今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年11月4日(土)昨夜:日米野球で安倍首相、大暴投。ニッポンはだいじょうぶ?足元に不安。

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 SPの楯に守られ、安倍首相の登場


 1921年11月4日、原敬(はら たかし)首相が東京駅頭で刺殺されました。


 ○ 東京駅頭でのようす

 駅長室でしばらく休んだ後、7時25分改札口に向かった。先頭が高橋駅長、次が原首相、
小川国勢院総裁、中橋文部大臣、元田鉄道大臣、高橋書記官長などが続いた。小荷物取扱場を
まわったあたりに差しかかった時、大円柱の蔭で人込みに紛れて潜んでいた青年が飛び出す。

 原敬がその方を向いた途端、首相に突き当たったと思うと同時に、その青年と折り重なって
倒れた。原敬は横向きに倒れ、すでに口も利けなかった。目は開いていた。

 原敬はすぐ駅長室に運ばれたが、目を細く開いてかすかに呼吸するのみ。胸を開くと赤縞の
シャツに、9センチ四方にわたって血が染み出ていた。その下をみると約3センチほどの傷が
左胸部に見つかった。

 最初の医師がきたのが、20分位たってからだった。カンフル注射、人工呼吸など処置、医師
たちが続々と駆けつけ、色々手を尽くしたがどうする事もできなかった。夫人と共に到着した
正木主治医が「おかくれになりました」と最期を告げた。午後7時35分ということであった。


 ○ 運を天に任せ‥ 「原敬日記」 大正10年(1921)2月20日

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夜、岡崎邦輔、平岡定太郎、格別に来訪。余を暗殺するの企てある事を内聞せりとて、余の注意を求めくる。
余は厚意は感謝するも別に注意のなしようも無し。

また、度々かくのごとき風説伝わり、時としては、脅迫状などくるも、警視庁などに送らずしてそのまま捨ておく位なれば、運は天に任せ何ら警戒等をくわえおらざる次第なり。
狂犬同様の者にあらざる限りは余を格別憎むべきはずもこれ無しと思うなり。

 ※ 平岡定太郎は、三島由紀夫の祖父。
原はこの日、遺書を認めている。


 ○ 原敬暗殺の背景

 原敬は首相在任中に極右の団体からアナーキストに至るまで、多くの団体や人物による暗殺の
対象になっていた。それには、次のような要因が考えられる。

 外交において、国民の予想したような成果が得られず、軟弱外交と言う謗りを受けていた。
また、内政においては、戦後の不況による生活不安や開明的思想の広がりによる社会改革運動
が先鋭化し、弾圧の張本人が原敬であるかのごとく喧伝されていったこと。さらに、その原敬
の率いる政友会が絶対多数を占め、数々の汚職・疑獄事件が発生したこと。


 ○ 原敬と皇太子洋行問題

 原敬は、皇太子の様子を見るにつけ、宮中における皇太子教育の封建的な事に疑問をもって
おり、改革の必要を感じていた。元老たちや原敬は、皇太子の人間形成上にとって、宮中から
離して民主的な世界を体験させる必要があると考え、皇太子を洋行させることを進めていた。
これに対して、大正天皇が病弱のため皇后が反対し、右翼も天皇が病気中に渡欧するのは孝道
にもとるなどと反対していた。原敬は反対勢力に抗して洋行を推進し、皇太子を洋行させる。


 ○ 原敬と右翼

 原敬は、宮中某重大事件や皇太子洋行問題で、右翼に対抗する壁として立ちはだかり最大の
障害人物と考えられていた。また満蒙独立運動の軍資金問題でも資金提供者の大倉及び右翼の
矢面に立っていた。さらに、軍人の一部から軍閥の弱体化、海軍大臣就任などで良く思われて
いない。右翼は、皇太子が摂政になってから、皇太子の意見により皇太子妃問題を解決すれば
いいという、原敬の考えを知り、非常な懸念をもっていた。


 ○ 暗殺犯・中岡艮一(こんいち)

中岡艮一は大塚駅の転轍手であった。18歳の青年が何ゆえこのような行動をとったのか。
中岡艮一は公判で政治問題を考えるようになったきっかけとして、大正9年に起こった
ニコライエフスク事件をあげ、さらに青島還付問題、満鉄事件、東京市疑獄事件、シベリア
撤兵問題、アヘン事件、ワシントン会議等をあげている。

【転轍機】てんてつ‐き
 鉄道で、車両を他の線路に移すために線路の分かれ目に設けてある装置。転路機。ポイント。

【転轍手】てんてつ‐しゅ
 転轍機を操作する係。転路手。ポイントマン。

  ニコライエフスク事件:この事件は、黒竜江口のニコライエフスク港(尼港)を占領した
日本軍の一支隊が兵力手薄のため、大正9年2月28日にパルチザンに包囲されて降伏、隊長、
領事らが全滅したもの。降伏した日本軍は、独力でこれを挽回すべく、3月11日に降伏協定を
破り奇襲反撃に出るも、かえって破れる結果となった。残兵と居留民122名は捕虜となる。
その後、日本援軍の来襲を知ったパルチザンは、5月25日、市中焼き払い、日本人捕虜皆殺し
にして撤退したもの。

