日々思うこと

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一流の中の一流に学ぶ

  昨日、何気なくテレビをつけると、サッカー選手のカズ(三浦 和良)が出ていた。

 カズと言えば、誰もが知っている日本サッカー界のスター(キング?)だが、

 そのカズは、40歳を超えた今も現役選手だ。

 それが(昨年は出場時間が減ったらしいが)、試合に出続けていると言うから凄い。

 自分より一まわりも二まわりも離れた選手と競い合っているのだから!!

  何故カズがそこまでの身体を維持できているのか、その一端を垣間見た。

 それは試合の前はパスタしか摂らない、と言うこと。

 それもパスタは塩とオリーブオイルのみ。

 淡水化物(糖質)は消化吸収されやすく、エネルギーにもなると言うことで、

 この食事法をされているようだ。
 
 僕は、この“パスタのみ”と言うところが良いように思う。

 これは、(パスタのみを分解するのに)使う酵素が最小限に抑えられるからだ。

 消化吸収は思っている以上にエネルギーを消費する。
  
 これは、食べると眠くなったり、頭がボォ〜ッとしたりする事からもわかる。

 つまり食べると消化吸収するために胃腸を動かさなければならない。

 その為に血液を胃腸に集めなければならない。

 だから、食べた(食べ過ぎた)あとは考えることや動くことがだるくなるのだ。

 その点、カズの食事法(!?)だと、胃腸にかかる負担が少ない(量も抑えているのではないか)。

 また、エネルギーにも変わりやすい。

  そして、ここからが大切だ。

 胃腸に負担をかけない、休ませるという事は、エネルギーを消化吸収に取られないから、

 そのエネルギーはどこに向けられるかと言うと、身体の“修復作業”だ。

 この修復作業が進みやすい状態を免疫力が高い、自然治癒力が高い、という事なのだと思う。

  いくらカズが誰にも負けないくらいサッカーが好きで、誰にも負けないくらい練習をして、
 
 実力があっても、44歳で現役で活躍できるほどプロの世界は甘くないだろう

 (経験が無いので知らないが)。

 それどころか、プロならそれは当たり前だろう。

 実力・才能があっての一流選手が短命で終わって行くという事は、どの世界でもあることだと思う。

 しかし、その努力で積み上げてきた実力・才能をどれだけ維持できるか(と言うより、本当に
 
 好きな事なら、少しでも長く続けたいものだろう)、がただの一流か一流の中の一流かの

 分かれ目になるのだろう。

 そういう本物の人達は、好きな事をやる事“だけに”時間をかけるのではなく、それを維持・向上

 させていく事を念頭に置いて、一歩も二歩も先を見て努力をしているのだろう。

 イチローは、人より一時間先に球状に行って柔軟をすると言う。

 この柔軟と言うのは、僕自身、人の身体を触るようになってからその大切さに気づいた事なのだが、

 非常に大切だ。柔軟を毎日している人は、体が柔らかい。

 だから怪我をしない。
  
 体が柔らかいという事は、血液の循環も良いだろう。

 だから病気にもなりにくい。

 勿論、食生活・心の持ち様も大いに関係してくる。

 「気・血・動」の調和だ。

  プロ野球の工藤公康投手も玄米と野菜中心の食生活のようだ。

 その元はと言うと、西武の広岡監督だ。

 広岡監督が西武の監督時代に玄米菜食を取り入れたらしい。

 常勝軍団だった西武の裏側には、そういう事実があった。

 ボクサーの辰吉丈一郎は一日一食を続けているらしい。

 力道山は試合は断食をして臨んでいたらしい(選手生命が長かったかは知らないが)。

 テニスのナブラチロワなども菜食で一流を維持し続けた。

  これが全てとは言えないが、やはり一流を維持し続けてきた一流の中の一流と言われる人たちは、

 好きな事をやる努力以前に、“好きな事をやるための”努力を惜しんでいないのだろう。

 昨日のカズにはそういう面が感じられた。

  逆に、実力・才能はあったのに間違った努力で自らの選手生命を短くしてしまった人もいる。

 あまりにも良い例(悪い例!?)は元プロ野球の清原和博だ。
 
 入団当初から活躍していた頃の身体つきは余計な脂肪や筋肉がなく、スラッとしたていた。

 それがアメリカのトレーナーか何かについて肉体改造をして、見た目は大リーガーのようになったが、

 怪我ばかりでまともに試合にも出られない有様。

 選手生命が終わっただけならまだいいが(いや、残念だが)、そのままの食生活を続けていたら、

 次は命が危ないのでは!?(とは、余計なお世話か・・・)

