今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年7月4日(火)昨日今日:旅行中…

 7月4日、【アメリカ独立記念日】今日はアメリカ人はお休みです。

 1776年7月4日、米国のフィラデルフィアでトマス・ジェファーソンらにより
起草された「アメリカ独立宣言」がジョージ・ワシントンにより発せられる。

 英国からの自由と独立を宣言し、アメリカ合衆国(当時は13州)が誕生する。
実際に独立を勝ち取るのは、その七年後のパリ条約によってでした。

 現在の合衆国は、本土の48州と飛び州のアラスカとハワイの2州、ほかに海外
領土など。星条旗の紅白13本のストライプは当時の13州を表現し、50個の星が州
の数です。

 独立当時の13州:デラウエア州、ペンシルバニア州、ニュージャージー州、
ジョージア州、コネチカット州、マサチューセッツ州、メリーランド州、
サウスカロライナ州、ニューハンプシャー州、バージニア州、ニューヨーク州
ノースカロライナ州、ロードアイランド州。

 アメリカ独立革命(American Revolution、アメリカ独立戦争)

 18世紀後半におこった、アメリカ東部沿岸のイギリス領13植民地と本国イギリス
との独立をめぐる一連の紛争。のちにフランスが独立諸植民地と同盟して参戦。
戦争は植民地側が共和制国家アメリカ合衆国を設立し決着。

 1777年、フランスは、サラトガの戦の勝利とジャーマンタウンでのワシントンの
戦闘ぶりをみて、アメリカ側に勝利の見込みがあると判断した。1778年2月、フラ
ンスは諸植民地の独立を承認し、通商同盟条約をむすぶ。フランスの援助は公然化
し、海軍の支援というワシントンの希望も実現した。

 講和への圧力:ワシントンは2年間、戦争終結の決定的局面をめざしていた。
パリのベンジャミン・フランクリンによる情報で、イギリスの世論は戦争継続を
支持していないことが明白だった。サラトガの戦のようなイギリスの軍事的敗北
がもう一度おこれば、国王と内閣は講和締結と独立承認への圧力にさからえない
情勢にあった。大陸軍の陸兵部隊とフランス艦隊によってイギリス軍を捕捉し、
大規模な降伏をさせようと彼は辛抱強くまっていた。フランスは、イギリスへの
報復に熱心で、海軍は艦艇も訓練も最高水準だった。

 独立の達成:ヨークタウンの戦で本格的衝突は終結したものの、講和交渉は
1783年9月3日のパリ条約締結まで長びいた。イギリスは旧植民地の独立を、
アメリカ合衆国として承認し、合衆国は国境を西はミシシッピ川まで拡大し、
北はカナダは得られなかったが、カナダとの境はオンタリオ湖からスペリオル湖
までの4湖の中心線となり、ニューファンドランドの漁業権がみとめられた。

 決断力と不屈の精神で勝利をもたらしたワシントンは、83年12月4日、ニュー
ヨークで大陸軍士官に別れをつげ、同月23日には、アナポリスでの大陸会議で
指揮権を返上、「すべての公的生活から」引退した。

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 自由の女神像( Statue of Liberty )

 アメリカ合衆国、ニューヨーク港内のリバティ島(旧称ベドロー島)に立つ、
巨大な女神像で、正式名称は「世界を照らす自由」という。女神像は、7本の
「光の矢」のついた冠とゆるやかなローブを身につけ、右手にたいまつを、
左手に「1776年7月4日」と記された独立宣言書をもって自由を象徴する。
足元のこわれた鎖は、かつて奴隷の身であったことを示すものである。

 フランスの彫刻家バルトルディが設計し、アメリカの独立百年祭を祝って、
フランスから贈られたものである。フランスは国民の募金によって像の製作費
を、アメリカは寄付によって台座製作費と設置費をまかなった。その除幕式は
1886年10月28日、クリーブランド大統領の入鋏によっておこなわれた。

 冠の下の展望台まで、階段または緊急用エレベーターで登る事ができるが、
アメリカ同時多発テロ以降、治安上の理由から内部観光は一時中止され、今で
も台座最上部にある展望デッキまでしかのぼれない。

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        小泉首相訪米は卒業旅行 ?

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