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平成18年7月9日(日)W杯、ドイツ3位。負けて2位より勝って3位が盛り上がる。 7月9日は、森鴎外の命日です。【鴎外忌】1922年没。享年60歳。 鴎外の最期の言葉は「馬鹿馬鹿しい」と言うつぶやきであったと言う。この、つぶやきに如何なる感慨を込めたのかは、余人の知るところにあらず。陸軍軍医でもあった彼は脚気で多くの兵士が死亡することで、病菌説を主張しており、脚気菌の発見に努力した。 しかし、海軍では栄養説をとり、海軍兵士に麦飯を供給した。それに対して陸軍では、皇軍兵士に麦飯を喰わすとは何事かと、激怒したと言う。鴎外は脚気がビタミンB1の欠乏によっておこる病気であると知ることなく、死んでいった。 ○ 脚気の歴史 脚気は中国では紀元前200年ごろから知られていた。17世紀にインドでこの病気を発見したオランダの医師は、何もできぬほど病的であるとし、これをberiberi(「私は何もできない」という意味)とよんだ。以来、欧米ではberiberiと呼ばれる。 日本で知られるようになったのは9世紀からで、元禄(1688〜1704)の頃から、江戸の町で大流行。それまでの玄米食から白米食にかわりつつあったためだと考えられる。明治期には軍隊で多発したが、海軍ではいち早く食生活の改善に取組み脚気をへらしたという歴史がある。 しかし一般にはその後も、全国各地に脚気患者が発生し、大正期までは毎年2万人以上が脚気で死亡した。昭和になってからは、脚気の原因に対する知識が国民の間に広がり、ビタミンB1を配合した強化米などが登場して、脚気は少なくなった。 ○ 三鷹・禅林寺境内にある「遺言文」(※官に対する恨み、無しとせず。) 余ハ少年ノ時ヨリ、老死ニ至ルマデ、一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリ。ココニ死ニ臨ンデ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス。死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何ナル官権威力ト雖、此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス。余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス。宮内省陸軍皆縁故アレトモ生死別ル瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス。森林太郎トシテ死セントス。墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス。書ハ中村不折ニ委託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ。手続ハソレゾレアルベシ。コレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ、何人ノ容喙(ようかい、口をはさむこと)ヲモ許サス。 大正11年7月6日 森 林太郎 言 賀古 鶴所 書 (石見国鹿足郡津和野町:現・島根県鹿足郡津和野町の生まれ) (中村不折<1866〜1943>は、明治大正昭和を通じ、洋画と書道の雄) ○ 禅林寺には、太宰治の墓もあります 昭和24年(1949) 6月の一周忌に太宰の墓が、森鴎外の墓の斜め前に建てられた。昭和19年(1944)に発表された「花吹雪」に、「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。(中略) ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨もこんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」という一文があり、その意が汲まれたもの。青森県五所川原市には、津島家の墓があります。 ※ 太宰の娘・太田治子氏によれば、津島家とは全く没交渉とのこと。 ○ 森鴎外の『渋江抽斎』は、自らの身上に寄せている。 三十七年如一瞬 (あっと言う間に37才に、なっちまった…) 学医伝業薄才伸 (家業の医者を細々と続けちゃあ、いるものの) 栄枯窮達任天命 (出世するやら、しないやら、俺の知ったこっちゃない) 安楽換銭不患貧 (安気なその日暮らしで、なんとか生きちゃあいけるさ) 渋江抽斎、37歳、三人の子持ち。その述志の詩。天保12年暮の作。弘前藩の城主・津軽順承(ゆきつぐ)の定府の医官で、当時近習詰になつていた。しかし隠居附となり主に柳嶋にあつた信順(のぶゆき)の館ヘ出仕することになつていた。父允成が致仕して、家督相続をしてから十九年、父を失ってから四年になつている。三度目の妻・岡西氏の徳と長男・恒善、長女・純(いと)、二男優善(やすよし)の五人暮し。主人が37、妻が32、長男が16、長女が11、二男が7才。邸は神田弁慶橋にあつた。知行は三百石。しかし抽斎は心を潜めて古代の医書を読むことが好きで、知行より外の収人は殆ど無かつただらう。只、津軽家の秘方・一粒金丹と云ふものを製して売る事を許されていたので、若干の利益はあつた。 ※ 森鴎外自身は、軍医総監にまで昇り詰めた。(本名は森林太郎)そのような地位にありながらも尚、小説を書き続けることは、精神的均衡を保つに大いに悩んだであろう。絶賛する樋口一葉が夭折した際も、葬儀に参列する事を憚り、遠巻きに馬上から見送った。単に医者と小説家ならば今日も多く見られるが、軍人と小説家となれば、中々面倒だ。 島根県津和野町の森鴎外墓 (永明寺) |

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「舞姫」については受験用に記憶したときと実際に読んだときとの感覚が全く違ったことをはっきり覚えています。舞姫ってそういうことだったんだと理解ができました。蛇足ですが、海外への単身赴任ではよくある事象ですので。
2006/7/9(日) 午後 2:00