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平成18年8月19日(土)ロシア拿捕事件、今朝遺体引き取り、船長は高額罰金刑? 8月19日は、「俳句の日」です。 正岡子規研究家の坪内稔典氏らの発案で、1991年(平成3年)に制定。 「8」「19」を「は」「いく」と語呂合わせ。以下は、正岡子規の句作。 鶏頭の 十四五本も ありぬべし (病床の子規の、目いっぱいの世界) 夏草や ベースボールの 人遠し (野球を愛し、野球<のぼーる>と自称) 草茂み ベースボールの 道白し (四球、走者、直球は子規の訳語) 漱石が 来て虚子が来て 大三十日 (大晦日に弟子たちが挨拶に来訪) 毎年よ 彼岸の入に 寒いのは (子規の母が、何気なく言った言葉) 夏嵐 机上の白紙 飛び尽す (ひとっ風に払われ果てし汝が世界) 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺(子どもの頃「柿と鐘」は連動すると信じた) 日のあたる 石にさはれば つめたさよ 薪をわる いもうと一人 冬籠 (子規は病床暮らしが長かった) 小刀や 鉛筆を削り 梨を剥く 白魚や 椀の中にも 角田川(隅田川) (そんなにも、きれいな川だったとは!) 六月を 奇麗な風の 吹くことよ 世の中も 淋しくなりぬ 三の酉 吹きたまる 落葉や町の 行き止まり 中村不折画:不折は子規庵の斜向こうに住んでいた画家・書家。 『子規と野球』斎藤茂吉 私は七つのとき村の小学校に入つたが、それは明治廿一年であつた。丁度そのころ、私の兄が町の小学校からベースボールといふものを農村に伝へ、童幼の仲間に一時、小流行をしたことがあつた。東北地方の村の百姓は、さういふ閑をも作らず、従つて百姓間にはベースボールは流行せずにしまつた。 正岡子規が第一高等中学にゐてベースボールをやつたのは、やはり明治廿二年頃で、松羅玉液といふ随筆の中でベースボールを論じたのは明治廿九年であつた。松羅玉液の文章は驚くべきほど明快でてきぱきしてゐる。本基(ホームベース)廻了(ホームイン)討死、除外(アウト)立尽、立往生(スタンデング)などの中、只今でもその名残をとどめてゐるものもあるだらう。 『球戯を観る者は球を観るべし』といふ名文句は、子規の創めた文句であつた。『ベースボールには只一個の球(ボール)あるのみ。而して球は常に防者の手にあり。此球こそ此遊戯の中心となる者にして球の行く処、即ち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戯の中心も常に動く』云々に本づくのであつた。 明治卅一年、子規はベースボールの歌九首を作つた。明治卅一年といへば、 子規の歌としては最も初期のもので、かの百中十首の時期に属する。 『久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも』 子規も明治新派和歌歌人の尖端を行つた人であるが、『久方の』といふ枕言葉は天(あめ)にかかるものだから同音のアメリカのアメにかけた。かういふ自在の技法をも子規は棄てなかつた。また一首の中に洋語系統のアメリカビト、ベースボールといふ二つの言葉を入れ、そのため、結句には、『見れど飽かぬかも』といふやうな、全くの万葉言葉を使つて調子を取らうとしたものである。つまり子規のその時分の考へは言葉といふものは、東西古今に通じて、自由自在を目ざしたものであり、その資材も何でもかでもこだはることなく、使ひこなすといふことであつた。ベースボールの歌を作つたのなどもやはりさういふ考へに本づいたものであつた。それ以前にも『開化新題』の和歌といふものがあつたけれどもそれと子規の新派和歌とは違ふのである。 『若人(わかひと)のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものもあらじ』 これはベースボールといふ遊戯全体を讚美したものである。 『国人ととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゆしも』 競技が国内ばかりでなく、外国人相手をもするやうになつたことを歌つたもので、随筆に、「近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来、ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」云々ともある。 