  これについては、伝統食(和食)の普及(復権)のために尽力されている幕内秀夫さんの

 ブログにも記事があった。


  URL: http://blogs.yahoo.co.jp/makuuchi44/51606903.html

 
  巨人の長野選手も清原に倣っての食事を取り入れるらしいが、さてどうなることやら!?

  
   因みに僕は、一日二食の玄米菜食(今は酵素玄米に、野菜は半分以上が生で、

  昼は無しか果物など、固形物はは取らない事が多い。)に切り替えて

 3年が経過。長きに亘ってステロイドを常用していたので、まだ完治には至っていないが、

 確実に改善されている。あと1年・2年あれば完治にたどり着くだろう。

 更に、頭はスッキリで想いが現実化しやすくなり、また身体は疲れ知らず。

 これを体験してしまうと、もう辞められないのだ(笑)。

  そして、僕も本当の医療従事者になりたいので、こういう人たちを見習って、日々精進

 したいと思う!!
  

開く トラックバック(1)

  今日、夕方に棚田の畑に顔を出して、春への準備として米糠を畝に振り撒いていたところ、

 丁度お隣の地主さんがいて、会話をした。

 「米糠を撒いても肥料成分が無いから、野菜は大きくならんで。

 やっぱり化性肥料もいるんと違うかなぁ〜」

  さすが、お百姓さん、米糠が肥料の役割を果たさないという事を知っているのだ

 (僕はそこまでは知らなかった)。

 でも、それでいいのだ。

 俺自身、米糠で野菜を育てるつもりは全く無い。

 米糠には畑の生命活動を活発にしてもらう事を目的にしているのだから!!

 また野菜は大きければ良いというものではない。

 大切なのはその生命力だ。

 人間も同じだ。

 現に俺は1日1食(たまに2食)で、一般の人以上に動ける自信がある。

 毎日仕事前に身体を動かして(今は田畑を整える作業をしているが、それが一番大変だ)、

 それでも全く疲れは溜まらない!!

 菜食に変えて身体は若干細くなったが、瞬発力も持久力も周りの同世代と比べて負ける気は

 微塵もしない!!
   
 若い奴らに負ける気もしない!

 多分、肉食をすれば、一気に身体は弱くなって行くだろうが(笑)

  俺の中である程度結論が出ている事がある。

 それは世の中の逆に真があると言う事。

 学歴が必要と言われていれば、俺には必要が無い。

 仕事は就職するものと思われていれば、俺は自分で作りあげる。

 現代栄養学が正しいと言われていれば、俺は動物性を殆ど摂らない少食を目指す。

 部分に、結果に捉われる現代医学が主流であれば、全体を、原因を診る綜合医療を目指す。

 農業の大規模化に対しては自らの生活を満たす程度の自給農。

 お金は儲けるものと言う考えに対して、お金は結果として入ってくるもの。

 また沢山稼ぐことが良いと思われているなら、如何にお金だけに依存しない生き方をするか。

 物質的な豊かさに対して心の豊かさ。

 そして最後に、ナヨナヨした中身のない音楽に対しては感情のこもった骨のある音楽だ(笑)。

  
  ・・・っと言うか、別に世の中に反抗して反対に行ってるわけではない(いや、もともとは

 そうやったけな? 笑)

 とにかく“結果的”に何故か少数派、「逆」に感覚的に惹かれてしまうのだ(苦笑)。

  そうすると、やっぱり馬鹿にする連中も出てくる。

 仕方の無い事だ。多数派(主流派)は自分たちが正しいと思い込んでいるから。

 しかし、経験的にそれでも自分を貫き通すと、そういう人間の殆どは頭を下げてきたり、

 味方になったりする(笑)。

 最近で言うなら親父だ。

 旧帝国大学医学部卒でエリートまっしぐらの親父でさえ今までの自分の過ちに気づき、

 俺に誤りに来た。

 俺は自分が勝ったとか自分が正しいとか言うつもりも思うこともない。

 ただ、自分の感覚に従って黙々とやってきただけ。

 いつかはわかるだろうと思って、ただ実践してきただけ。

  何かを示すには言葉は要らないと思う。

 必要な事は実践。

 ひたすら信じる事をやり続けること。それで十分だと思う。

  ・・・と言うことで、自然農に関してもただ実践するだけ!

