今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年9月14日(木)昨夜:雨がふる降るフルキャスト。仙台のドラファン涙雨。

 1872年9月14日、琉球の尚泰国王を「琉球藩王」とし、華族に列する
 すなわち、約500年間続いた琉球王国の滅亡のプロローグだった。


 ○ 琉球処分(1872〜1879)にいたるまでの沖縄

 沖縄に関して、1200年代以前の消息は不詳。1200年代以降は本土との交流が頻繁になる。「琉球」は中国側からの呼称であり、9世紀には、その呼称がみられると言う。14世紀に、沖縄島に北山・中山・南山の三つの小国家が出来上がり、後に、中山が統一王朝を樹立。

 1609年(慶長14)、薩摩藩が琉球に侵入し、琉球王国の統治権を掌握、与論島以北を薩摩に併合した。薩摩藩は、琉球の明国との朝貢貿易を認め、そこから莫大な利益を搾取した。その後、清国との朝貢関係も維持してゆく。すなわち沖縄は、日本と中国とに両属し、両者の力関係の中に翻弄されてゆく。

 1871年(明治4)に、明治政府は中央集権化を図るため、廃藩置県を断行。全国261の藩を廃し、府県を設置。全国3府302県がまず置かれ、同年末までに3府72県となる。つづいて、明治政府は強硬に琉球の国内化を進めようとし、清国はそれに対して強く抗議する。

 先ず、1872年(明治5)に琉球藩を設置、続いて1879年(明治12)には、琉球藩を廃して、琉球への宗主権を主張し日本に統合、沖縄県設置を宣言する。明治政府は、周到に琉球の王朝制度解体を図った。 清国への朝貢を差し止め、王を東京に住まわせ、そして首里城は開け渡し、王府の解体などがその内容。1879年3月31日、尚泰王が首里城を明渡し、沖縄を離れた時、琉球王国の歴史は閉じられた。

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 松田道之を処分官とする廃藩置県断行の過程を「琉球処分」と言う。また広く琉球所属問題解決までの全てをさす。処分官・松田道之の編著『琉球処分』は全3冊。明治政府による琉球国内化の過程を探る重要な史料。

 松田道之(1839〜1882):1875年から1879年まで、琉球処分官として3回琉球に赴く。 1879年3月、武力の下、廃藩置県を強行。後に東京府知事に就任。

 尚泰王(1843〜1901):琉球王国最後の国王、在位32年。1848年に6歳で即位。1850年、最後の江戸上り。1866年には最後の冊封使(さくほうし、清国の使者)を迎えた。1872年、琉球藩王に改められ華族となる。1879年3月、廃藩置県の強行により廃位。首里城を明け渡し、政府の命令に従い上京、59歳で病没。遺体は首里の玉陵(タマウドゥン)に葬られた。

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