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平成18年10月19日(木)昨日:周辺事態法「ただちに適用せず」初の党首討論。 1972年10月19日、ルバング島で地元警察が元日本兵2人を発見、銃撃戦。 フィリピン・ルバング島で地元警察と元日本兵2人が銃撃戦となる。 1人は死亡、1人は逃走。逃走した元日本兵は、小野田寛郎元少尉であった。 ○ 小野田寛郎 (おのだ ひろお、1922年3月19日生まれ) 元日本陸軍少尉、情報将校。陸軍中野学校二俣分校卒、和歌山県出身。 太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンで発見された。 中学卒業後貿易会社に就職し中国に渡り、中国語を習得。現地召集を受けて1942年、現役兵として陸軍歩兵第61連隊に入隊。転属などを経て陸軍甲種幹部候補学生に合格、陸軍予備士官学校に入学。卒業後、当時、軍のエリート学校である陸軍中野学校二俣分校に入校、情報将校として育成され卒業する。 中国語や英語が堪能だったことから、1944年12月、「残置諜者」および「遊撃指揮」の任を与えられフィリピンのルバング島に着任。部下とともにゲリラ戦を展開した。 1945年8月を過ぎても、任務解除の命令が届かなかったことから、部下(島田伍長=1954年戦死、小塚上等兵=1972年戦死、赤津一等兵=1949年投降)と共に戦闘を継続し、ルパング島が再び日本軍の指揮下に戻った時のためにジャングルに篭り、情報収集や諜報活動を続ける事を決意する。 そのため、日本では1945年9月に戦死公報が出される。地元警察との戦闘で二人の部下を失い最後の数年は一人でジャングルの中で暮らすこととなった。手に入れたラジオや日本の捜索隊が残していった日本の新聞や雑誌で、皇太子御成婚や、東京オリンピック等の日本の情勢を知った。 しかし、彼はその日本はアメリカの傀儡政権であり、満州に亡命政権がいると考えた。また朝鮮戦争へ向かう米軍機を見かけると、当初の予定通り亡命政権の反撃が開始されたと思い、ベトナム戦争へ向かう米軍機を見かけると、アメリカは日本に追い詰められたと信じた。このように戦後に、彼にもたらされた断片的な情報と戦前所属した諜報機関での作戦行動予定との間に矛盾が起きなかったため、彼の中で独自の戦後観を構築してしまったことが、30年近くも降伏をせずジャングルで戦い続ける結果となった。 横井庄一氏の帰国によって、日本兵の生き残りが未だに山中に潜伏していることが知られるようになり、小野田の家族や戦友などが中心となり、政府を巻き込んだ捜索活動を実施するも発見には至らなかった。(後に小野田は、捜索隊の存在を認識しており、ジャングルの中で兄の姿を見ていたことを告白している。) 1974年、このことに触発された青年・鈴木紀夫が現地を訪れ、2月20日に彼と接触する事に成功する。鈴木は日本が敗北したことや現代の状況を説明して帰国を促した。小野田も直属の上官の命令解除があれば、任務を離れることを了承する。 3月9日、かつての上司である谷口元少佐から任務解除命令が下り、小野田の戦争が終結。翌10日にかけ、小野田は谷口元少佐にフィリピンの最新レーダー基地などの報告をする。 小野田はフィリピン軍基地に着くとフィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示した。この時、小野田は処刑される覚悟だったと言われる。フィリピン軍司令官は一旦、受け取った軍刀をそのまま小野田に返した。司令官は小野田を、「軍隊における忠誠の見本」と評した。こうして小野田は30年ぶりに救出され帰国が実現した。 帰国の際に、「天皇陛下万歳」と叫んだことや、現地住民との銃撃戦によって多数の住民が死傷したことが明らかになった事(フィリピン政府当局の判断により、小野田訴追は見送っていた)また本当に小野田は敗戦を知らなかったのかという疑問が高まるにつれて「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」といった批判がマスコミにも現われた。父親との不仲などもあり、大きく変わった日本社会に馴染めず、帰国の半年後に実兄のいるブラジルに移住して牧場経営をすることを決意。 帰国後、結婚した妻の町枝と共に移住し、10年を経て牧場経営を成功させた。その後、凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛めた事から、祖国のために健全な日本人を育成したいとの思いで、『小野田自然塾』を主宰。自らのジャングルでの経験を元に逞しい日本人を育成するとして、講演会やキャンプなどを行い、高齢を押して日本とブラジルを往復し続けている。2004年12月17日、日本人で初めてサントス・ドゥモン勲章を受章。 1972年1月 アメリカ領グアム島で横井庄一さん発見。 1974年3月 フィリピンのルバング島で小野田寛郎さん発見。 1974年12月 インドネシアのモロタイ島で中村輝夫さん(李光輝)発見。 ※ 横井庄一さんと小野田寛郎さん。あまりにも対照的な二人の元軍人。それぞれの“戦後”もまた対照的であった。恥ずかしながらも、日本に定着した横井さん。日本に絶望し、日本に妥協することを潔しとせず、異郷に活路を見出した小野田さん。 今でも尚、軍人精神を身に帯びている小野田さんは、今日の日本を深く嘆いている。自国への誇りを見失っている現状に、憤りを感じている。歯がゆさを禁じえない小野田さんも既に80歳をとうに過ぎた。 戦後生まれの安倍総理が、日本の舵を大きく右寄りにきるかも知れぬ今日、小野田さんはどんな思いでいるのだろうか。わたしたち日本人は、どんな日本を望んでいるのだろうか。良きにつけ、悪しきにつけ、日本人としての自覚だけは持っていたい。それこそがインターナショナルの基盤になるのだから。 ◇ 田口2点タイムリーも、カージナルス敗れ3勝3敗(ナ・リーグ優勝決定) メッツ4−2カージナルス ◇ 18日 ◇ シェイスタジアム メッツ(東地区1位)がカージナルス(中地区1位)に勝ち、対戦成績を3勝3敗のタイに持ち込んだ。カージナルス田口壮外野手(37)は代打で2点二塁打を放ったが勝利には結びつかなかった。最終第7戦は19日(日本時間20日)に行われる。 田口は9回2死二、三塁で代打で出場。抑えのワグナーから追い込まれながらも左翼線へ2点タイムリー2塁打を放った。田口はポストシーズンで4打数4安打4打点2本塁打。(ものゴッツイ!)
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