|
平成18年8月1日(火)夏に付き物の水の事故。いつまでも“付き物”でいいのかね。 「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」……ビスマルク。 人間が自らの経験のみに学ぶ限り、人間は際限なく同じ過ちを繰り返す。人間が歴史のみ に学び、自らの経験が浅薄ならば、歴史から汲み上げる井戸水は甘露水たり得ない。両者 が相俟ってはじめて、人間の叡智と呼ぶべきものが発露する。 日常生活の身辺に横たわる「死」に鈍感であってはならない。生と死と、なんらの隔た りも無いところで、私たちは暮らしているのだ。 今日は八月一日で、八朔(はっさく)と申します。 八朔:旧暦の八月朔日(ついたち←月立ち)のことで、今日の新暦とは違いますが まっ、それでも一応は八朔でございます。ちなみに柑橘類のハッサクは八月一日頃に 収穫するところから、その名がつきました。(亡き父の、「ハッサクなんか意味あるかっ」) 八朔(旧暦・今年は9月22日のようです。) 本来は、旧暦八月朔日頃に天候が荒れることが多いとして、記されるようになった悪日。 二百十日・二百二十日と併せて三大悪日とも呼ばれる。(アーウィッ、なんてヒドイ、 言い方…。日日是好日)現在は新暦の8月1日をも「八朔」と呼ぶことがあるが、台風が 来襲する時期と考えると旧暦日の方が適しているようです。 八月一日頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古く からありました。この事から、田の実の節供ともいう。この「田の実」を「頼み」 にかけ、武家や公家の間でも日頃お世話になっている、つまり頼み合っている人に その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった。(頼みの節供) 熊本山都町矢部の八朔祭 (2006/9/3 Sun) また、徳川家康が天正18年8月1日(1590年)に、公式に江戸城に入城したと されることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた。明治改暦以降は 新暦8月1日や、月遅れで9月1日に行われるようになった。 八朔の馬 そして京都・祗園では、舞妓さんが御師匠さんに挨拶回りをする日です。 京都・祇園の芸妓(げいこ)や舞妓(まいこ)が、芸事の師匠やお茶屋に挨拶回りを する恒例の「八朔」。黒紋付きの正装をした芸妓らが次々と訪れては「おめでとう さんどす」などと挨拶を交わす。日ごろから世話になっている人にお礼や贈り物を する古くからの風習が、今も花街に残っている。花街のお正月です。 「おめでとうさんどすおかあさん」 「体に気つけておきばりやす」 「おかあさんこれからもおたのもうします。」 八 朔 祭 八朔の頃、台風や病害虫の被害をこうむる事が多いため、風雨の順調や五穀豊穣 家内安全を祈ることを目的として、行われる祭り。 山梨県都留(つる)市の八朔祭は、都留市を代表する祭で、生出神社の例祭。地元 では「おはっさく」と呼ばれ、月遅れの9月1日に行われる。特定の神社のお祭り としてよりも、民間行事として親しまれています。その歴史は古く、江戸時代初期 にまで遡るものと言われています。 神輿や獅子舞はもちろん、見所はなんと言っても総勢130名に及ぶ大名行列。 寛永十年(1633年)に入封以来、秋元但馬守泰朝、二代越中守富朝、そして秋元家の 中興の祖と仰がれる三代喬朝の72年間の統治時代に、政治・経済・文化の発展を なし得た感謝の気持ちと、五穀豊穣を願って農民たちが十万石の格式に仕立てあげ て表したとされています。古式にのっとり「下ニィ〜、下ニィ〜」と繰り出す大名 行列は、まさに歳月からの贈り物です。 松尾大社(京都市西京区嵐山宮町3、洛西総氏神・醸造祖神) 台風シーズンを前に風雨安穏、五穀豊穣、家内安全などを祈願。 奉納大相撲や「女みこし」と酒樽の「子供みこし」の巡行があります。 夜には数千個の提灯で照らされる境内で「嵯峨野六斎念仏」が演じられます。 日 時:9月7日(日)10:00〜 奉納大相撲 8:00〜16:00頃まで 女神輿 10:00 大社出発 → 13時頃 渡月橋付近で舟渡御 子供神輿 14:00頃〜 嵯峨野六斎念仏 16:00頃〜 場 所:松尾大社 http://www1.neweb.ne.jp/wa/matsuo/ |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



