今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

全体表示

[ リスト ]

 平成18年7月3日(月)前項のつづきです。

イメージ 1
 ※ 1985年、TBSでテレビ化された。“おっちゃん”にビートたけし。

 その後、千石が本格的に聖書の世界にのめり込むのは35歳のときである。大阪で
入った「聖書研究会」では苦しんだという。「強力な指導者の下、根性を叩き直さ
れたんです。『聖書研究会』の主幹が元禅宗関係だった人で、キリスト教を勉強し
た人。しかも、その会は哲学中心でカント、ヘーゲルを学んだんです。そこで私は
徹底的にいじめられました。『理屈で聖書がわかるわけないだろうが』そう思って
あてもなく東京に出たんです」

 同じ「聖書研究会」の会員であった二家族とともに東京の国立で「極東キリスト
教会」を開き、共同生活を始めた。千石剛賢は二度結婚している。最初の妻と離婚
した。慰謝料の求めに応じ、彼の名義である山畑をすべて譲り、間に生まれた長女
は自分が引き取り、次女は乳離れするまでの積りで養女にあずけた。そして、再婚
相手との間に一女をもうけた。しかし、東京で「方舟」の共同生活をまっとうする
ために自分の家族を解体。みなの「オッチャン」になったのである。

 「嘘はいかん」とよく口にする千石は、養女に出した次女の事が長く気になって
いた。彼はある日、何の前ぶれもなく次女の前に姿を現す。理由は「長女と三女は
聖書に触れさせているが、次女は聖書と関係のない世界にいる」、それがどうにも
気になって仕方がなかったからだという。いかにも身勝手な話に思えるが、しかし
そんな父の出現を、当の次女・喜久代は、好意的に受け止めている。

 「これで人生が切り替えられるような、新しい人生が始まる予感がしたんです」
喜久代は千石が離婚した時に乳飲み子であり、千石の親戚筋にあたる養父母に育て
られていた。養父母を実の両親と信じていた喜久代は、材木屋を経営していた自分
の家が物質的に裕福なのに、何か物足りないと感じて十代を過ごしたそうだ。

 「母親としての情けを感じることもなく、何でも金で片づけようする両親にかす
かながら疑問を抱いてました」そして看護学校に入ることを口実に京都へ。期待に
胸膨らませて寮生活を始めたものの、自分の想像する世界とは違っていた。突然、
千石が現われたのは、そんな時だった。

 「それまで誰にも理解してもらえなかった自分を、本当に理解してくれる人に出
会ったと思えました」実はこの日、千石は自分が父であることを名乗らなかった。
にもかかわらず、喜久代は千石を素直に受け入れている。当時の彼の印象を聞いて
みた。「本当の父親がいるとは思わなかった。その時のオッチャンは厳しい顔をし
ていて精悍な人という印象。これまで会ったことのない強烈な存在感でした。もの
すごく優しくて、何か包み込むようなものを感じたんです」。

 後にすべての事情を知らされた喜久代は、しばらくして一人東京を訪れ、「偽り
のない人間関係を初めて知って」テントでの共同生活に加わる事になる。「方舟」
での生活を選択した女性たちは、当時、日本社会に存在していた「幸せな家族」と
か「普通の女の幸せ」というものに対して潜在的に疑問を抱いていた人々である。

 彼女達が一様に口にするのは「欲しい答が『方舟』にあった」という事である。
裏を返せば、突き詰めて人生を考えようとする彼女たちの行き場が、当時の日本に
はなかったのだ。それを受け止めたのが千石だったのは間違いないだろう。彼女た
ちが求めていたのは「自分を肯定し、自分の疑問に答えられる答を持った人格」で
あったと、みな声を揃えて言う。当時、千石はその役を演じきったといえよう。

 だから彼女たちは親の元を離れ、千石の元に走ったのである。しかし、これは彼
にとっては、予想外の展開だった。「娘たちが逃げ込んで来て、それも親のところ
に帰りたくないと言う。引き受けざるを得なかったですね。たとえ自分が水を飲ん
で死ぬことになっても、溺れかかっている娘たちを放っておけなかったんです」

 もしも20年あまり前、世間から糾弾され漂流を強いられる事がなかったら、現在
の「方舟」はなかったかもしれない。漂流生活を通じ、方舟の結束はますます強ま
り、脳梗塞を患ってまで、娘たちを命懸けで守る父の存在は、娘たちにとって絶対
となったのだろう。千石もまた、同時に「父」の役割から逃れる事はできなくなっ
たのではないだろうか――。

 「閉鎖的な空間を作ろうとしたのではない。世の中の生き方の間違いを正すので
もなかったんです。世の中の間違いを継承しないで、自分独自のあり方、生活をし
ていこうとしただけです」

 「私は一本の歯」

 毎週日曜日、外部にも開かれた集会は「シオンの娘」で開かれる。いつもは客が
酒を飲む、その空間においてである。壇上に座る千石の講話は一時間ほど続く。

 その日、千石は昨今の少年犯罪に言及し、少年法を真向から批判した。
「『少年法』は何のためにあるのか。更正できると信じている行政がおかしいんで
す。人を殺すような悪いことをすれば、更正することはない。世間に迷惑をかけな
い人間になるとは嘘です。少年院は要らんもの。少年院を出て、やり方が巧妙にな
るだけです。『幼子といへども、その動作(わざ)によりてその己の根性(こころね)
の清きかあるいは正しきかをあらはす』と旧約聖書の20章11節にある。深層心理に
しみこんだものは、もう直しがきかない。17才の子は直らん。ハクがついて立派な
極道になるだけです。それよりも、そういう少年を生み出さない家庭環境を作る事
が大切でしょう。」

