今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年9月4日(月)昨夜:落合監督、語らざれば愁いなきに似たり君が瞳も。

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 ドラマ「ブッシュ暗殺」の放送 英放送局 (9月1日)

 英民放テレビ「チャンネル4」は10月、ブッシュ米大統領の暗殺を想定したドラマを放送する予定とか。「衝撃的なほどリアル」とする映像が各方面で議論を巻き起こしそう。 ドラマの題名は「大統領の死」デス。ドラマはデジタルチャンネル「モア4」で放送されるほか、今月7日から始まるトロント映画祭にも出品。「対テロ戦争の影響を検証し、現代アメリカ政治について深く考えさせる作品になる」とのこと。「番組を見て腹を立てる人もいるだろうが、正しい意図が伝わるよう願っている」。



 1869年9月4日、大村益次郎が萩藩士らに襲われて重傷を負いました。

 徴兵制の推進などで、士族の反感を買っていた兵部大輔・大村益次郎が
 明治2年、萩藩士らに襲われ重傷。そのために11月に死去する。

 (明治の官制:神祗・太政、民部・大蔵・兵部・刑部・宮内・外務)
 (兵部大輔 <ひょうぶたゆう>:陸海軍の総司令官の官職名)

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 ◇ 近代的戦法を日本に導入した大村益次郎

 大村益次郎の登場以前は、戦いは武士同士の一対一の斬合いが中心でした。武器も接近して戦う刀や槍が中心だった。守るものは城であり主君であった。武士道では恥辱を嫌い、戦い利あらざれば、自ら死ぬことを選びました。 大村益次郎とその部下の多くは農民であった為、武士道には拘泥しなかった。反対に武士側からすれば、武士が農民に殺されるのは恥辱の極みと思っており、敗走する武将も少なくなかったとか。(明智光秀が、そうだった。)

 大村益次郎の戦法は近代的なもので、集団行動が中心でした。また防御専門の部隊と攻撃専門の部隊を作るなど、分業化をしました。離れて攻撃することが中心で、武器の中心は銃や大砲でした。陣地を中心とし大砲などの武器が敵の手に渡らないようにしました。逃げ方も戦術の一つとし、兵隊や武器の数が減らないように工夫していた。銃砲に関しては、幕府軍の装備に対して、数・量ともに圧倒的に凌駕していた。

 ◇ 近代的軍隊を日本に導入した大村益次郎

 従来の藩兵を解き、各藩が持つ武士による軍隊を解散させます。同時に、武士の佩刀(はいとう)を禁じ、武士から刀をとりあげました。また断髪を励行して、髷をなくします。旧来の武士の立場からは、屈辱的な改革の連続でした。(佩刀:刀を帯びること、反対語も「はいとう<廃刀>」です。)

 武士から見れば、明治維新は武士の力で断行したものであるにも拘わらず、大村益次郎は農民の出身なので武士を否定しようとしている、と映りました。また大村は元は蘭学医であり、西洋かぶれして神国日本を西洋の影響下におこうとしている、などと言う噂もひろまった。そんな人物が新政府の政策に関わっているのは日本の将来にとって宜しからず、となります。

 そもそも明治維新は、幕府に不満を持つ者が「尊皇攘夷」を旗印に進めました。天皇を国の中心とし、諸外国を打ち払うというもの。天皇に主権は戻りましたが、外国は打ち払うどころか、貿易は続けられているし、西洋の風習等も積極的に取り入れられました。「攘夷」にこだわる者には我慢のならない状況でした。そんな中、大村益次郎が出した意見書で、大村こそ西洋化の中心人物なりと看做されるようになってゆきます。

 司馬遼太郎の「花神」では大村益次郎を描いています。“花神”とは花咲爺さんの意味で、明治期の日本に技術効率主義の種まきをした人物という表現です。

 大村益次郎は、村田蔵六と名乗っていた蘭学医の時に、シーボルトとおたきとの娘であるシモト・イネに茶店で出逢います。蔵六が茶店で餅を注文すると、奥から異様な感じの眼の青い、年の頃、二十二、三の娘が餅と茶を差し出しました。初めて見る混血の娘の瞳をじっと見つめて、蔵六は「なぜ眼が青いのか、私の知らぬ眼病か?」と問う。

 この質問にイネは、カラカラと笑ったとか。イネはその後、日本初の女医になるが、向学心が強く、村田蔵六からも教示を受けました。蔵六とシモト・イネとの間柄は師弟ですが、そればかりではなく男女の情感も、やがて芽生えたようです。

 とは言うものの、蔵六は何せ朴訥、イネも素よりつつましやか。完璧なまでのプラトニック・ラブであった由。結局、蔵六は親に言われるままに妻を娶り、イネと結ばれることはありませんでした。ただ益次郎が襲撃の難に遭い、死ぬまでの数十日を看病かたがた、心のうちを互いに語らう機会に恵まれたことは何よりの僥倖でありました。(軍略に長けた大村益次郎も、妻には頭が上がらず大変な恐妻家だったらしい。)

 大村益次郎は死ぬ間際に、大砲の大量生産を命じています。そして、これが西南戦争で大いに活躍しました。木戸孝允は「大村益次郎がいなければ、明治維新は成らなかっただろうよ。」と語った。その勳しを今に伝えるべく、靖国神社の参道中央に、で〜んと、でっかく、ひときわ高く益次郎の像が聳え立っております。

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  ↓ 賊軍   ↑ 皇軍

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