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平成18年7月5日(水)W杯準決勝、死闘120分、ドイツ終了間際の2失点。 1194年7月5日、延暦寺の訴えにより、栄西の禅宗布教が禁止へ。 1194年(建久5)、帰国した栄西(54)は、九州での成功を土台に中央でも禅を 広めようと入京。しかし、比叡山は朝廷に新興の禅宗の禁止を訴え出ました。 そして1195年(建久6)、栄西が禅宗を広めることを禁止する宣旨が出ます。 日本に本格的な禅を伝えたのは栄西。宋で禅に触れた栄西は帰国後、再度、 入宋します。帰国後、九州に留まり布教。禅宗が広まると、比叡山の要求で、 宣旨により禅宗は禁止されます。(宗教団体は、時の権力を取り込んで発展) 1195年(建久6)、弾圧を逃れて、栄西は博多で聖福寺を建立。栄西は仏法の 生命は禅であり、戒律であり、国家は仏法を護るものであり、仏法こそ国家の 宝であると説きました。 このような考えは時の権力と結びつき、栄西は幕府の要人に接近。鎌倉では 北条政子によって寿福寺が建立され、京都では第二代将軍頼家によって建仁寺 が建立されます。この後、栄西は本格的な布教活動を行います。そして栄西は 東大寺勧進上人となって東大寺再建の仕上げを行う。(1201年が建仁元年) ※ 建仁寺を建立した二代将軍・頼家は、頼朝急逝を受けて18才で将軍職に 就く。余りに非力なため直に北条時政と政子の画策により合議制が敷かれる。 建仁3年、頼家は伊豆の修善寺に幽閉され、翌・1204年、頼家は北条氏の放つ 刺客により暗殺される。頼家享年、23。頼家の義父・比企能員(ひきよしかず) の比企一族も全滅の憂き目に合う。ちから無き 身には重たし 笠の雪。 栄西(1141〜1215) 日本臨済禅の祖 栄西はまた、日本に茶をもたらした人物。そのお茶は肥前国背振山に植えら れ各地に伝えられました。栄西に「喫茶養生記」なる書物があります。 ○ W杯準決勝の影に隠れそうだが、どっこい、中日の朝倉が完封勝利! またまた弱い巨人に逆戻りしちゃったのか…。先週末には阪神に連勝、勢いをつけて首位との直接対決に臨んだ巨人だが、まったくいいところを見せられなかった。 「大事な1戦目なんだけどね…」。原監督は、先発・木佐貫の調子が悪いと見ると、3回途中から野間口に代える執念を見せたが、試合をブチ壊したのはまたもミスだった。 5回2死走者なしから、木村拓が何でもない二塁ゴロをエラー。その直後、好投を続けていた野間口が、井端、ウッズに連続本塁打を被弾。監督も「ああいう凡プレーが出ると相手に勢いづかせてしまう」と、ご立腹。。 ※ 最近の野球評論家の、巨人低迷の原因分析に共通する指摘は、原監督のメンバー交代の頻繁さ。だが、それはあくまでも結果論。組織の内部で戦っている原辰徳には、言いたい事はきっと山ほどあるだろう。それを言わせない読売・ナベツネが巨人の最大の敵なのです。 大事なトコ掴まれて、原監督泣いてます。巨人に、「もっと、光を!」 |

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