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7月17日は【あじさい忌】です。石原裕次郎の命日。 1987年(昭和62年)7月17日、石原裕次郎が逝去。生前好んでいた花に因み 「紫陽花(あじさい)忌」と呼ぶ。エーンヤコラ、ヨーイヤサ〜、の掛け声で 辻を回る山鉾巡行の日が裕次郎の命日とは、死んでからも華のある人です。 ○ 石原裕次郎(1934〜1987) 昭和30年代に絶大な人気を博し、当時の若者に多大な影響をあたえた俳優 ・歌手。神戸生まれ。1955年(昭和30)兄・石原慎太郎の小説「太陽の季節」 が話題をよんで芥川賞を受賞、翌年それを原作とした日活映画に慶応大学生 の裕次郎が端役として出演、一躍人気者となる。 続く石原慎太郎原作・脚本による「狂った果実」で主役を演じ、1957年には 「勝利者」「今日のいのち」「海の野郎ども」「鷲と鷹」「俺は待ってるぜ」 「嵐を呼ぶ男」と、主演作があいついで大ヒット。「俺は待ってるぜ」「嵐を 呼ぶ男」の主題歌もベストセラーとなった。 1963年、石原プロモーションを設立、自主製作にのり出す。ヨットで太平洋を 横断した青年をドキュメンタリー・タッチで追った市川崑監督の「太平洋ひとり ぼっち」(1963)で芸術祭賞を受賞。「黒部の太陽」(1968)「栄光への5000キロ」 (1969)などの作品でもヒットをとばした。 歌手としても1965年までの10年間に100曲以上を吹き込み、500億円を上まわる 売り上げを記録して、1967年度芸能人高額所得者番付のトップとなった。 だが、1960年代末からは自主製作作品が興行的に失敗し、日活の路線変換など もあり、プロダクション経営の維持に奔走。1972年4月より東宝テレビ室製作の 「太陽にほえろ」がスタート。石原プロ製作による「大都会」シリーズがこれに つづき、活動の中心はテレビに移った。70年代末からはカラオケブームにより、 1960年代のヒット曲がふたたび注目をあつめた。 ○ 「太平洋ひとりぼっち」(1963) 市川崑監督 これも興行的には、大失敗のひとつ。後年、市川崑は「ヨットにモーターを 付けなかったことが最大の失敗だった…。」と述懐したように、撮影は終始、 風待ちだった。結局、思うような絵が撮れずに、監督に徒労感が残った。 石原裕次郎記念館(小樽) http://www.yujiro-kinenkan.com/index2.htm TEL(0134)34-1188 E-mail:info@yujiro-kinenkan.com それにしても、石原裕次郎ばかりでなく、映画スターの独立プロは三船敏男、 万屋錦之助、勝新太郎、いずれもコケちゃいました。石原プロは最後まで頑張り ましたが、渡哲也という貴重な役者を塩漬けにしてしまった感があります。 子の傘の紫陽花よりも小さくて 田中裕明 紫陽花のパリーに咲けば巴里の色 星野 椿 森駈けてきて火照りたるわが頬を 埋めんとするに紫陽花暗し 寺山修司
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こんにちは。 大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。 昭和33年のスターベストテンもとりあげています。 よかったら、寄ってみてください。 http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
2007/5/13(日) 午後 7:10 [ kemukemu ]