今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年10月9日(月)昨夜:岡田阪神がBクラス巨人に延長戦の末、撃沈。

 <巨人5−1阪神>(甲子園)

 逆転優勝へ執念を見せてきた阪神、だが中日のマジックを2にまで減らす痛恨の57敗目。 「こっちはゲームがないし、それはもうな…」と岡田監督。初回1点を取られた後、ゼロ行進。7回、同点に追いつくも、金縛り状態で勝ち越せず、延長10回、久保田が4失点炎上。 しかーしっ、岡田阪神に「不可能」の文字は無い!



 10月9日は、「じゅ(10)く(9)」の語呂合せから、「塾の日」とか、
 「トラックの日」「道具の日」とか、あるいは毎月「トークの日」とかって、
 発想が貧困。そこで今日は、【「十九の春」の日】としましょう。

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 『十九の春』、往年のファンには、想いひとかたならぬ一曲。御存知バタやん、こと田端義夫の昭和50年の大ヒット曲です。メロディーは沖縄俗謡でした。お若い方々には、1999年の中江裕司監督の映画「ナビィの恋」の主題歌として知られたこの曲には、紆余曲折がありました。


『十九の春』補作詞・本竹裕助、唄・田端義夫

1(女)
 私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした
 いまさら離縁と云うならば もとの十九にしておくれ

2(男)
 もとの十九にするならば 庭の枯木を見てごらん
 枯木に花が咲いたなら 十九にするのもやすけれど

3(女)
 みすて心があるならば 早くお知らせ下さいね
 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花

4(男)
 一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする
 同じコザ市(or那覇市)に住みながら 逢えぬ我が身のせつなさよ

5(女)
 主(ぬし)さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある
 いくら主さんと呼んだとて 一生添えない片想い

6(男女)
 奥山住まいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して
 春が来るような夢をみて ホケキョホケキョと鳴いていた

 「十九の春」田端義夫


 この『十九の春』には、実に百年の歴史があります。その間、沖縄の人々の、その時々の心情を込めた歌詞が作られ、耐えに耐えてきたウチナンチューの悲哀が『十九の春』のメロディー”に託されました。『与論小唄』は『十九の春』よりも、かなり以前のものです。


『与論小唄』(作詞:秋山紅葉、ラッパ節をもとに与論島で歌われたもの)

1 枯葉みたいな 我がさだめ 何の楽しみ無いものを
  好きなあなたがあればこそ いやなこの世も好きとなる

2 あなたあなたと焦がれても あなたにゃ立派な人がいる
  今更私が焦がれても 磯の浜辺で泣くばかり

3 一年待て待て二年待て 三年待つのはよいけれど
  庭の草木を見てごらん 時節変われば色変わる

4 磯の浜辺の波静か 二人手に手を取りかわす
  死んだらあなたの妻ですと 女心の悲しさよ

 「与論小唄」



 『嘉義丸のうた』(詩・朝崎辰恕、唄者(うたしゃ)・朝崎郁恵)

(戦争中の昭和18年5月26日、沖縄に向う疎開船が米軍の魚雷攻撃で奄美大島沖で沈没、幼児から老人まで321人が命を落とした。直後に犠牲者を慰める「鎮魂歌・嘉義丸の歌」が奄美で作られたが、戦中戦後とも当局から禁止され忘れられていった。最近になって復元された。辰恕・郁恵は親子。)