 これは日本国民に多大な衝撃を与えた。日露戦争で勝った気分が新しいところに、日本軍が
ロシヤ軍に惨敗し、居留民まで惨殺されたのだから、非常な敵愾心を煽った。新聞には捕虜と
なった日本人が、「大正9年5月24日午後12時ヲ忘レルナ」と、獄中の壁に遺した様子が写真
掲載された。


 ○ 中岡裁判の謎

 犯行は、中岡艮一の単独犯として処理され、艮一は無期懲役の刑を受け服役した。しかし、
凶行の原因、動機または犯人の背後関係等については、裁判所も深く追求せず、しごく手軽に
無期懲役の判決がくだったという評も多い。

 「原は背後関係をもった刺客・中岡艮一に襲撃された」と述べている学者もある。長文連氏
は、この裁判について詳細に検証し、その著書「原首相暗殺の真相」(昭和48年)の中で、
「右翼が黒幕である」と主張している。また最近では、猪瀬直樹氏も、この説をとっている。

 長氏によれば、第1は、予審や裁判関係の資料が残存していないことである。
首相暗殺という重大事件の記録がどこにも保存されず、発表もされないのはいかにも不自然。
予審調書なども犯人中岡の著書から引用する外はないありさまである。

 第2は、予審や三番での証言追求不足である。
中岡は駅の友人に参加するように誘い、「芝公園十三号地に来い」と言っているが、この点を
追求していない。「芝公園十三号地」の住人は、右翼に関係ある柴四朗である。また「千円や
二千円の金はどうにでもなる」と言っているが「月収40円たらずの中岡にはとても手の出ない
大金である。金の出どころを追求していない。さらに、同僚の染谷進の証言によれば、中岡が
上野駅で、首相待伏せに失敗したときのことを、仲間が失敗したものであると、中岡から聞か
されたといっているが、予審廷や法廷の訊問で、その点を追及していない事も腑に落ちない。


 ○ 弱体な司法権力の擁護のため?

 長文連氏は、次のように述べている。それまで佐賀閥の独壇場であった司法部に対して、
原敬は藩閥の力を削ぐため、司法官の定年制を実施し、大審院長と検事総長を更迭し、東大卒
の新進気鋭を登用してわずか一カ月しかたっていなかった。原敬という強力なバックを失い、
不安定な状況におかれた平沼大審院長と鈴木検事総長は、背後に皇族と反長州勢力と結び付い
ている右翼がいることを察知し、現在の体制を守るために手心を加えたのではないか。


 ○ 中岡艮一のその後

 無期懲役のはずだったが、3回の恩赦(皇太子御成婚、大正天皇御大喪、昭和天皇即位)の
ため、昭和9年1月31日に、僅か13年間で出所している。4月には「鉄窓十三年」を出版。

 岡山県玉野市の河崎一氏方で約2年間過ごし、昭和11年頃、河崎氏とともに上京し、右翼の
頭領である頭山満を頼っている。その後、当時の満州で目撃されている。敗戦後、引き上げて
きたといううわさを聞いた人がいる。

 彼が認めた手紙の住所には、「哈爾濱(ハルピン)南崗 第四軍管区司令部(以上印刷)
中岡艮一(毛筆書き)」となっており、便箋は「第四軍管区司令部公用箋」と上部に印刷した
ものが使用されている。首相暗殺犯が軍隊の司令部に居た、という事実。


 ○ 原敬、亡きあと

 原敬の対米協調や中国問題の方針転換は、中国大陸に対する膨張政策を推進して来た右翼、
国家主義者、政商等に大きな影響を与えた。彼らの主張、運動の根幹が否定されてしまった。

 また、「皇太子妃の決定は、摂政就任後の皇太子に任せるべきだ」という原敬の考え方は、
あまり乗り気でなかった皇后陛下や皇太子殿下からの信任も厚いことからみても、大きな障害
と考えられていたであろうことは明白。

 皇太子の摂政就任は大正10年11月25日。「原敬暗殺」のタイミングは迫っていたのだ。
これ以後日本は中国強硬政策をとり、戦争への道を転落していった。




 1995年11月4日、イスラエルのラビン首相がユダヤ人青年により射殺された。

 1994年12月、ノーベル平和賞はイスラエルのラビン首相、ペレス外相とPLOのアラファト
議長に贈られた。その最大の理由は何と言っても、1993年9月13日、米国・ホワイトハウスで
行われた、世界中が驚愕し、熱烈に祝福した、両者の握手する姿だった。

 およそ半世紀にも及ぶ民族と宗教の、憎しみを乗り越えての歴史的な和解としての握手。
その時、ラビン首相は、永年の敵に向かって、こう呼びかけました。

 パレスチナ人諸君、言わせてください。

 血も涙も、もう充分に流しました。

 ・・・・もう充分です。


 このラビン首相の、血のでるような悲願は、同胞のユダヤ人青年の凶弾により瓦解する。
果たして、我われが生きるこの世界が、これほど空しくてよいものだろうか。
賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ。この言葉を世界中の人々が、その胸に刻むべき。
「二度と同じあやまちは繰り返しません」、これほど空疎な言葉もあるまい。

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