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1993年8月29日、角川書店社長の角川春樹がコカイン疑惑で逮捕。 ◇ 角川春樹と角川書店の関連略歴 1942年 1月8日、春樹、富山県に生まれ東京杉並に育つ。 1945年 11月10日、父・角川源義(げんよし)が角川書店を創業。 1964年 春樹、國學院大学文学部卒業。
角川書店の跡取りと悟られぬよう母の旧姓で取次の栗田書店と創文社に入り、半年ずつ修業。かたわら新宿3丁目でスナックを経営、昼はサラリーマン、夜はバーテンの生活。
1965年 春樹、角川書店入社。1966年 弟の角川歴彦(つぐひこ)が入社。 1971年 春樹、編集局長就任。 1975年 父・角川源義の死去に伴い、春樹が角川書店社長に就任。 (源義=げんよし、俳号は源義<げんぎ> → 幻戯書房) 角川書店(千代田区本社) 1976年 映画製作を行なう旧角川春樹事務所を設立。角川映画製作開始。 1988年 角川春樹事務所を吸収合併。以後、映画製作は角川書店本体が行なう。 1979年 「蘇える金狼」
1992年 弟で副社長の角川歴彦(つぐひこ)を角川書店から追放。春樹・歴彦兄弟は、かなり仲が悪い。「弟はもはや角川の人間ではない」と決別宣言。歴彦は退社して株式会社メディアワークスを創業。
1993年 麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領の容疑で千葉県警により逮捕さる。千葉拘置所に収監、角川書店社長を退任。代わって角川歴彦が角川書店社長に就任。 1994年 保釈金で保釈された祝い(左・森村誠一、右・北方謙三) 1994年 1億円の保釈金で保釈。 1995年 現・角川春樹事務所設立。 2000年 懲役4年の実刑確定。角川春樹事務所社長を辞任、特別顧問に就任。 2001年 東京拘置所に収監。八王子医療刑務所で服役。 2002年 静岡刑務所に移管。 2003年 4月1日、株式会社角川書店を持株会社・角川ホールディングスへ社名
変更。出版業務は新たに設立した株式会社角川書店に事業譲渡。
2004年 春樹、仮釈放。2004年 獄中の俳句集「海鼠(なまこ)の日」を伊国屋書店より出版。 己が身を「海鼠」と詠みて秋日濃し 流転なる「獄中俳句」秋澄めり 2004年 『海鼠の日』 獄中句集出版記念会(左・紀伊國屋書店会長 松原 治) 角川春樹事務所(新旧併せて)製作の主な映画作品 1976.10.16 「犬神家の一族」 1977.10.08 「人間の証明」 1978.10.07 「野性の証明」 1979.01.20 「悪魔が来りて笛を吹く」 1979.08.04 「蘇える金狼」 1979.12.05 「戦国自衛隊」 1980.10.04 「野獣死すべし」東映=角川春樹事務所 1981.06.06 「魔界転生」東映=角川春樹事務所 1981.10.03 「悪霊島」 1981.10.03 「蔵の中」 1981.12.19 「セーラー服と機関銃」角川春樹事務所=キティ・フィルム 1982.04.17 「化石の荒野」東映=角川春樹事務所 1982.10.09 「この子の七つのお祝に」松竹=角川春樹事務所 1982.10.09 「蒲田行進曲」松竹=角川春樹事務所 1982.12.18 「伊賀忍法帖」東映=角川春樹事務所 1982.12.18 「汚れた英雄」東映=角川春樹事務所 (監督 角川春樹) 1983.03.12 「幻魔大戦」 1983.07.16 「時をかける少女」 1983.07.16 「探偵物語」 1983.12.10 「里見八犬伝」 1984.07.14 「愛情物語」 (監督 角川春樹) 1984.10.10 「麻雀放浪記」東映=角川春樹事務所 1984.12.15 「Wの悲劇」 1985.09.14 「二代目はクリスチャン」 