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平成18年10月4日(水)虎猛追もマジック6、おえども追えどもゲーム差3。 虎えられな〜いって、タイガースファンの嘆き節。頑張れっ!阪神タイガース。 10月4日は、「宇宙開発記念日」です。 (つまり、熾烈なる米ソ宇宙開発競争の始まりですね。) 1957年(昭和32年)10月4日、ソ連科学アカデミーにより開発された人類初の人工衛星「スプートニク1号」が、ロシア宇宙庁(現在のロシア航空宇宙庁)によりバイコヌール宇宙基地チュラタム発射場から打ち上げられました。その記念日。 スプトーニク1号は直径58センチ、重さ83.6kgと極めて小型で、丸型のカプセルに4本の長いアンテナがついていました。 遠地点約950km、近地点約230km、軌道傾斜角65°の楕円軌道を96.2分で周回しました。衛星本体から40.02MHzと20.05MHzの電波を発信することで電離層の観測を行い、この電波は世界各地で受信されました。スプートニク1号は打ち上げ57日後、大気圏に再突入し消滅した。 スプートニク・ショック 人工衛星打ち上げでソ連に先を越されたアメリカではスプートニク・ショックが走った。これは、アメリカこそが科学技術の分野で最先端であるという自負が、人工衛星打ち上げの事実により覆されたため。その影響で、教育・軍事・科学技術部門の改革の必要性が認識され、アメリカ航空宇宙局(NASA、1958年)設立と、アポロ計画(1961年)、アーパネットの構築へとつながっていった。米はスプートニクに対抗して、1958年1月31日にエクスプローラー1号(重量14kg)を打ち上げています。 アーパネット【ARPAnet】 ARPAnetとは、1969年に米国防総省の高等研究計画局(ARPA)が開発したコンピュータネットワーク。現在のインターネットの原型とも言われ、各地に分散したUNIXコンピュータ同士をTCP/IPで相互に接続する形態をとる。全米の4ヶ所(カルフォルニア大学ロサンゼルス校、スタンフォード研究所、カルフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学)を接続して開通しその後、徐々に接続ポイントを増加させていった。 そもそもネット構築の動機は、ソ連の核攻撃による通信網分断を防ぐというもの。当時、主流の中央集中型(マスター&スレイブ)ではなく、分散型のコンピューターシステムが選ばれました。情報中枢に核攻撃されても、迂回路によって通信を確保できる点が優れている。 つまり、今日わたしたちが享受しているインターネットは、米ソ冷戦構造が生み出した副産物だと言うこと。 長年にわたり、アメリカはソ連の後塵を拝してきたが、1969年の7月20日、アポロ11号が月面に着陸し、アームストロング船長が月面に足跡を印した瞬間、米国の威信は大いに回復したのだった。 ※ この出来事に疑念を抱く人、少なからず。 スプートニク2号、全世界の愛犬家を憤激せしめた“哀しい星” スプートニク1号の打上げ成功をうけ、その1ヶ月後、1957年11月3日にスプートニク2号が打ち上げられました。スプートニク2号のテーマは、生物を宇宙空間へ連れ出すこと。そのために、搭乗席(気密室)が備えられました。本体重量は1号と比較して約6倍の 508kgです。 史上初の宇宙船クルーとして、選ばれたのは“クドリャフカ”という名前の雌の犬でした。人類に先がけて犬が宇宙を旅することになった。それは帰り道のない、死出の旅路でした。研究者達には“ライカ”、アメリカなど西側諸国からは“マットニク”などのニックネームでこの犬は呼ばれました。(Kudryavka = ちっちゃな巻き毛ちゃん) クドリャフカは、7日分の酸素と食料を積んだスプートニク2号で、人類の憧れであった宇宙へと飛び発った、体を拘束されたまま…。ソ連は、この犬は1週間程生きたとしてきたが実際には、数時間程度の命だったようだ。 