 冬が農閑期などと言うのは、農業に関して、とりわけ自然農に関して言うなら、

 それはその土地の環境が整った時の話で、やり始めでそれが整っていない時、

 冬場は春に向けての一番重要な時期だ。

 この時期に、どれだけの知恵を働かせてやるかで春からの結果が違ってくる。
 
 特に自然農は“農法として捉えても”思いっきり世の中の逆を行った方法だ(あくまでも

 世の一般常識を多数派とした時に)。

 いくら生活がかかっていないと言えども、農業初心者と言えども、

 舐められるのは好きではない。

 俺は一生自然農をやって行くつもりなのだ。

 例えば、あの棚田が他の人の眼に触れないような場所にあれば、今よりのんびり出来るかも

 しれない。何を言われるわけでもないし。

 ただ、あの棚田では沢山の人の眼が向けられる。

 そうであれば、やはり何かを示す必要がある。

 別に人の眼を気にしているわけではない。

 世の中の逆をする事はもう慣れたものだ(笑)。
 
 ただ、自然農を“こんなもんか”とは思われるような事だけはしたくないのだ。
 
 去年は小さい田んぼではあったが、個人的には結果を出した。

 周りも「ホンマに肥を置いてないのか!?」

 「1本植えでこんなになるの!?」
 
 とビックリさせてやる事ができた(笑)。

 ただ、畑に関しては、自分の知恵不足・柔軟性の欠如で結果を出せなかった。

 しかし、今年は違うぞ!!
 
 今年は結果を出すために(いや、結果を出すのは野菜たちで、俺はその手助けをしているだけだ)、

 最低限の事はやってきた(つもり 笑)。

  周りの連中よ、見ときやがれ!!

 っと、ケンカを売ってるわけではない(笑)。
 
 びびらせてやるのが好きなだけだ(笑)。

  明日も出来る事をやる!! 
 

 
  

 

 

  コメントをいただいた方がこの記事に深い意味を感じられたようなので、

 僕も読み直しました。

 稲田さんの言葉には、常に深い意味が込められていたように思います。


最近、つとに思うこと…
2010-09-27

近況をネットに書いたり、ラジオで話したりしたところ、
あちこちからメールや電話が相次いだ。
その多くは、ぼくの病状を心配してくれたお見舞いや激励だったが、
なかには「裏切り行為」とか「余命はあと○○」などというものもあった。
どうやらそれぞれが、さまざまな霊的な力?を使って探ってみてくれたらしい。

いまの医学では、末期ガンというだけで、すぐに余命を連想するようだ。
それもまぁ、仕方のないことだと思う。
「ガンは恐ろしい悪魔のようなもの」というどうしようもない「ガン呪縛」に、
骨の髄の髄まで犯されているからである。

さらに、「あなたのガンは、○○したことが原因だ」と決めつけてくる者もいた。
その人の直感(霊感?)では、あるいはそうなのかもしれない。
そういう人は、自分の感覚(霊力?)を無条件で絶対化している。
みんなが同じようなことを言ってきたのなら参考にもしたいところだが、
それぞれがみな違ったことを、絶対的な確信のにもと言ってくるとなると、
さて、いったいどれが真実なんだろうとそれぞれを疑ってみたくもなる。

「あなたのガンは、○○したことが原因だ」と断定されてしまうとき、
ぼくは旧約聖書の「ヨブ記」のことを思い出す。
幸せだっらヨブが、突然、地獄のようなひどい不幸に見舞われたとき、
3人の親友がヨブを訪ねて、不幸のその原因について断定的に指摘した。
それは、親切心からのアドバイスだった。
しかし真実は、全く違うところにあった。
聖書によれば、神がサタンに、ヨブを苦しめることを許可していたのだ。
いかに苦しめても、試練を与えてもヨブは大丈夫という、絶対的な信頼がそこにはあった。