1986.12.20 「時空の旅人」角川春樹事務所=角川書店 1988.08.13 「ぼくらの七日間戦争」 1990.06.23 「天と地と」 (監督 脚本 角川春樹) 1991.07.06 幕末純情伝」 (ここから現・角川春樹事務所) 1997.11.08 「時をかける少女」 (監督 脚本 角川春樹) 2000.10.07 「アレクサンダー戦記」アレクサンダー戦記製作委員会 1997年 「時をかける少女」の完成祝賀会(右端は井沢元彦、隣は赤川次郎) ※ 作家であり、幻戯書房代表の辺見じゅんは、源義の娘。 角川春樹は現在、角川春樹事務所特別顧問、幻戯書房会長。 角川歴彦は角川ホールディングス社長である。 幻冬舎は角川書店の有力編集者であった見城徹により設立。 ◇ 角川春樹と森村誠一との絆 『悪魔の飽食』は、森村誠一が、赤旗記者・下里正樹の取材に基づいて著したもの。ノンフィクション作品として発表されている。赤旗日曜版でも、1980年代に連載され、後に光文社より単行本として刊行。単行本はベストセラーとなり、続刊も執筆されるに至る。 内容は、旧満州国で 731石井部隊が行っていたという人体実験の実態を詳しく描いており話題を呼んだ。これは 731部隊を初めて一般に知らしめた著作であり、国内で広く 731部隊の存在が認識されるターニングポイントとなる。それまでは、石井四郎を初めとする旧部隊関係者の強い結束と、医学界中枢に食い込んでいた旧部隊研究者達の圧力により、帝銀事件などの例外を除き、 731部隊の存在が語られることは皆無であったとされるが、本書以降、 731部隊に関する、賛否さまざまな視点からの著作が発表される事となった。(石井四郎:陸軍軍医中将功三級医学博士) しかし本書は、旧日本軍を非人道的として告発する内容で、且つ、ノンフィクション作品としては致命的な問題点が散見された為、プロパガンダ小説であると強く反発する人々も多かった。 不幸なことに、 731部隊の元隊員から提供された写真の中に修正写真が混入していた。これを見抜くことができずに、使用したことからマスコミにバッシングされ、右翼からも攻撃を受けることになった。 抗議電話の嵐、窓への投石、ペンキのぶちまけ、抗議の手紙や脅迫状、昼夜を分かたぬ圧力に更に、右翼の街宣車が加わった。森村は外出時、防弾チョッキを着用した。当然のように『悪魔の飽食』は絶版となった。 その時、救いの手を差し伸べたのが他ならぬ角川春樹だった。『悪魔の飽食』は角川から復刊された。角川書店では、まず社長の身辺警護対策を講じた。あえて火中の栗を拾うのは何故か。角川春樹の男気以外の何者でもなかった。出版人の誇りなどよりも … 。 ※ 下里正樹は後に、『しんぶん赤旗』紙上において宮本顕治議長のスパイ尋問事件を党本部の了解を得て、調査・連載していたが、1年半の連載の後、スパイ査問事件にいよいよ入る直前に、合理的理由のないまま急に休載を余儀なくされた。そして、下里は赤旗の記者を解雇され、党籍を剥奪された。森村は党本部に抗議文を送りつけた。 731石井部隊の所有する人体実験資料は全て米軍に譲渡された。石井部隊の関係者からは、ひとりも戦争犯罪人が出ていない。石井部隊が開発した蚤爆弾はペストを蔓延させるものだった。そして朝鮮戦争中、ペストが流行したのだった。 731石井部隊の生き残りが今なお、日本の社会で活躍するという恐ろしい現実がある。
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終わったことは仕方ないでしょう。人間、間違いはある。若い時は葛藤も多い。死なないで良かったでしょう。死んだら復活できない。映画のベンハーは奇跡の話。ちゃんと苦しんで改心したのだもの、むしろ立派でしょう。その分、人間が大きくなる。私には無理。すぐ死ぬ(笑)
2018/1/28(日) 午後 4:16 [ 岩渕真智子 ]