電子機器で囲まれた内部でライカは半固定状態にされ、ある程度の自由はあったものの、振り返ることはできなかった。酸素や温度は適正に保たれ、食事等は自動的に給仕されるようになっていたが、排泄処理は特になく、いわゆる「垂れ流し」状態。ちなみにメス犬が選ばれたのは、オスは「片足をあげる」から。(最後は毒入りの餌で安楽死の予定だったとか。) “スプートニク犬”の真相、45年目に明らかに (2002年) 史上初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功から、僅か1ヶ月後の11月3日に、スプートニク2号を打ち上げる。なんとも“せっかち”なプランだが、それこそ一党独裁の国ならではの珍事だった。 10月4日、スプートニク1号の打ち上げに成功した技術者達は指導者・フルシチョフ書記長へ成功の第一報を連絡した。その時、彼はちょうど就寝するところだったと言いい「そうか、おめでとう。よかったな」と、淡々と答えてベッドに入ったという。大国の指導者自身、人工衛星の意義がわかっていなかった、そんな時代だったとも言える。 一夜明けて、西側メディアが天地をひっくり返したように大騒ぎしていることを知り、事の重大さに初めて気づいたフルシチョフ。責任者をモスクワへ呼び付け次の衛星をソ連10月革命40周年記念日である11月7日にあわせて打ち上げることを協議し、休暇に出ていた技術者達を呼び戻したという。 “突貫工事”説。1990年代、ソ連崩壊によりソ連の宇宙開発の実態も明らかになってきたが、この件について当時の技術者達は、「ガラクタを集めて1ヶ月で作り上げた」と語っているとされていた。 しかし、スウェーデンの旧ソ連宇宙開発史研究家スヴェン・グラーン氏によると、これは“解釈(翻訳)のズレ”による誤解だという。「作り上げた」ではなく「最終仕上げを行った」がより正しいといい、「ガラクタ」も「個々の部品」が正しい訳だという。「全くゼロから1ヶ月で行うのはどだい不可能。実は早い段階から2号の開発は進められてきたのだが、完成予定が大幅に繰り上げられた」というのが真相だと語る。 11月3日・日本時間午前11時30分42秒(現地時間早朝)、ソ連中央アジア・チュラタン発射場(=バイコヌール宇宙基地)から打ち上げられた。打ち上げから軌道まではほぼ一直線に上昇するのだが、その間、ライカの脈拍や血圧が地上にいるときの3倍にまで達したことが記録されている。周回軌道に乗り無重力状態になると、やがて落ち着きを取り戻し通常値に戻った。 打ち上げは順調で、全てうまくいっているように見えたが、1つだけ不良があった。軌道船を覆っていた耐熱シートの一部が剥がれるというアクシデントが発生。この影響でカプセル内の温度が異常高温となり、ライカの生命に重大な影響を与えるのではという指摘があり、これは当時、ソ連国内でも報道された。だが当局者は「1週間生存した」と主張してきた。 報告によると当時、2号の信号を受信できたのはロシア上空を飛行している間だけだったが4周目にはいるところで信号を受信したところ、既に何の生体反応も確認されていなかった事が判明。1周約100分だったので、約6時間後には息絶えていたことになる。 スプートニク5号で、生命体生還 1960年8月19日、打ち上げ。 犬2匹、ネズミ40匹、ラット2匹、いろいろな植物などを積んでいた。 宇宙船は翌日回収され、動物たちは全て無事帰還した。 ※ スプートニク2号の気密室には、小さな覗き窓が開けられていたそうです。小さな窓から青い地球を垣間見たクドリャフカは、いったいどんな思いを抱いたのでしょうか。冷戦と言う“マグマ”がうごめく地球なのに、どうしてこんなに美しく映るのだろうか。クドリャフカの最期のとき、神はやさしい慈愛で彼女を包んでくれたでしょうか。クドリャフカの最期の声が、今も宇宙空間を波動しているかも知れません。
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知らなかったです。 今日は そんな日だったのですね。
2006/10/4(水) 午前 6:01