『打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に』 結句『人の手の中に』はベースボール技術を写生したのであつた。 『今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな』 ベースといふ字をそのまま使つてをり、満基(フルベース)の状態を歌つたもので、人をはらはらさせる状態を歌つてゐる。一小和歌といへども、ベースボールの歴史を顧れば感慨無量のものとなる。(『子規と野球』おわり) 「病床即時」ガラス戸ノ月夜ヲナガムレドラムプノ影ノウツリテ見エズ 規 厳密には、「ベースボール」の訳語を「野球」としたのは、子規にあらず 松山生まれの俳人正岡子規は没後百年にあたる平成14年、野球殿堂入りを果たす。子規こそ、日本における「野球の祖」ともいえる人物との評価。子規は自らも野球をプレーし、野球を広め、野球を題材とした短歌、俳句も数多く詠み、また彼の訳出した用語で、今日なお残る訳語には「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などがあります。(「基<ベース>」は塁に変更された。) 明治23年、子規はペンネームとして幼名の升(のぼる)を使用するが、 それに「野球」の文字を用いて、「のぼーる」と読ませました。 だが子規は、baseballの意味で「野球」という単語を使ったことはなく、主に、「ベースボール」「弄球」「投球」という単語を使っていた。子規の弟子であった河東碧梧桐の『子規の回想』という著書の中には、「“ベースボール”を訳して、“野球”と書いたのは子規が嚆矢であった。が、それは本名の“升(のぼる)”をもじった“野球(ノボール)”の意味であった。」 とある。 この一文が、「子規がbaseballを野球と訳した」という誤解を生む事になる。それでは、誰が「baseball」と「野球」とをイコールで結んだのか。それは、暫く措く。(天が下、知る人あらば教えてよ 誰か塁球を野球と呼びし。) 春風や まりを投げたき 草の原 (明治23年) まり投げて 見たき広場や 春の草 (明治23年) 恋知らぬ 猫のふり也 球あそび (明治23年) 球うける 極秘は風の 柳かな (明治23年) 若草や 子供集まりて 毬を打つ (明治29年) 草茂み ベースボールの 道白し (明治29年) 夏草や ベースボールの 人遠し (明治31年) 生垣の 外は枯野や 球遊び (明治32年) 蒲公英や ボールコロゲテ 通リケリ(明治35年) 子規庵は 昭和20年の空襲で焼けてしまったが、子規の弟子・ 寒川鼠骨の努力で原型どおりの木造平屋建てに復元された。 子規居士の墓(北区田端、大龍寺) 松山で「俳句甲子園」開幕・高校生36チーム参加〔共同〕2006.08.19 高校生が俳句の腕を競う「第9回俳句甲子園」(松山青年会議所主催)が19日、正岡子規や高浜虚子ら多くの俳人を出した松山市で開幕。北海道から沖縄まで33校、36チームが参加。全国10カ所で開かれた地方大会と、インターネットで投稿された俳句から選ばれた。 競技は5人1組で出された題を盛り込んだ句を互いに披露して意見を述べ合う。俳人の中原道夫さんら審査員が創作力や鑑賞力を判定する。今年は夏目漱石が小説「坊っちゃん」を発表して100年になるのにちなんだ題が出る。
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沈む淵 灯籠おしやる 人の影 。 やっちょれと よさこい踊り 浴衣がけ 。 源氏も 蛍の里より 消えていく 。
2006/8/20(日) 午前 10:53 [ kaz*_51** ]
最近はサッカーに押され気味だけど、日本の野球文化は大切にしたいですよね。今日は高校野球の決勝が大いに盛り上がってました。8月19日はバイクの日でもありますね。
2006/8/21(月) 午前 0:30
ブログのコメントありがとうございました。うるてふといいます。 内面の粗末な人間・・・私はそんな人間にならないよう生きて行きたいです。 また、ぜひブログへお立ち寄り下さい。
2006/8/23(水) 午後 9:25