 「『己のごとく汝の隣人を愛せよ』。己の次に、ではない。己の如くです。親が
人を愛することを教えていないのが問題です。知識だけを伸ばしていけば、教育と
考えている。命のすばらしさを教えることこそ、家庭教育なのです」

 集会の後、昨今の少年犯罪について、さらに彼の考えを聞いてみた。

 「いま起きている事件の源は、結婚が間違っている事にあります。『結婚とは』
と、厳しく自分に問うて踏み切っている人は少ない。みな付和雷同的に結婚を選択
する。だから嘘が生じるんです」千石は家族のあり方の根本的な間違いはシガラミ
にあるという。

 「人間は不安定な生き物だから、シガラミを作って安定感を持とうとする。父や
母がシガラミを作り、そこに子どもを入れてしまう。家族を壊すのではないが、シ
ガラミは断たないと駄目なんです。私が20年前にやった事は、それなんです。家族
は愛によって結ばれるべき。それを表してみようとしたのが方舟で、家族の聖書的
な原点なんです」では、愛とシガラミはどう違うのか。

 「愛というのは、人間という存在に対しての価値の目覚めなんです。自己という
存在の価値に目覚めるのなら、他者的に存在しているこの価値にも目覚める。この
あり方に愛が成り立っている。それは感動でもある。愛は、自己の存在価値を認識
すると同時に、他者の存在価値を認識する。その人間関係の中に愛というのが成り
立つんです。自己なる存在の価値の認識が不十分だとそれはシガラミになる。自己
なる存在価値というものは、何者にも拘束されていないことだと気づくんですね。
宗教団体も家族もシガラミを持ち込むから駄目になるんです」

 私が話を聞いた女性会員たちは異口同音に「親は答を持っていなかった」と語っ
ている。両親の不仲に苦しんだ京子は「子の心、親知らず」と言った。大人の嘘に
耐え兼ねる子どもの葛藤を、親は全く理解できていないというのである。

 彼女たちの肉声はこうだ。「自分の親は思ってもいないのに、思っているような
言葉で言ってくる」「親きょうだいと本音で話し合ったことはない」「親のくせに
とつい考えてしまう。『私のことを本当に思っている』と言っているが、実は親は
打算的なことをいう。それに気づいていない」「親へは期待も依存心もある。だか
ら、ふっきれない」「普通の結婚は嫌。母も愚痴をごぼすばかりで幸せでないし」

 親子の問題は根深い。しかし、彼女たちも歳を重ね、また新たな形で親子問題に
直面する日がやって来る。例えば介護問題。親だけでなく自らも老いていく。その
時、彼女たちは何を選択するのだろうか。どうやって親と向き合うのだろうか。

 「本当は親を摂取しないといけない。突き放しただけではいけない。突き放して
しまうと、自分自身には救いがない」彼女たちはこうも言っていた。

 親元を離れた女性会員たちは、この20年間、親を許したい、深く交わりたいと、
もだえ続けてきたのではないだろうか。親を摂取するための葛藤の日々。しかし、
娘が「聖書」に従って寛大になった積りでも、親の価値観が変わらなければ相変わ
らず「溝」は存在する。紀葉子は親の価値観をこちら側に引き寄せようとして手紙
を書いているのだという。しかし、一方で「方舟」は心地いい世界である。

 「新しい人間関係を築きたくない」と紀葉子は言う。確かに、価値観の同じ人々
が集まっているのだ。孤独を感じなくて済む。ストレスもない。悩みがあればすぐ
に答えてくれる「父」がいる。だが、ここに来るまでに、彼女たちは恋愛に興味を
持たなかったのだろうか。セックスについてはどうだろう。こういった質問をしつ
こく投げかけたが、答は返ってこなかった。

 実は80年代、ある雑誌の対談で、千石は「女性会員が器量の衰えを嘆いている」
と話しているのだ。おそらく、世の常の通り、そんなことを考えた時期もあったに
違いない。しかしそれ以降も、彼女達は「イエスの方舟」で日々を過ごしてきた。
20年もの長きにわたって――。

 いまでも結婚に興味がないのか。千石と同じ価値観を持つ男性と巡り合ったらど
うするのか、三女の恵に聞いてみた。「オッチャンのような男性に巡り合えば考え
ますよ。でも、そんな人いますか」しかし、何れはその父もいなくなる日が来る。
その時、残された者たちはどうするのか。

 私は千石に訊ねた。「私は一本の歯みたいなもんです。一本歯が抜けただけで、
人は死にはしない。私のようにやったらいいんです。聖書はなくなりませんから。
『イエスの方舟』の活動はもっと活発になるんじゃないですか」

 扉を開けて店の外に出ると、あたりは夜の街だった。屋台の酔客のものだろう、
時折、笑い声が高らかに響く。「昨日と同じ今日」「今日と同じ明日」――。

 私はそんなことを頭の片隅でおぼろげに思う。振り向くと、一瞬の静寂の中に、
「シオンの娘」の藍色のネオンサインが滲んでみえた。

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事