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平成18年8月11日(金)昨夜:楽天市場でシステム障害、7413店が一時、影響。 8月11日は、【ガンバレの日】です。がんばらんば! 1936年(昭和11年)のこの日、第11回オリンピック・ベルリン大会、女子200メートル平泳ぎ決勝で前畑秀子が優勝。そのラジオ中継でNHKの河西三省アナウンサーが、「前畑がんばれ」と連呼したことに由来します。彼はゴールするまでに「がんばれ」を38回連呼、ゴール後は「勝った」を19回連呼したそうです。 ○ 兵藤秀子 <1914年(大正3年)〜1995年(平成7年)> 和歌山県のHPより 和歌山県橋本市生まれ、日本人女性初めてのオリンピック金メダリスト。 小学校4年生の時、紀ノ川の水泳練習に参加し、神戸商船学校の水泳選手から近代泳法を習う。水の流れがある場所で泳ぐため、泳法を身につけるのは並大抵ではなかったが、平泳ぎの指導を受けて力をつけていく。 大正15年、大阪府浜寺プールで開かれた学童水泳大会で50メートル平泳ぎ決勝に出場し46秒0という学童女子日本新記録をうち立てる。昭和3年、大阪にて開かれた水泳大会の百メートル平泳ぎ、昭和4年、ハワイで開催の汎太平洋女子オリンピック大会出場選手選考会等で続々と優勝し、日本新記録を樹立。昭和5年、校長の勧めもあり椙山高等女学校の3年生に編入し、練習に励む毎日を送る。 昭和6年、母と父が相次いで亡くなる。精神的な打撃は深刻で、スポーツどころか退学しなければならない状況であったが、椙山校長の支援もあり再び水泳をはじめる。 昭和7年、第10回ロサンゼルスオリンピックでは、僅か0.1秒差で惜しくも2位となる。当時、女子はスポーツだけではなく社会で活躍できる雰囲気ではなく、それだけに男子以上に優勝というプレッシャーが重くのしかかる。その重圧をはねのけ、昭和11年の第11回ベルリンオリンピックでは、3分3秒6で優勝、金メダルを獲得する。 この大会を最後に現役を引退し、翌年結婚。その後、母校で後輩の指導にあたる一方、日本最初の「ママさん水泳教室」や「中高年齢水泳教室」を開くなど、水泳の普及に尽力。69歳の時、脳溢血で倒れ再起不可能とまで言われたが、持ち前の精神力で体を動かし、右半身にマヒが残る体でありながら、各地で水泳指導に当たるなど、水泳の魅力を説き続け水泳の申し子ともいえる生涯を送る。昭和56年、アメリカの水泳殿堂入りを果たし、五輪功労賞を受賞。平成2年、女子スポーツ界初の文化功労者に選ばれる。 ○ 中継アナとしては大失態の、不朽の名実況 1936年8月11日、ベルリンオリンピックで前畑秀子選手が優勝しました。 種目は女子200メートル平泳ぎ、そしてなんと言っても河西アナの実況が有名。 「ターンしました。ただいま、ターンしました。わずかにリード。前畑がんばれ、がんばれ、がんばれ。あと40、あと40。前畑リード、前畑リード。ゲネンガーも出ております。ほんのわずか、ほんのわずか。前畑わずかにリード、前畑がんばれ、がんばれ。あと25。わずかにリード、わずかにリード。前畑がんばれ、がんばれ前畑、ゲネンガーが出ております。危ない、がんばれ、がんばれ、がんばれ、前畑リード、前畑リード、前畑リードしております。前畑がんばれ、前畑がんばれ。リード、リード、あと5メートル。前畑リード、リード、リード、勝った、勝った、勝った、前畑勝った。前畑勝ちました! 前畑勝ちました! 前畑優勝です。 前畑優勝です」 (NHKサービスセンター 製作・販売 CD「アナウンサーたちの70年」より) エッセー『あの瞬間』 兵藤秀子(旧姓・前畑) わたしは、もう45年以上も、1枚のレコードをだいじにして持っています。そのレコードは、わたしの人生のもっともすばらしかった瞬間を伝えてくれるたいせつなたいせつな宝物です。時々、わたしはひとりで、そのレコードをかけて聞いてみることがあります。レコードをかけてみると、全体にふっている雨が風にあおられているような、ザアザアというさわがしい音がします。でもそれは無理もありません。