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平成18年9月9日(土)昨夜:中日投壊現象、深刻。一寸先は闇。 9月9日、重陽神事と烏(からす)相撲(京都市・上賀茂神社) 9月9日は古来、9という陽(陰陽の陽)の数字の重なる日であるところから重陽(ちょうよう)節句として五節句の一つに数えられており、菊酒を飲んだり、菊の花についた露で肌を拭ったりして厄災を祓い、長命を祈ってまいりました。本殿に菊の花をお供えし無病息災を祈願いたします。 菊の香やならには古き仏たち 芭蕉 烏相撲は上賀茂神社の祭神の祖父である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇東征の折、巨大な八咫烏(やたがらす)となって先導をつとめるという大きな功績をたてたことで、後に山城国の北部一帯を賜りました。やがてその後裔によって現在の地に、上賀茂神社が創祀さられることになったのですが、この八咫烏伝説と、稲や作物などに不作をもたらす悪霊退治の信仰行事である相撲と宮中行事の相撲などとが結びついて、烏相撲が行われるようになったといわれています。平安時代からの神事で、京都市登録無形民俗文化財に指定されています。 ※ 相撲は神事としての性格が強く、神社の祭りで五穀豊穣や豊漁を相撲の勝ち負けで占ったり、平安時代の宮中では年中行事として「相撲の節会(すまいのせちえ)」が行なわれていました。 現在の大相撲も儀式的な要素が多く見られ、力士が足を高く上げて踏み下ろす「四股」は「醜」(しこ)が語源とされ、大地を踏み地の邪気を払い、正気を招き寄せるという意味があります。力水(ちからみず)や清めの塩も、古来より水と塩は全てを清める力があるとする信仰に由来する作法。(四股名も、もとは醜名。醜悪は力強さの謂い。) また江戸時代には、大関の中で力量を認められた者だけが邪気を払って土地を清める注連縄(しめなわ)を腰に締めて土俵入りを許されたことから、この力士を横綱と言う。日本人の精神文化が生んだ国技、それが相撲です。 午前10時から本殿で神事があった後、斎王代が細殿(ほそどの)に着座されて、宮司、権宮司が東西に分かれて着座し、ほかの祭員、行司、刀祢(とね)、相撲をとる子供達が細殿の南庭に移ります。(刀祢=伊勢神宮・賀茂神社などに置かれた神職) (10時 〜 重陽神事、11時 〜 烏相撲) 平安時代には歴代の皇女が斎王として烏相撲をご覧になられました。その後、斎院制度は絶えてしまいますが、御帳台(みちょうだい=貴人の寝所または座所)を設けて神事をとり行ってきました。平成3年からは毎年行われる葵祭の斎王代がご奉仕するようになりました。 境内細殿の前庭で、弓矢をもった刀祢(とね)が烏が踊るように横跳びをしたのち、「カオーカオー、コーコーコー」と烏鳴きをするなど、ユニークな所作を行いその後、氏子の子供たちによる相撲が行われます。この様子は葵祭の斎王代も細殿から見守ります。終了後、菊酒の接待が有ります。(20歳未満の方は“烏”龍茶がよろしいかと … ) 所在地 京都市北区上賀茂本山339 上賀茂神社 電話 075-781-0011 ※ 八咫烏(やたがらす)は日本サッカー協会(Japan Football Association,JFA)のシンボルマークになっています。これは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、彼の出身地・和歌山県那智勝浦町にある熊野大社の神使である八咫烏をデザインしたもの。太陽を表す「黄の地に橙の帯」の上にサッカーボールをキープする姿で“素早さと力強さ”を表すものとして描かれています。八咫烏は三本脚が特徴です。 |

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