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平成18年7月2日(日)W杯、ブラジル負けた。 W杯第21日の1日、準々決勝のブラジル vs フランス戦は、フランスが1―0で勝ち、準決勝に進出。ブラジルの2連覇はならなかった。欧州勢が4強を独占。葡仏、独伊。レベルは高い、日本の決勝トーナメント進出なんて、百年早い? 1950年7月2日、金閣寺が同寺の僧侶の放火により全焼す。 鹿苑寺(ろくおんじ)の舎利殿(しゃりでん・釈尊のお骨を安置)である金閣が、1950年(昭25)、同寺の徒弟僧・林養賢の放火により焼失した。金閣は1955年に再建された。従って現在の金閣は国宝ではない。1987年に金箔張替え。 ○ 金閣寺放火事件 ○ −経緯− 昭和25年7月2日午前3時頃、京都鹿苑寺(通称・金閣寺)の国宝・金閣(舎利殿)が放火により全焼した。この放火で応永4年(1397年)足利義満が建立した三層構造の美しい舎利殿とともに足利義満の木像、運慶作の観音菩薩像、阿弥陀如来像や経巻、仏教本など貴重な国宝が全て焼失し灰となった。 消防隊員が第一報で駆けつけた時には、既に舎利殿から猛列な炎が噴出して手のつけようがなかった。早朝、鎮火した現場に蚊帳のつり手、布団生地があったことから不審を抱いた消防隊員が西陣署の警察官に連絡し共同調査を実施した。警察は、金閣寺の住職・村上慈海氏やその徒弟、事務方から事情聴取したところ徒弟の1人で林養賢(当時21歳)が居ないことが判明。庫裡にある林の部屋を調べたところ蚊帳、布団などが無かったことなどから林養賢が放火したと断定し行方を捜索した。 警察、消防団が付近一帯を捜索していた同日午後4時頃、金閣寺裏にある左大文字山に薬物を飲み刃物で腹を刺してうずくまっていた林養賢を発見し、放火の容疑で逮捕した。林養賢は自殺を図ったが刺し傷は致命傷に至らず薬物も病院で胃洗浄した結果、命に別状は無かった。逮捕当初、林養賢は「世間を騒がせたかった」「社会へ復讐のため」などと動機を自供し素直に犯行を認めた。 −動機− 林養賢は昭和4年3月19日、京都府舞鶴市成生の貧寺・西徳寺の住職・林道源の長男として出生した。林養賢は生まれつきの吃音(きつおん)で、このことが死ぬまでトラウマ(心的外傷)となる。父親の道源氏は結核を患っており、住職としての役務も満足に勤められず寝たきりの状態だった。成生(なりゅう)の檀家は僅かに22戸(当時)で経済的にも困窮していた道源氏は43歳で死ぬ直前、つてを頼りに金閣寺住職の村上慈海氏へ子供の養賢を弟子にして欲しいとの手紙を出す。これが受け入れられて昭和18年3月18日、金閣寺にて得度式を行い養賢は正式に村上慈海氏の弟子となった。 病気療養のため一時、成生の実家に戻っていた養賢は、終戦間もなく再び金閣寺に戻る。ここで、村上慈海氏の理解を得て中学を卒業し大谷大学へ進学。犯行当時は大学3年に在学していたが、入学当時から比較して成績は下がる一方で登校もしなくなっていた。 養賢は数年前から金閣寺に疑問を抱く。臨済宗相国寺派の禅寺である金閣寺の実体は「観光客からの拝観料による」潤沢な寺である一方、金銭欲を持たず自身を無にする、禅寺修行が行われず、拝金主義であったこと。得度を授かった徒弟より観光客の管理、運営に携わる事務方が幅を利かせていることに養賢は嫌気をさしていた。また、養賢自身も父親と同じ結核に怯え悩んでいたこと、息子が金閣寺の住職に出世する事だけを唯一の楽しみとしていた母親の過度な期待など様々な事が養賢を取り巻いていた。 昭和25年12月28日、京都地裁は養賢に懲役7年を言い渡した。昭和30年10月30日、刑期満了で京都刑務所を出所したが、結核と重度の精神障害で京都府立洛南病院に入院。翌31年3月7日、午前11時10分に死亡。 息子の放火後、汽車から飛び降り自殺した母と共に青葉山麓の安岡部落の共同墓地に眠る。 幕末から明治にかけて、英国の写真家が撮影したもの。(国宝) −小説− 1956年、三島由紀夫が『金閣寺』を発表。三島の死後公開された『金閣寺』創作ノートによると、その取材は放火犯・林養賢の経歴、学業成績、供述調書、判決とその後の病歴、鹿苑寺見取り図、僧坊生活、その他事件と人間関係、場所等の調査がいかに入念で徹底したものだったかがよくわかる。 事件の枠組みや林養賢の行動は、そのまま取り入れながら、主人公の思考や想念、行為は全くの虚構の世界として描いたもので三島美学がみごとに構築された作品として高く評価される。三島は「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」と見る。 水上勉の『金閣炎上』では「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により美の象徴である金閣を放火した」と見る。真実は今でも判らないままだ。 −最近の放火事件− 2005年5月9日、福岡市博多区の臨済宗「崇福寺」で放火事件が発生。やがて寺の修行僧、永田秀明容疑者(26)が逮捕された。取調べに対して、「住職やほかの修行僧に仕返しがしたかった … 」と供述。現住建造物等放火罪で起訴されました。 2007年6月9日、2005年に福岡沖地震と放火で被災した臨済宗大徳寺派の崇福寺で、寺の復興を願う茶会が開かれた。福岡茶道文化連盟に加入する6流派などから約60人が参加。参加者が挨拶料として持参した「水屋料」はすべて崇福寺の復興資金に充てる。
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いろいろと勉強になりますね。神聖な世界でも俗的な考えが入ってしまうものだなと思いました。
2006/7/2(日) 午前 7:35
「金閣寺」即、三島由紀夫を連想してしまいます。城、寺の現代建築撮影意欲が湧きません。
2006/7/2(日) 午後 7:55
三島由紀夫の「金閣寺」は、三島美学に彩られていますが、人間心理の深淵を活写していると思います。水上勉「金閣炎上」は残念ながら読んでいません。この方の本はたいてい読んでいまして、好きな作家です。
2006/7/5(水) 午後 6:55 [ kaz*_51** ]