1 散りゆく花はまた咲くに ときと時節が来るならば
  死に逝く人は帰り来ず 浮き世のうちが花なのよ

5 ああ憎らしや憎らしや 敵の戦艦魚雷艇
  打出す魚雷の一弾が 嘉義丸(かぎまる)船尾に突き当たる

6 親は子を呼び子は親を 船内くまなく騒ぎ出す
  救命器具(胴衣)を着る間無く 浸水深く沈みゆく

9 波間に響く声と声 共に励まし呼び合えど
  助けの船の遅くして 消えゆく命のはかなさよ

終 親を恋しと泣く子らの いとし子呼んで泣く親の
  嘆きの声が聞こえたら 御霊(みたま)よ天の星となれ
  御霊よ天の星となれ


 沖縄市(旧・コザ市)は沖縄本島の中部東海岸側にあり、中部地域の行政・経済の中心地として、県都・那覇市に次ぐ第二の都市。沖縄市は古くは越来村と称していたが、第二次世界大戦後、1945年の9月15日に、米軍の指令により「胡差市(コザ)」となる。「コザ」の名称については、米軍が胡屋(GOYA)をKOZAと誤認したものらしい。その後、胡差市は米軍相手の商業を中心に発展し、1956年の7月に「コザ市」となった。

 コザ市は米軍の駐留によって生まれた町であり、沖縄県内の市町村の中では最も米軍と深いかかわりをもっていた。1972年、沖縄は27年間の米軍統治から日本に復帰し、1974年、コザ市は美里村と合併して「沖縄市」となるがコザの名前は今も沖縄の人々の心の中に、そして生活の中にも生き続けている。

 返還前のコザ市で、米兵相手にする商売が“モトシンカカランヌー”。元手が掛からないと言う意味で、つまり売春。多くは離島出身者が沖縄本島に出稼ぎのようにやって来たものだった。そんな背景から『ジュリグヮー小唄』がうまれた。(勿論、“モトシンカカランヌー”は今でもある沖縄の現実。)


 『ジュリグヮー小唄』(ジュリグヮー:女郎の意)

 見捨てられても私は あなたにゃ未練を残しゃせぬ
 年も若くあるうちに 未練残すな明日の花

 見捨て心があるならば 早くお知らせ願います
 白菊ぼたんの花よりも まだまだ立派な花がある


 「十九の春」と その変遷


 『十九の春』の五番の歌詞、主さん主さんと呼んだとて、主さんにゃ立派な方がある、いくら主さんと呼んだとて、一生添えない片想い。これには本土に対する無念さ、やるせなさ、裏切られた想いが重なる。1972年の本土復帰にもかかわらず、相変わらず米兵による暴行事件が後を絶たず、犯人を逮捕する事すら出来なかった。日本政府に何を言っても、ぬかに釘。本土(ヤマトンチュー)の大切なお方とは、私たち沖縄ではなく、米国なのだと言う“あきらめ”が漂う。

 それなのに、『十九の春』の元唄である『ラッパ節』は本土の唄である。本土では殆ど評判にもならなかった唄を、出稼ぎ者が沖縄に持ち帰り、ながく永く唄いついで、今日に至っているのだ。ウチナンチューの哀しさ、切なさが染み付いた唄である。皮肉にも復帰後の、ウチナーグチ(沖縄方言)はやめましょうと言う運動にも助けられて、七五調のヤマトグチ(本土の言葉)の唄は普及していった。沖縄の歴史が、そのまま『十九の春』にダブってゆく。

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 だけど現代の沖縄は、芸能界での大活躍に見るように、大いに活気づいています。紅白歌合戦にも登場しました。その原動力とも言えるのが、やっぱり、『十九の春』なんです。多くの沖縄人の唄う『十九の春』はむちゃんこ明るい。心の底から唄い、そして踊る。沖縄万歳!

 『男はつらいよ』第48作(最終作・平成7年) はマドンナ役が浅丘ルリ子、沖縄を舞台にした『寅次郎紅の花』。ドラマ『男はつらいよ』も最終回、寅さんが沖縄で、ハブに咬まれて死ぬ(という印象のラストだった)。 映画の最終回も舞台を沖縄に選んだ。紅蓮の花・ハイビスカスの花言葉は、繊細な美、常に新しい美。踏まれても踏まれても、日々新たに生まれ変わる沖縄。


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 因みに、今日の誕生花はホトトギス ( 杜鵑草 )。
 花言葉を「秘めた思い」とする。

 つれないお方と思うても 離れられない身のさだめ
 恋し憎しと連れ添うて 鳴いて血を吐く霍公鳥(ほととぎす)

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