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1896年9月15日、村山槐多、生まる。 ○ 村山槐多(むらやまかいた、1896年<明治29>〜1919年<大正8>) 十代からボードレールやランボーを読み耽り、詩作もよくした。早熟にしてデカダン的な生活、失恋による自暴自棄、結核性肺炎を患い先の見えない将来。夭折の画家・村山槐多の人物像は、器用ではないが一度見たら忘れられぬ強烈な印象を残す。 大正8年2月18日深夜、胸の疾患に絶叫しながら、雪混じりの雨の中、草むらであえぐ槐多がいた。友人たちに探し出された槐多が息を引き取ったのは、20日の午前2時のこと。22年と5ヶ月の生涯。ガランス(茜色)が縦横に走る独特の絵画の鮮烈さ、短く熱い生命を昇華させた詩を、掌からこぼれる砂のように遺して、槐多は逝った。 「電光のように暮らしたい、発電機上の火花のような生を得たい」 あ(尸+阿)屎送尿、著衣喫飯、困來即臥 (あしそうにょう、じゃくえきっぱん、こんじきたれば、すなわちふす) 糞小便して衣を着けて飯喰らい、草臥れたら寝るだけ、それが佛というやつさ。 『一本のガランス』 (ガランス:やや沈んだ赤色、茜色) ためらふな、恥ぢるな まつすぐにゆけ 汝のガランスのチユーブをとつて 汝のパレットに直角に突き出し まつすぐにしぼれ そのガランスをまつすぐに塗れ 生のみに活々と塗れ 一本のガランスをつくせよ 空もガランスに塗れ 木もガランスに描け 草もガランスにかけ 魔羅をもガランスにて描き奉れ 神をもガランスにて描き奉れ ためらふな、恥ぢるな まつすぐにゆけ 汝の貧乏を 一本のガランスにて塗りかくせ。 『殺人行者』(七)奇怪なる暗示 村山槐多 彼は依然として微笑した。そして僕をなだめる様に手を振りながら説き始めた。『君はさう言ふのか。それは当然だ。すでに君が俺に執着のない以上決して強ひてとは言はない。しかし俺は永劫に君に執着して居る。俺は必ず君にまた僕に対する執着を持たして見せる。それで俺は俺の思想を一言君に物語らう。堅く君に告げよう、およそ君にとつて殺人ばかりの快楽は此世界に求められないのだ。君が若し人生の美味なる酒を完全に飲み乾したければ君の手は殺人に走らなければならない。俺の友とならなければならないい」。俺はすでに二百九十八人の人間を殺した。俺の此殺人の修道は世界の最も秀れた芸術であり最も立派な宗教であることを信ずる。君よわが見たる内最も美麗なる少年なりし君よ。その美しき手を生命と共に奔ばしる人間の鮮血に濡らす気はないか。』 『否。否。其様な恐る可き事をもう僕の耳に入れて呉れるな。決して入れて呉れるな。』と耳に手を当て僕は叫んだ。彼はそのまとひたる金色の着物の間から一声からからと打笑うた。恰もその様な悪魔が何物かを嘲笑するに似て居た。そしてすつくと立上つて静かに僕の顔を打見守つた。 僕も怒りに顫へてその面を睨みつけると不思議や忽ち眼前に一切は雲煙と化して、恐ろしい二つの眼が星の如くに光るかと思ふ間に、全然意識は消え失せてしまつた。 『悪魔の舌』(三) 村山槐多 友よ、俺は死ぬ事に定めた。俺は吾心臓を刺す為に火箸を針の様にけづつてしまつた。君がこの文書を読む時は既に俺の生命の終つた時であらう。君は君の友として選んだ一詩人が実に類例のない恐ろしい罪人であつた事を以上の記述に依つて発見するであらう。そして俺と友たりし事を恥ぢ怒るであらう。が願はくば吾死屍を憎む前に先づ此を哀れんで呉れ、俺は実に哀む可き人間であるのだ。さらば吾汚れたる経歴を隠す所なく記述し行く事にしよう。 俺は元元東京の人間ではない。