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7月13日は【盆迎え火】です。四日間のお盆の第一日です。 家を浄めるとともに先祖の霊に家のありかを知らせるのが目的の迎え火。 13日の夕方に、芋殻を門口で燃やして、先祖の霊に家の在処を知らせます。 月遅れの8月13日に行う地方もあれば、稀には旧暦で行う地方もあります。 ○ お盆(盂蘭盆会、うらぼんえ)の起原 精霊会(しょうりょうえ)、魂祭(たままつり)とも言います。(祖霊信仰) 盂蘭盆の起原については二説ある。ひとつは「倒懸」つまり逆さづりの意の サンスクリット語・ウランバナの漢字音写だとする説で、釈迦の十大弟子の ひとり目連が、死後、餓鬼道におちた母親の倒懸の苦しみをすくうために、 釈迦の教えに従い供養、祈願したのが盂蘭盆会の始まりとされます。 もうひとつは、死者の霊を意味するイラン語系のurvanという語に由来し、 イラン系ソグド人が中国につたえ、畑作農業の収穫祭として中元と結合し、 それが仏教にとりいれられたという説です。 ○ 中国の盂蘭盆 盂蘭盆の風習は、中国では中元とむすびついて道教にもとりいれられた。 道教では道士(仏教の僧侶にあたる者)が経典をよんで、餓鬼道に堕ちて、 苦しんでいる死者を救う日とされる。他方、仏教では6世紀南朝の梁で、 仏教信者の武帝のもとで盂蘭盆斎が同泰寺でおこなわれたと伝えられる。 また同時代の「荊楚(けいそ)歳時記」は、盂蘭盆が民間にも普及していた ことを記しています。 ○ 日本の盂蘭盆 日本では、606年(推古天皇14年)に寺院ではじめて7月15日の斎会(法要)が おこなわれ、659年には京都の諸寺で、「盂蘭盆経」が講じられて祖先を供養 した。奈良時代の733年(天平5年)には、宮内省の大膳職(だいぜんしき)に、 盂蘭盆会の準備が命じられており、盂蘭盆会は朝廷の恒例仏事となりました。 目連が母を救う説話も、平安時代の説話集「王宝絵詞」に紹介されるなど 人々に知られるようになる。 ○ 盆踊(ぼんおどり)(その昔は墓地で踊ったとか‥) 盂蘭盆にむかえた死者の霊をなぐさめるために、大勢の人が広場や道など でおこなう踊り。 南無阿弥陀仏の名号を節をつけて唱えつつ踊り、死者を供養する踊念仏は 平安時代から念仏聖(ひじり)がおこなっていた。村落で祖先供養のために、 行うようになったのは中世からで、初めは華やかな風流の作り物が出る念仏 拍物(はやしもの)などと呼ばれるものだった。笛や太鼓で囃し、16世紀には 京都を中心に地方へ拡がったが、お盆以外にも踊られていた。 京都では歌や衣装などを統一した組をつくっている。江戸時代には三味線 が加わり、踊りは定型化し、単純化していく。老若男女がおどり、殊に若者 には男女の恋愛遊戯だった古代の歌垣的な機会でもあった。 踊りは、広場の中央に組んだ櫓に音頭と囃子方(はやしかた)が上がり、踊り手は 櫓をかこむ輪をつくって踊るのが一般的であるが、連(組)ごとに道路をおどり流す 徳島の阿波踊りなどのようなものもある。秋田県羽後町の西馬音内(にしもない)盆 踊りは中世以来の歴史をもち、岐阜県郡上市八幡町の郡上踊り、愛知県新城市大海 (おうみ)の放下(ほうか)、熊本県山鹿市の灯籠踊(とうろうおどり)、富山県富山市 八尾町の「おわら風の盆」での踊りなど、各地に特色のある盆踊があります。 ○ 岐阜・八幡町の「郡上おどり」(7/13〜9/6) 「水と踊りの城下町」で知られる岐阜県八幡町で、郡上おどり(国重要無形民俗
文化財)が開幕し、熱い夏がスタートします。9月6日までの延べ32夜で八幡町は 期間中、35万人以上の人出を見込んでいる。約400年前、郡上藩主が領民の融和を 目的に、踊りを奨励したため盛んになったとされる郡上おどり。この日は午後8時 前、 主会場の郡上八幡旧庁舎記念館前広場に色とりどりの浴衣姿の踊りファンら に囲まれた屋形が入場。約8000人が情緒あふれるおはやしに乗って、「かわさき」
や「春駒」など十種類の踊りを屋形を中心に繰り広げる。
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盆踊りにはそういう意味があったのですか?キリスト教にも死者の日というのがあって、死者がなかなか天国にいけないで、もがいているので、家人が祈って、死者が早く天国に行けるようにするのです。
2006/7/23(日) 午前 10:25