今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年8月2日(水)昨夜:阪神恒例の「死のロード」は9回裏、井川が李に
 サヨナラ2ランを喫して幕を開けた。中々に、死語にならない「死のロード」。

 うどん供え 母よ私も 頂きまする       山頭火

 「いい句だな」、父も気に入る 山頭火     屋上土(納音<なっちん>)


 1990年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻。湾岸戦争の発端となる。

 イラクは1961年に、クウェートがイギリス領から独立して以来、クウェートの
領有権を主張してきており、イラクにとって豊富な油田のあるクウェートの併合
は経済的にも望まれる物であった。

 これ以降、イラクとクウェートでは油田を巡る国境線の修正問題が頻発する。
1974年には、イラクは2度に渡りクウェートに侵攻するが外相会談によりこれを
撤退させる。その後イラン・イラク戦争の勃発で、イラクはクウェート国境の軍
事力をすべてイラン方面に向け、その間クウェートとの問題は影を潜めていた。

 しかし、戦争終了後の経済的低迷はイラク国内で深刻化した。ペルシャ湾への
出口を確保し、経済的にも、サウジアラビアに並ぶ近代アラブ国家を設立したい
イラクとサダムフセインにとり、クウェートの恵まれた土壌は長年望まれたもの
であった。

イメージ 1

 これらの事情により1990年8月、遂にイラク軍は大規模な地上部隊をもって、
クウェート領に侵攻を開始した。湾岸最大の軍事大国と言われるイラクは1万両
の機甲車輌と百万の軍隊、さらに精鋭である大統領警護隊20万を所持しており、
人口二百万人のクウェート攻略は容易に果たす事が出来た。

 イラク占領下のクウェートでは、要人の殺害や虐殺、暴行、強盗が繰り広げら
れた。西側諸国はペルシャ湾岸地区に石油産業を依存しておりこれらの情勢不安
は世界各国の経済危機に直面する。日本国では石油の90%をペルシャ湾岸地区に
依存しておりこれらの湾岸危機は憂慮すべき事態となっていた。

 対して国連はイラクの即時撤退を求める国連決議第660号を採決。8月3日には
アメリカのブッシュ大統領が、サウジアラビアの安全確保とクウェートの治安回復
を理由にアメリカ軍の派遣を決定。国際社会はイラクに対して非難を浴びせイラクは
孤立していく。8月6日にはイラクへの全面禁輸措置がとられ食料、医薬品などが
ストップする。

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papa.ブッシュ、George Herbert Walker Bush

 これに対してイラク軍は、イラク国内に残った西側外国人1万人をイラク国内の
軍事、石油施設に連行し、人間の盾作戦決行を表明。この行為により、イラクより
の立場を示す中東諸国からも見放される結果となった。アメリカ軍は10月までに、
予備役の招集を完了し、20万人の兵士をサウジアラビアに派遣。サウジ防衛と近隣
制空権の維持を目的としたデザートシールド(砂漠の盾)作戦を展開。

 1991年1月、イラク政府はこれまで盾としてきた外国人の解放を宣言するものの
クウェートからの撤退には応じず、これまでに60万人に達していたアメリカ軍中心
の多国籍軍は、デザートストーム(砂漠の嵐)作戦を開始。(第一次湾岸戦争)

 1月17日には夜間飛行能力を持つアメリカ軍戦闘機部隊及び艦船からの巡航ミサ
イルが首都バグダッド、ほかイラク全土の拠点を空爆、全面戦争状態に突入。

 これに対してイラク軍は、イスラエルに向けてスカッドミサイルを発射。戦争の
目的を自国の経済、石油問題から中東問題にすり替え、イスラム国家の同調を待つ
作戦に出た。しかしこれらの行為は、アメリカの外交とイスラエルの自制により、
不発に終わる。2月24日には、多国籍軍地上部隊がイラク領内に侵攻を開始。わず
かに百時間程度の地上戦で圧倒的勝利を収め、イラク軍は敗北する。

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 ○ 陰謀説?

 この戦争について、いくつかの事例から「アメリカによって仕組まれた戦争で、
イラクはのせられた」とする見方がある。この説の根拠はおおよそ以下のような事
だが、イラクがクウェートに侵攻したのは事実であり、非難されるのはイラクの方
であるという考えが一般的。

 イラクは、イラン・イラク戦争でイスラム革命からアラブ君主国家を守ったと、
自負していたが、クウェートが戦時債務の即時返済を要求。それをイラクが断ると
イラク・クウェートの国境地帯にあるルメイラ油田から大量採掘を開始。

 米国政府は戦前・戦中にかけて、ことさらイラク軍の脅威を誇張し、世論を武力
制裁やむなしと言う流れに変えた。だが地上戦になると、実際のイラク軍は装備も
貧弱で士気もまるで低く、多国籍軍の猛攻から逃げ回るばかりだった。

 1990年7月25日に、イラクがクウェート併合を示唆した際、アメリカの駐イラク
大使エイプリル・グラスピーは「国境問題に介入するつもりはない」と発言。

 1990年7月31日のイラク・クウェートによるジッダ会談においてクウェート側が
フセイン大統領が私生児であることを揶揄するなど、侮辱的な態度を取った。

 1990年10月、クウェートの少女が米国議会において、イラク兵が病院で赤ん坊を
床にたたきつけたなどと涙ながらに惨状を証言。開戦に疑問を抱いていた米国世論
は一気に反イラク色に染まった。しかし後に、少女は駐米クウェート大使の娘で、
現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚した。

 また、湾岸危機から戦争にかけて石油価格は値上がりし、欧米の石油メジャーは
巨利を得た。ソ連は和平工作をすることにより存在感を表したが、それは戦争直前
のことであり、ソ連自身も産油国であり実際には石油価格値上がりを期待していた
と思われる。

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地対空ミサイルシステム「MIM-104 Patriot」(「パトリオット」とは『愛国者』の意)
(どっかの国が、愛国心を国民の義務として、法制化しようとしてたっけ…?)


 『湾岸戦争−いま戦争はこうして作られる』ラムゼイ・クラーク、中平信也 訳

 最近では、宗教は“儲かるビジネス”とよく言われるが、“儲かるビジネス”の
本家本元は、古来、戦争なのだ。

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