飛騨の国の或山間に生れ其処に育つた。吾家は代々材木商人であり父の代に至つては有数の豪家として附近に聞こえた。父は極く質朴な立派な人物であつたが壮時名古屋の一名妓を入れて妾とした、その妾に一人の子が出来た。其が俺であつた。俺が生れた時既に本妻即ち義母にも子が一人あつた。不倫な話であるが父は本妻と妾とを同居せしめた。従つて子供達も一所に育てられた。俺が十二歳になつた時義母には四人の子があつた。そして其年の四月にまた一人生れた。その弟は奇体な赤ん坊として村中の大変な噂であつた。それは右足の裏に三日月の形をした黄金色の斑紋が現はれて居るからである。 (六) 四月二十五日、今から十日ばかり前の事である。俺は田端から上野まで汽車に乗つた。ふと見ると吾膝と突き合はして一人の少年が坐して居る。見ると田舎臭くはあるが、実に美麗な少年である。吾口中は湿つて来た。唾液が溢れて来た。見れば一人旅らしい。やがて汽車は上野に着いた。ステーシヨンを出ると少年は暫らくぼんやりと佇立して居たがやがて上野公園の方へ歩いて行く。そして一つのベンチに腰を掛けるとじつと淋しさうに池の端の灯に映る不忍池の面を見つめた。 見廻はすと辺りには一人の人も居ない。己れはそつとポケツトから麻酔薬の瓶を出してハンカチーフに当てた。ハンカチーフは浸された。少年はぼんやりと池の方を見て居る。いきなり抱き付いてその鼻にハンカチーフを押し当てた。二三度足をばたばたさせたが麻薬が利いてわが腕にどたり倒れてしまつた。すぐ石段下まで少年を抱いて行つて俥を呼んだ。そして富坂まで走らせた。家へ帰ると戸をすつかり閉ざした。電燈の光でよく見れば実に美しい少年だ。俺は用意した鋭利な大ナイフを取り出して後頭部を力を籠めてグサと突刺した。今まで眠つて居た少年の眼がかつと大きく開いた。やがてその黒い瞳孔に光がなくなり、さつと顔が青くなつた。俺は真青になつた少年を抱き上げて床下の貯蔵室へ入れた。 (七) 俺は出来得る限り細かくこの少年を食つてしまはうと決心した。そこで一のプログラムを定めた。俺はそれから諸肉片を順々に焼きながら脳味噌も頬ペたも舌も鼻もすつかり食ひ尽した。その美味なる事は俺を狂せしめた。殊に脳味噌の味は摩訶不思議であつた。そして飽満の眠りに就いた翌朝九時頃眼が覚めると又たらふく腹につめ込んだ。 あゝ次の日こそは恐ろしい夜であつた。俺が死を決した動機がその夜に起つたのだ。実に世にも残酷な夜であつた。その夜野獣の様な眼を輝かして床下へ下りて行つた俺は、今夜は手と足との番だと思つた。鋸を手にして何れから先に切らうかと暫らく突つ立つて居た。ふと少年の左の足を引いた。其拍子に、少年の身体は俯向きになつた。その右足の裏を眺めた時俺は鉄の捧で横つ腹を突飛ばされた様に躍り上つた。見よ右足の裏には赤い三日月の形が現はれて居るではないか。君は此文書の最初に吾弟の誕生の事が記されてあつたのを記憶して居るであらう。考へて見ればかの赤ん坊はもう十五六歳になる筈だ。 恐ろしい話ではないか。俺は自分の弟を食つてしまつたのだ。気が付いて少年の持つて居た包みを解いて見た。中には四五冊のノートがあつた。それにはちやんと金子五郎と記されてあつた。是は弟の名であつた。尚ノートに依つて見ると弟は東京を慕ひ、聞いて居た俺を慕つて飛騨から出奔して来たことが分明《わか》つた。あゝ俺はもう生きて居られなくなつた。友よ俺が書き残さうとした事は以上の事である。どうぞ俺を哀れんで呉れ。 享年22。清光院浄譽槐多居士、雑司ヶ谷霊園に眠る。
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