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10月21日、【直哉忌】 志賀直哉の1971年(昭和46)の忌日。 ※ 若い頃の池部良が、宿に泊まった。安宿なのか、襖一枚隔てた隣の客がガラリと襖を 開けた。のそっと突き出た白髪頭を見て、池部は、なんだこのオッサン、と思った。そして 男は、「しがだがね…」と言った。池部はますます、なんだこのオッサン、と思った。男は 「君、僕の作品に出てみる気はないかね」と言う。話を聞いてみると、この男、志賀直哉と 言う小説家と分かった。いきなり襖を開けられて不愉快だった池部は、即座に断った。 その後、1959年に、映画『暗夜行路』にめでたく主演している。 ○ 『暗夜行路』 (志賀直哉の代表作、「日本語文の最高峰」とも賞された) 1921年(大正10)〜1937年(昭和12)、「改造」に発表。主人公・時任謙作が出生の秘密や 妻の不義に苦悩し、自己と外界との葛藤に苛立ちながらも、やがて、大自然の中に平安を得る までの心理的過程を描く。志賀直哉、唯一の長編小説。 「暗夜行路は外的な事件の発展よりも、事件によって主人公の気持が動く、その気持の中の 発展を書いた」(創作余談)。一人称で語られる主人公は、作者自身の心の動きでもあった。 主人公・時任謙作は、祖父の妾だった女性と分家住まいをしながら、気ままに暮らす作家を 志望する者。旅先の尾道で、自分が祖父と母との間に生まれた不義の子であることを知らされ 衝撃をうける。その心は、京都で見初めた直子との結婚で和らぐのだが、留守中にその直子が 幼なじみの従兄弟と過ちを犯してしまい、さらに悩む。許すべきである、と思いながらも許し えない心の葛藤。謙作は山陰の旅に出る。 静養を続ける謙作はある夜、提灯をかざす案内人の先導で、大山への登山道を歩き始める。 謙作は途中、腹痛のために列から離れ、草むらに腰を下ろして一人夜明けを待った。麓からは 歩いて3時間ほどの距離だった。 「疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感じられた。彼は自分の精神も 肉体も、今、此の大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒程に 小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のやうな、眼に感ぜられないものであるが、その中 に溶けて行く、言葉に表現できない程の快さであった」 山で朝を迎えた謙作は、やっとの思いで宿坊にたどり着く。重症の大腸カタルだった。翌朝 電報で京都から直子が駆けつけた。謙作は、生死を越えた陶酔感に身をひたしてながら直子を みつめた。「見たことのない、柔らかな、そして愛情のある眼差し」と直子には映った。 翌朝は峰を覆っていた霧が晴れ、全山、緑の稜線に橙色の光明が射していた。 大山(だいせん):比叡山につぐ天台宗の霊場。鳥取県西伯郡大山町。 「この大山は、ずっと人を閉ざしてきたのです。年に一度、行者が祭事のために登るだけで した。志賀さん達は一般登山の先駆けだった。なおさら神秘性を感じられたんでしょうね」。 (大山寺住職:大館禅雄) 大山寺:奈良時代の創建、一時は3千人の僧兵を擁する大寺院。平安末期、室町時代には、 天台宗山岳仏教の修験場として寺勢を誇り、今も本堂を中心に、寺宝を収蔵した宝物館霊宝閣 阿弥陀堂などが現存。阿弥陀堂では、本格的な座禅、古道散策などできます。 蓮浄院:大山寺の支院の一つ、江戸時中期の建造。志賀直哉が投宿した。
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