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平成18年8月3日(木)昨夜:竜虎ともに連敗、セリーグの灯は消しません。 WBA世界ライトフライ級タイトル戦で亀田、不可解な判定“微妙”な王座。 作られし偶像なればつかの間の 王座むなしく地に堕つるなり 茶番タイトルマッチ、国辱的な「疑惑の判定勝ち」 世界ボクシング協会ライトフライ級王座決定戦で、王座に就いた亀田興毅が国辱的な「疑惑の判定勝ち」で重いツケを負うことに。中継のTBSは当初、大晦日で検討していた防衛戦の予定を変更。「企業イメージの悪化懸念でCMオファーは激減必至」(広告関係者)という一方、ボクシング関係者からは、「これで3階級制覇は間違いない」との仰天予想も。 しらけムードの報道陣をよそに、悲願の世界制覇で亀田父子がそろって涙、涙となった会見。同席した協栄ジムの金平桂一郎会長は1人、終始険しい表情を崩さず「想定していた最悪のケースだった」と厳しく試合を振り返った。 いくら開催地有利のホームタウンディシジョンが常識の世界とはいえ、行きすぎたそれはむしろ国辱的だろう。事実、TBSの中継は、終盤で「まだ時間は残されています」と連呼。まるで敗戦が確定的のような実況だった。2−1で亀田勝利のジャッジがアナウンスされると、会場は歓声以上に、大きなどよめきと失笑に包まれた。 また、今後の亀田人気の凋落懸念は、一挙にCM業界にも広がる。戦前「チャンピオンになれば、SMAPや松井秀喜なみの1億円プレーヤーになる」(広告関係者)とされたが「企業のコンプライアンス意識が問われる近年、灰色決着の王者はイメージが悪すぎる」と言うのだ。ホリエモンの経営手法にも似た“時価総額人気”で注目を集めてきただけに陣営はこの先の展開に頭を悩ませることになった。
1946(昭和21)年、樫尾忠雄が東京都三鷹市に樫尾製作所を設立。 1957(昭和32)年、歯車などの機械的機構のない小型純電気式計算機「14-A」を 世界で初めて開発した、忠雄・俊雄・和雄・幸雄の樫尾四兄弟によって、 カシオ計算機株式会社を設立。初代社長は四兄弟の父親・茂が就任する。 1965(昭和40)年、電子式卓上計算機「001」を発売。 1972(昭和47)年、世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を12,800円で発売。 後継シリーズも合わせて累計1000万台以上の爆発的ヒットを記録した。 Casio Mini (Casio) カシオ計算機 60年代に電子式卓上計算機(電卓)が発売されたあと、急速な技術革新により電卓の価格は急激に下がったが、1972年当時でも3万円程度と、オフィスで使うのはともかく個人が簡単に買える商品ではなかった。そんな電卓に対するイメージを根底から変えたのが、カシオ・ミニである。当初の価格は1万2800円、市場価格の3分の1という常識破りの低価格であった。 ライバル各社に激震が走り、廃業や電卓部門からの撤退を余儀なくされる企業が続出した。そしてパーソナルユースをコンセプトに開発されたカシオ・ミニは狙いどおり全国の家庭へ普及。出荷台数は発売後約10か月で百万台に達した。その後3年の間に、生産コストを大幅に下げ、4800円という価格を実現。これにより個人需要はさらに高まり販売台数600万台という驚異的な記録を残します。個人を対象とした「大衆電卓」の走りともいえる電卓であった。 ♪ 答え〜イッパツ、カシオミニ〜 ♪ 今では、高機能機も千円を切る価格でぶら下がってます。百均もあるでね。 |

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こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
「昔の広告」でカシオミニをとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
2007/10/6(土) 午後 10:28 [ kemukemu ]