一般的に、正しい者は幸せにして健康であるはず…という単純なものの見方がある。
つまり、仕事を失って貧乏だったり、病気になる者は、正しくないと暗に思っている。
しかし、本当にそうなのだろうか。
少なくてもヨブ記の場合は、不幸の背後にも神の恩寵があることを示唆している。
実際ぼく自身、これまでの人生で「一見不幸」の中に素晴らしい恵みが芽生えていたことを、
身をもって何度も何度も体験することができた。
だからこそ、何があっても平気、あるいは、すべての出来事に深い意味があると、
心の底から思えるようになったのであった。

さて、『されど、ガン完治への旅』を執筆したいと思い、少し書き始めた。
しかし、なかなか思うようにははかどっていかない。
そうこうするうちに、世の中の動きに対してどんどん関心が湧いてきて、
ガンの話ではなく、全く別のテーマで、あちこちに書くようになった。

これはあるいは、本番のためのウォーミングアップなのかもしれない。
すべてのことに意味がある。
だからいまは、思いのまま、自然体で行動するようにしようと思っている。

つい先日も、「村木事件に対する検察の犯罪」について、少し思うことを書いた。
本当は、こんなことを書いても大丈夫かな?という躊躇もあったのだったが、
「いまこそ書いておかなければ」という思いが強くなったことにも意味があると考え、
その思いを大事にするかたちで「検察&マスコミ批判」を書いてみたのである。

そう、ぼくが「権力とマスコミによる情報支配=ガン呪縛」を強調するのにはワケがある。
決して、薄っぺらな感覚や直感や一般論などで、ものを言ってきたのではない。
それは、遠い昔に、実際にひどい体験をさせられたことがあったからである。
その体験については以下に書いたので、お読みいただければ幸いである。

★冤罪の寸前で脱出できた「クーデター首謀者?」の体験記
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/801.html
★許すまじ。検察とマスコミが作り出す冤罪&権力犯罪
http://www.asyura2.com/10/senkyo96/msg/130.html

「阿修羅」ではペンネームで書いたものを、ここで実名で紹介するのはどうかとも思った。
こんなことをしたら、ますますさまざま攻撃や嫌がらせを受けるかもしれないからだ。
しかし、昨今の動き(現象)を見ていると、波動周波数が変わったようにも感じられる。
それだけ人々の意識と感覚に、大きな変調が起きてきたということであろう。
いま、まぎれもなく、地球と人類史に、はっきりと根源的な変化が現れている。

ある詩人(高橋元吉)の詩ではないが、

 崩れるものは崩れ
 流れ猿ものは流れ去り
 さうして山は いよいよ美しくなる

といったプロセスに、いまや入ってきたような気がする。
それだけに、思うことを自然体で吐き出して、身も心も自由にしていきたいと思う。

「阿修羅」では「冤罪」のことを書いたが、これは権力による犯罪である。
その意味では権力とマスコミによる「ガン呪縛」も、一種の犯罪的な支配であり、
さらに言えば、現代医学のガン治療は、法によって守られた合法的殺人とすら言える。

今回のぼくの骨折入院は、現代医学のガン観からすれば末期状態であり、
だからこそ、いろんな方々が余命を気にし、「原因はこうこうだ」と断定するのだろう。
しかし、ぼくはそうしたガン観が、そもそも根本からおかしいと思っている。
それだけに、やっぱり『されど、ガン完治への旅』を全うしなければと思う。
そうしてこそ「ガン呪縛」を真に解き、多くのガン患者に希望が示せるであろう。
そのためには、目に見えない潜象の世界のことにも触れなければならないが、
そのことにも、また意味があるというものであろう。

