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平成18年10月21日(土)昨日:Google、第3四半期決算、純利益倍増でYahoo!と明暗分ける。 1964年10月21日、東京オリンピックでエチオピアのアベベ・ビキラがマラソン2連覇達成。 2時間12分11秒の世界最高記録で優勝して、前回のローマ五輪に続いてマラソン2連覇を果たす。ローマでは「裸足の英雄」と言われたアベベだが、東京大会ではシューズを履いて快走しました。ゴール後も「あと20キロぐらいは走れるよ」とコメント。オリンピック史上初のマラソン2連覇。 ○ アベベ・ビキラ(Abebe Bikila, 1932年8月7日〜1973年10月25日) 1960年のローマオリンピックにエチオピア代表として参加。たまたま靴が破損したために、裸足で参加したアベベは、当時の世界最高記録の2時間15分16.2秒で優勝。 エチオピア国民はアベベの優勝に熱狂し、アベベはエチオピアの英雄となりました。このレース前には、アベベは全く無名の選手で、ゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってきたとき、各国の報道関係者は「あれは誰だ」と騒然となったとのこと。 この快挙以来、高地トレーニングが広く取り入れられるようになりました。 そして4年後の東京オリンピックでは、競技の6週間前に盲腸の手術を受けたため、十分な練習期間を取ることは出来なかったにも関わらず、アベベは再び2時間12分11.2秒の世界最高記録で金メダルを獲得。近代オリンピック史上、マラソンの連覇は初めての快挙であった。 そんなアベベも、1968年のメキシコオリンピックでは、36歳という年齢による体力の衰えもあり、17kmを走ったところで棄権した。だが、この大会ではエチオピア代表のマモ・ウォルデが優勝し、エチオピアにオリンピック3連覇をもたらした。 1969年、アベベは首都郊外で車を運転中に事故を起こし下半身不随になる。パラリンピックに参加するなどスポーツに関わり続けようとしたが、次第に病気がちになり、41歳で病死。首都・アディスアベバにアベベの名前を冠した国立スタジアムがある。 ※ 1960年のローマでのアベベは、小学生だった私たちにとって絶対的な英雄でした。昼休み、わけもなく裸足で校庭を走る男子生徒が大はやりしました。あちこちでマラソン博士が誕生し、みんなで競争するようにマラソンの知識を溜め込みました。 1964年の東京オリンピックで2連覇を達成した時、マスコミの、どうしてそんなに淡々と走れるのか、との問いに答えて、「愛国心だ」と彼は言った。高校生になったばかりの私は初めて、愛国心って何なんだろう、と考えた。でも、その時の私には、愛国心という言葉はまるで手がかりの無い“異邦人”のような言葉だった。 その後、アベベがパラリンピックに参加するニュースにふれて、また別な感動を覚えた。アベベ・ビキラ、私に人生へのアプローチを示してくれた人、心に残る人。 ア・キラ。
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