の石」として、絶えず自戒しながら、
事象を宗教然としたものではなく、あくまでも天然の「潜象物理」を極めていきたい。
考えてみたら、7月からすでに3ヶ月近くもベッド生活をしてきた。
そんななか、宇宙、生命、意識、感覚、感情、魂等々の深いつながりが、
しだいにクリアに感じられるようになってきた。
いま世の中で起こっている社会現象に対して、さまざまな感情が湧き出すのは、
深い根源的なところで、それと自己との関わりがまぎれもなくあるからだ。
何かの現象に、不安を覚えたり、恐れを抱いたり、憤りを感じたり、
同情的になったり、涙を流したり、慈しみがわき出してきたりするのは、
人類史が綴った宇宙の記憶(アカシックレコード)と自己とが微妙に共鳴するからで、
そのこと自体が、宇宙と自己(小宇宙)の一体感をシンボライズしている。
その意味で、ヒューレン博士のホ・オポノポノではないが、
いま世の中で起こっているすべての社会現象に対して、責任が感じられてくる。
だからこそ、「ごめんね。ゆるして。ありがとう。愛してる」…と、
絶えず言い続けなければならないのだと思っている。
「阿修羅」に書いた「冤罪すれすれ体験」も「マスメディアへの疑念」も、
その当時は、すっかり感情が先行して自己を支配していたように思う。
しかし時間が経ち、ものごとの本質が少しでも分かりかけてくると、
そんな体験をさせてもらったことの、ありがたさと意味が感じられてくる。
どんな体験にも、意味のないものはひとつもない。
それどころか、一見不幸、不条理、悲劇と思えた出来事の中に、実は宝物があった。
人間が、その人生を通して、結実・結晶化させるべきものとは何だろうか?
そのことをとことん突き詰めてみるとき、見えてくるものがある。
ぼくの場合は、悲劇的に思える体験の中から、なぜか深い意味が見えてきた。
しょうがない因果の人生〈笑〉…だと思う。それでいいのだ、とも思う。
それぞれの人生には、それぞれの宿題(課題・役割)があるのだから、
潔くすべてを受け止め、自らの、自分ならではの人生を全うしていくだけだ。
人間の、幸不幸、正邪を図る物差しはひとつではない。
だから「自分の尺度」をもって他者や世の中を判断・評価してしまったり、
しかも、その物差しを絶対化するのは、やっぱり慎むべきだろう。
アリにはアリの物差しと時空があり、ゾウにはゾウの物差しと時空…。
さらに、彼には彼の、彼女には彼女の、それぞれの物差しと時空があっていい。
カタカムナ的に言えば、トキ・トコロはそれぞれのものだ。
でありながら、すべての生命と個性、そして天然宇宙はひとつである。
なにげなく書き出したこの書き込み、
いつのまにか、どうやらおかしな方向に旅をしてしまったようだ〈笑〉。
そろそろ空が白んできて、今日も新しい一日が始まる。
すべての方々に、今日もベストの時空がもたらされますように…。
稲田芳弘
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う〜ん!いいお話ですね、読み終わったあとに清々しさが残り、内容にも深〜い愛が感じられました。
本当に惜しい人を亡くしました。ご冥福をお祈り致します。
2011/1/15(土) 午前 0:29 [ eijirou03 ]
eijirou03さん、今晩は。
稲田芳弘さんは本当に魅力的な方でしたよ。
亡くなられたのは残念ですが、僕自身、色んな方々との繋がりもできてきて、ますます頑張ろう!と言う気持ちでいます。
2011/1/16(日) 午前 2:11 [ つかさ ]
素晴らしい内容ですね。
>一般的に、正しい者は幸せにして健康であるはず…という単純なものの見方がある。
つまり、仕事を失って貧乏だったり、病気になる者は、正しくないと暗に思っている。
しかし、本当にそうなのだろうか。
この言葉に深く共感します。病気やその他の試練で長く苦しんだ後に、
それによって多くを学べる事に気づけます。
2011/1/16(日) 午前 11:26
なちゅさん、お早うございます。
はい、僕もそう思います。確かに病気など、その時は辛いし大変な事ですが、そういう困難(試練)から逃げずにしっかり向き合う事ができた時、かけがえのない財産になるように思います。
18日付けの稲田さんの奥さんの記事にあるように、そういう事(気持ち)をシェアできる事って凄く大切と思います。僕の場合、少しでも人間らしくなれたかなぁ〜と思います(苦笑)
2011/1/19(水) 午前 8:16 [ つかさ ]