というのも、潜象の働きはともすればオカルトまがいの話にもなり、
目に見えない世界のことを語ったり、そのパワーを少しでも発揮する者は、
とかく自己陶酔に陥って」、悲しいことに自己絶対化しがちだ。
実際、多くの方々が、どこか教祖然として、そのごとく振る舞っているように見える。
それだけに、ぼくはそれを「他山の石」として、絶えず自戒しながら、
事象を宗教然としたものではなく、あくまでも天然の「潜象物理」を極めていきたい。

考えてみたら、7月からすでに3ヶ月近くもベッド生活をしてきた。
そんななか、宇宙、生命、意識、感覚、感情、魂等々の深いつながりが、
しだいにクリアに感じられるようになってきた。

いま世の中で起こっている社会現象に対して、さまざまな感情が湧き出すのは、
深い根源的なところで、それと自己との関わりがまぎれもなくあるからだ。
何かの現象に、不安を覚えたり、恐れを抱いたり、憤りを感じたり、
同情的になったり、涙を流したり、慈しみがわき出してきたりするのは、
人類史が綴った宇宙の記憶(アカシックレコード)と自己とが微妙に共鳴するからで、
そのこと自体が、宇宙と自己(小宇宙)の一体感をシンボライズしている。

その意味で、ヒューレン博士のホ・オポノポノではないが、
いま世の中で起こっているすべての社会現象に対して、責任が感じられてくる。
だからこそ、「ごめんね。ゆるして。ありがとう。愛してる」…と、
絶えず言い続けなければならないのだと思っている。

「阿修羅」に書いた「冤罪すれすれ体験」も「マスメディアへの疑念」も、
その当時は、すっかり感情が先行して自己を支配していたように思う。
しかし時間が経ち、ものごとの本質が少しでも分かりかけてくると、
そんな体験をさせてもらったことの、ありがたさと意味が感じられてくる。

どんな体験にも、意味のないものはひとつもない。
それどころか、一見不幸、不条理、悲劇と思えた出来事の中に、実は宝物があった。
人間が、その人生を通して、結実・結晶化させるべきものとは何だろうか?
そのことをとことん突き詰めてみるとき、見えてくるものがある。

ぼくの場合は、悲劇的に思える体験の中から、なぜか深い意味が見えてきた。
しょうがない因果の人生〈笑〉…だと思う。それでいいのだ、とも思う。
それぞれの人生には、それぞれの宿題(課題・役割)があるのだから、
潔くすべてを受け止め、自らの、自分ならではの人生を全うしていくだけだ。

人間の、幸不幸、正邪を図る物差しはひとつではない。
だから「自分の尺度」をもって他者や世の中を判断・評価してしまったり、
しかも、その物差しを絶対化するのは、やっぱり慎むべきだろう。
アリにはアリの物差しと時空があり、ゾウにはゾウの物差しと時空…。
さらに、彼には彼の、彼女には彼女の、それぞれの物差しと時空があっていい。
カタカムナ的に言えば、トキ・トコロはそれぞれのものだ。
でありながら、すべての生命と個性、そして天然宇宙はひとつである。

なにげなく書き出したこの書き込み、
いつのまにか、どうやらおかしな方向に旅をしてしまったようだ〈笑〉。
そろそろ空が白んできて、今日も新しい一日が始まる。
すべての方々に、今日もベストの時空がもたらされますように…。

稲田芳弘

稲田芳弘さん、逝く

  稲田芳弘さんのホームページ「Criative Space(」http://www.creative.co.jp/)を見て

 呆然としてしまった・・・

 なんとタイトルが 『夫は、永遠に回帰いたしました。』

 まさか、とは思いながら内容を見ると、


   「昨夜10時過ぎに、夫、稲田芳弘は、その苦渋に満ちた重荷を降ろし、

  安らかに永劫の旅に飛び立ちました。

  最後まで生きる意思を捨てず、多くの叡智を秘めて永遠の眠りに尽きました。

  よしひろ!助けることがかなわず、本当に本当にごめんなさい。

                                陽子


  詳細は、決まり次第、ご連絡いたします。

 皆様の温かいご厚情に謹んで感謝を申し上げます。」


  あの稲田芳弘さんは本当に亡くなってしまわれたのだ。

 僕が「千島学説」を知ったのが約3年前。

 当時、身体を壊して仕事も出来ない状態で、現代医学者からは「先天性で治らない」と

 言われた僕だったが、必ず治る、と信じて情報を集めていた時に、ある方からその存在を

 教えていただいたのだ。

 早速内容を見ると、今まで全く医学に興味もなかった僕には衝撃的ではあったが、妙にすんなりと

 入ってくるものがあった。

 そして千島学説にはまる事になったのだが、その直ぐ後「西式甲田療法」を実践することによって、
 
 千島学説の正しさを身を持って実感したのだった。

 “論より証拠”