レコードの音は、はるかなヨーロッパにあるドイツのベルリンから、地球の半周近い隔たりを伝わって日本に送られてきた音なのですから。またレコードは、ゆれている波のように、音が強くなったり弱くなったりします。これも音波が遠い遠い空中を伝わってきたせいでしょう。 しかし、その雑音や波をかきわけるようにして、やがてしかっりした、そのくせ興奮した男の人の声が聞こえ出します。「・・・前畑わずかにリード、わずかにリード、125、125、125、わずかにリード、わずかにリード。ゲネンゲル、強豪ゲネンゲルつづいております。地元ドイツの応援はさかんにゲネンゲルに声援をおくっております・・・」 これはNHKの河西アナウンサーが、昭和11年にドイツのベルリンでおこなわれた第11回オリンピック大会のもようを実況放送しているのです。 放送しているのは、水泳の女子平泳ぎ200メートル決勝です。河西アナの声が、雑音をはねのけるように、ますます高くなっていきます。「・・・前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!あと40、あと40、あと400、あと40。前畑リード、前畑リード、ゲネンゲルも出ております。ほんのわずか、ほんのわずかなにリード。ガンバレ! 前畑ガンバレ!・・・」熱戦のようすが、手にとるように伝わってきます。この決勝戦が行われたのはベルリン時間の午後3時40分です。日本は真夜中になっていました。 でも、日本じゅうの人たちが、ラジオにかじりついて河西アナウンサーの実況放送に聞き入っていたという話です。「ガンバレ、前畑!ガンバレ、日本!」手に汗をにぎりながら、心の中で河西アナウンサーと同じようにさけんでいたということを聞きました。河西アナウンサーの声にもますます熱が加わります。 「・・・前畑ガンバレ。前畑ガンバレ。リード、リード。あと5メートル、あと5メートル・・・」レコードのその声を聞いているうちに、わたしも血わき肉おどる感じがして、しだいしだいに興奮してしまいます。といいますのは、河西アナウンサーが「前畑、ガンバレ」といっている前畑は、ほかならぬ22歳の時のこのわたし自身だったからです。わたしは結婚して兵藤秀子となるまで前畑秀子といっていました。 レコードを聞いていると時々、「ああ、あのゲネンゲルさんとはげしい接戦を演じたのは、ほんとにこのわたしだったのかしら」と思ってしまうことがあります。なんだか、わたしとはまったく関係のない人がプールを泳いでいるような気がしてならないのです。でもアナウンスを聞いているうちに、「ああ、やっぱり私なのだ」という気になってきます。「あと4メートル、3メートル、2メートル、あっ前畑リード、勝った!勝った!勝った!勝った!勝った!勝った!前畑が 勝った!前畑が勝った!」。 アナウンスは、すっかり興奮しきった声でまだつづきます。「・・・前畑が勝った!前畑が勝ちました!前畑が勝ちました!前畑が勝ちました!前畑の優勝です。前畑の優勝です。ほんのわずか、ほんのわずかでありましたが、前畑優勝。前畑日章旗をあげました。前畑さんありがとう!ありがとう!優勝しました、女子はじめての大日章旗があがるのです」。 いったい何度「勝った」ということをいってくださったでしょう? するとわたしの心は、いつのまにか遠いベルリンに向かってとんでいくのです。そうしてオリンピックプールで全力をつくしてたたかった22歳の私に、すうっと戻ってしまうのです。 表彰式になりました。「泣くんじゃないよ。自分の目で、あがっていく日章旗をしっかり見てくるんだよ」団長さんがおっしゃいました。「はい、けっして泣きません。」わたしは、にっこり笑って答えました。名前を呼ばれて、表彰台の一番高いところにのぼりました。二位はドイツのゲネンゲルさん、三位はデンマークのゼーレンゼンさんです。「近代オリンピックの生みの親」といわれるクーベルタン男爵から、桐の箱にはいった金メダルをいただきました。ものすごく大きく、りっぱに見えました。「オメデトウ。ヨク、ヤリマシタネ」 |

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