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平成18年7月4日(火)明早朝:準決勝のドイツ vs イタリア戦 1987年7月4日、自民党の竹下登幹事長が「経世会」を発足させる。 事実上の竹下派旗揚げであり、最大派閥・田中派の大半が参加し、田中支配が終焉。 1985年1月28日、毎日新聞朝刊に『竹下氏が政策集団を旗揚げ』というスクープ記事が躍る。 翌29日、創政会側がとってきた隠密行動が白日の下にさらされると、田中は、怒り狂った。 1985年2月7日、自民党を離党しながらも派閥領袖として影響力をもち続ける田中角栄に 反旗を翻した竹下登、金丸信らを中心に田中派内に“勉強会”として創政会を結成。 砂防会館別館3階の田中派事務所で、創政会の設立総会は開かれた。出席者は、 衆議院議員29人、参議院議員11人の計40人。 それから20日後の2月27日、田中は突然、自宅で倒れる。脳梗塞。この日以来、田中は、 政治の表舞台に一度も復帰することなく、黄泉への旅立ちをすることになった。 1987年7月、田中派から正式に独立し竹下を会長とする経世会(通称・竹下派)を結成。 竹下は、中曽根康弘の裁定により、自民党総裁と内閣総理大臣に就任。金丸が会長となる。 竹下がリクルート事件で辞任後も、最大派閥として金と人の両面から自民党を実質支配、 竹下派支配と呼ばれた。 その後、佐川急便事件で金丸が党副総裁、竹下派会長職と衆議院議員を辞職して混乱した 1992年に、竹下子飼いの“平成おじさん”こと小渕恵三が会長に就任するが、小沢一郎、 羽田孜らのグループが改革フォーラム21(羽田・小沢派)を結成して分裂。 分裂後は、 それぞれ、党内第4、第5の派閥であったが、羽田・小沢派は1993年6月に離党して、 新生党を結成、細川護煕連立政権を樹立する。 「坊主頭愛好会」の旅行のこと 昨日今日と、「坊主頭愛好会」の面々、一行9名のコンパクトなバス・ツアー。静岡
方面に出掛け、名刹のほか、大井川鉄道のSLに乗車する。昔の蒸気機関車とは異なり、 ベトナム産の無煙炭(かなり高価とか)を燃やすため、トンネル内でも窓をあわてて閉める 必要も無く、車中で昼食の弁当を食べる。平均速度は約35キロ。のどかな時間を楽しむ。 |

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