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平成18年7月4日(火)昨日今日:旅行中… 7月4日、【アメリカ独立記念日】今日はアメリカ人はお休みです。 1776年7月4日、米国のフィラデルフィアでトマス・ジェファーソンらにより 起草された「アメリカ独立宣言」がジョージ・ワシントンにより発せられる。 英国からの自由と独立を宣言し、アメリカ合衆国(当時は13州)が誕生する。 実際に独立を勝ち取るのは、その七年後のパリ条約によってでした。 現在の合衆国は、本土の48州と飛び州のアラスカとハワイの2州、ほかに海外 領土など。星条旗の紅白13本のストライプは当時の13州を表現し、50個の星が州 の数です。 独立当時の13州:デラウエア州、ペンシルバニア州、ニュージャージー州、 ジョージア州、コネチカット州、マサチューセッツ州、メリーランド州、 サウスカロライナ州、ニューハンプシャー州、バージニア州、ニューヨーク州 ノースカロライナ州、ロードアイランド州。 アメリカ独立革命(American Revolution、アメリカ独立戦争) 18世紀後半におこった、アメリカ東部沿岸のイギリス領13植民地と本国イギリス との独立をめぐる一連の紛争。のちにフランスが独立諸植民地と同盟して参戦。 戦争は植民地側が共和制国家アメリカ合衆国を設立し決着。 1777年、フランスは、サラトガの戦の勝利とジャーマンタウンでのワシントンの 戦闘ぶりをみて、アメリカ側に勝利の見込みがあると判断した。1778年2月、フラ ンスは諸植民地の独立を承認し、通商同盟条約をむすぶ。フランスの援助は公然化 し、海軍の支援というワシントンの希望も実現した。 講和への圧力:ワシントンは2年間、戦争終結の決定的局面をめざしていた。 パリのベンジャミン・フランクリンによる情報で、イギリスの世論は戦争継続を 支持していないことが明白だった。サラトガの戦のようなイギリスの軍事的敗北 がもう一度おこれば、国王と内閣は講和締結と独立承認への圧力にさからえない 情勢にあった。大陸軍の陸兵部隊とフランス艦隊によってイギリス軍を捕捉し、 大規模な降伏をさせようと彼は辛抱強くまっていた。フランスは、イギリスへの 報復に熱心で、海軍は艦艇も訓練も最高水準だった。 独立の達成:ヨークタウンの戦で本格的衝突は終結したものの、講和交渉は 1783年9月3日のパリ条約締結まで長びいた。イギリスは旧植民地の独立を、 アメリカ合衆国として承認し、合衆国は国境を西はミシシッピ川まで拡大し、 北はカナダは得られなかったが、カナダとの境はオンタリオ湖からスペリオル湖 までの4湖の中心線となり、ニューファンドランドの漁業権がみとめられた。 決断力と不屈の精神で勝利をもたらしたワシントンは、83年12月4日、ニュー ヨークで大陸軍士官に別れをつげ、同月23日には、アナポリスでの大陸会議で 指揮権を返上、「すべての公的生活から」引退した。 自由の女神像( Statue of Liberty ) アメリカ合衆国、ニューヨーク港内のリバティ島(旧称ベドロー島)に立つ、 巨大な女神像で、正式名称は「世界を照らす自由」という。女神像は、7本の 「光の矢」のついた冠とゆるやかなローブを身につけ、右手にたいまつを、 左手に「1776年7月4日」と記された独立宣言書をもって自由を象徴する。 足元のこわれた鎖は、かつて奴隷の身であったことを示すものである。 フランスの彫刻家バルトルディが設計し、アメリカの独立百年祭を祝って、 フランスから贈られたものである。フランスは国民の募金によって像の製作費 を、アメリカは寄付によって台座製作費と設置費をまかなった。その除幕式は 1886年10月28日、クリーブランド大統領の入鋏によっておこなわれた。 冠の下の展望台まで、階段または緊急用エレベーターで登る事ができるが、 アメリカ同時多発テロ以降、治安上の理由から内部観光は一時中止され、今で も台座最上部にある展望デッキまでしかのぼれない。 小泉首相訪米は卒業旅行 ? |

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