 千島学説を“トンデモ”などと罵る輩もいるようだが、

 実学の前では理論など何の意味もなさないのだ。

 それに僕は「クスリ」がどれだけ身体・精神に害を及ぼすかも実体験として知っている。

 理論ばかりで「実践」をしない現代医学者たちは現実を直視するべきだ。

  話が逸れてしまったが、そんな中で千島学説研究会を知り、稲田芳弘さんにも出会う事に

 なったのだ。

 もっとも、僕が稲田さんと会話をしたのは一度きりで、それもホンの少しの事だったが。

 それでも稲田さんの講演は何度か聴き、僕はすっかりファンになってしまったのだ(笑)

 物静かで奥ゆかしく、でもユーモアも兼ね備えて、そして言葉に重みがある・・・

 そんな不思議なオーラをまとっていた稲田さんには凄く共感できるものがあった。

 
  自らが“がん告知”をされたのを機に、社会的な大問題になっている”がん呪縛”からの解放を、

 千島学説を通して実践されているところだけであっただけに、残念でならない。

 勝手な意見をさせてもらえるなら、稲田さんはもっと休養をとるべきだったと思う。

 (確か原始的な生活(!?)をする言うような事も選択にあった、と言うようなことが載っていたと

 思うが・・・)

 ご自身も、がん告知をされてからの方が以前より忙しくなった、と言うようなことを載せられていた。

 ガン難民を救う事に専念し過ぎて、ご自分の身体の事を後回しにし過ぎていたのでは

 ないだろうか。
 
 ガンに限らず、病気の原因は千島学説で言う「気」「血」「動」の調和の乱れだろう。

 (僕は自分の経験や、農業を始めてお百姓さんを見るにつけ、この気血動の調和が如何に大切か、

 を実感している。)

  でも、それを分っていての選択だったのだろうなぁ。

 それにしたって、自分が体調を崩したのに(それも一般的には不治の病とされるガンでだ)、

 それを逆手にとって自らを実験台にし、それだけならまだしも、多くの人のために尽力されてきた

 稲田さんは本当に尊敬できる人であり、また同士だと(勝手にだが)思っている。

  稲田さんのやられてきた事を無駄にしてはいけないと思う。

 昨年のかせ山紀一元代表に続いて、稲田芳弘さんも亡くなられた千島学研。

 ホームページも出来て新代表も決まって新しい体制で動き出しているが、

 もう嗜好品がどうのこうの内輪でやっている場合ではないだろう!!

  稲田芳弘さん、有り難うございました。

  

  
  http://www.chishima-gakusetu.com/index.html

  今日、千島学研事務局から資料が届いていてホームページの事を知ったのだが、

 改めて千島学説的は

 “物事は由あって起きる(善悪の区別はない)”

 と言う考えが基に成り立っていると再確認した。

 そしてこれは「自然農」の根本の考え方でもある。

  もう、この考え方は僕にとっても当たり前の事なのだが、

 普段色んな人と話していると、物事を良い悪いで区別したり、という意見が

 非常に多い現実に面食らってしまう。

  人間、よっぽど自分の人生(命)に危機感を感じないと、価値観を根本から覆してしまう事は

 困難だ。どこかで今までの考え方に執着してしまう。

 今が自分らしくないと心の底で分っていても、差し当たって大きな問題にぶち当たらなければ、

 ズルズル・ダラダラ行ってしまうものだ。

  ・・・と、僕が人の事なんて言える立場でもないし、僕は僕で出来る事をやって行く

 だけやなぁ〜。

 その内の1つである自然農。

 今年は去年とどれくらいの違いを見せてくれるだろうか!?

 明日も、春に向けて畝立ての作業だ!

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