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平成18年11月7日(火)今夜:米中間選挙投票は日本時間で今夜8時から始まる。民主党優勢。事実上、ブッシュ政権への信任投票。世論調査は民主党投票51%、共和党投票45%。 1944年11月7日は、リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実の死刑執行の日。 スパイ事件である「ゾルゲ事件」の首謀者として、両名は巣鴨で処刑された。 ○ 尾崎秀実(おざきほつみ、1901年4月29日〜1944年11月7日) 岐阜県加茂郡白川村で生まれる。ソビエトのスパイでありながら、近衛文麿政権のブレーンとして、政界、言論界に重要な地位を占め、また軍部とも密接な関係を持ち、日中戦争当時の政局の最上層部で活躍。アジア共産化を目的とした、数々の謀略を実行した。ゾルゲ事件で逮捕され処刑される。 幼少の頃は台北で育ち、台北第一中学校に進学。1922年(大正11年)第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部(現東京大学)に入学。1925年に東大卒業後、一年間、東大大学院に在籍。そこで大森義太郎が指導する唯物論研究会に参加、共産主義の研究に没頭。1926年、朝日新聞社に入社し、東京朝日新聞に勤務。 社内で『レーニン主義の諸問題』をテキストとした研究会を開催。1927年に、大阪朝日新聞に転ずる。1928年(昭和3年)11月上海支局に転勤し特派記者となり、3年余り、上海で過ごす。その期間に中国共産党と交流するようになる。 アグネス・スメドレーと出会い、コミンテルンの諜報活動に参加するようになり、リヒャルト・ゾルゲと出会った。1932年(昭和7年)2月、大阪本社に戻り、外報部に勤務。1934年10月、東京朝日に転じ、東亜問題調査会に勤務。1937年4月から昭和研究会に参加。 1938年7月、東京朝日を退社。第1次近衞内閣の嘱託となり、1939年1月の第一次近衛内閣の総辞職まで勤める。同時に「朝飯会」のメンバーにもなる。これは第2次近衛内閣、第3次近衛内閣までに渡る。1939年6月1日、満鉄調査部嘱託職員として東京支社にて勤務。ゾルゲ事件で逮捕されるまで、同社に勤務していた。 1941年10月15日に、ゾルゲ事件に連座して逮捕される。訊問には積極的に答えたので、28回分の検事・司法警察官訊問調書、また、28回分の予審判事訊問調書などの膨大な量の資料を遺す。 1944年、ロシア革命記念日の11月7日に、国防保安法違反、軍機保安法違反、治安維持法違反により巣鴨拘置所においてリヒャルト・ゾルゲと共に絞首刑に処された。 ※ 尾崎秀実(ほつみ)の異母弟・尾崎秀樹(ほつき)は当時、日本中から「スパイの家」と指弾されながらも、兄の行動を丹念に調べ上げた。そして尾崎秀実がどれほど真剣に日本と世界の平和を希求していたかを確信するに到る。尾崎秀実の処刑に隠された憎むべきユダ=裏切り者の存在を暗示する。(野坂参三? 伊藤律?) ○ リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge,1895年10月4日〜1944年11月7日) 第二次世界大戦中、ドイツのジャーナリストと言う肩書きを持つソビエトのスパイであり、戦前の日本を舞台にした「ゾルゲ事件」の主役。 1914年10月、第一次世界大戦にドイツ陸軍に志願兵として参戦。負傷し戦線から退き、入院中に社会主義思想を知る。1919年にハンブルク大学で政治学の博士号を取得し、その後ドイツ共産党へ入党。1921年にドイツへ戻り結婚。1924年には、党での活動が評価されコミンテルン本部にスカウトされソ連共産党に、さらに労農赤軍本部第4局に籍を移しソ連の首都モスクワへ赴く。 ゾルゲは1930年に、ドイツの新聞社「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の特派員というカバー(スパイ活動のための仮の職業)を与えられ、上海に派遣される。上海では特派員としての仕事を通じて、当時、毛沢東に同行取材するなど、中国で活躍するアメリカ人ジャーナリストのアグネス・スメドレーや当時、朝日新聞記者だった尾崎秀実と知り合う。 1932年1月には、日中軍の上海市街戦(上海事変)を報告した。同年12月にモスクワに戻る。1933年9月6日に「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員として横浜へ派遣された。その目的は、日本やドイツの動きをソ連に送ることであった。 上海時代に知り合った近衛文麿内閣のブレーンで、この頃は南満州鉄道嘱託職員をしていた尾崎秀実や、フランスのアヴァス通信社(現AFP通信社)の特派員で、ゾルゲの特派員仲間でもあるユーゴスラビア人のブランコ・ド・ヴーケリッチ、元老・西園寺公望の孫で、尾崎と同じく近衛内閣のブレーンの一人であった西園寺公一(きんかず)、洋画家でアメリカ共産党員の宮城与徳、ドイツ人技師マックス・クラウゼンとその妻アンナ・クラウゼンらを中心メンバーとするスパイ網を日本国内に構築、スパイ活動を開始する。 当時の日本におけるドイツ人社会で、日本通かつ熱烈なナチス党員として知られていたゾルゲは、オイゲン・オットー駐日ドイツ大使の信頼を勝ち取り、最終的には大使館付の私設情報官という地位を得た。ゾルゲはその立場を利用して、ドイツによるソ連侵略作戦・バルバロッサ作戦の、正確な開戦日時を含めた詳細な情報を事前に入手したが、ゾルゲをニ重スパイではないかと疑っていたスターリンはゾルゲの情報を無視。その結果、ドイツ軍お得意の電撃戦に翻弄されたソ連は緒戦で大敗、首都モスクワまで数百キロまで迫られるという窮地に陥ってしまう。 この様な状況を受けて、近衛内閣のブレーンで政権中枢や軍内部に影響力を持つ尾崎は、日本軍の矛先を同盟国・ドイツが求めていたソ連への進攻でなく、仏印や英領マレー、フィリピンなどの南方へ向けさせるための工作を行った。 尾崎の工作が、どれほど決定に影響したか定かではない。日本軍部は、独ソ戦開戦に先立つ、1941年4月30日に日ソ中立条約が締結されていた上に、南方資源確保の意味もあってソ連との開戦には消極的であったといわれている。が、ともかく尾崎の思惑通りに、1941年9月6日に行われた御前会議で日本軍は、南方及び米国への進攻を軸とする「帝国国策遂行要領」を決定。 当然ながらこの情報を事前に入手することが出来たゾルゲは、それを直ちにソ連へ伝えた。その結果、ソ連はその戦力を独ソ戦に集中することができ、その直後のスターリングラードの攻防戦でドイツ軍を撃破、最終的に1945年5月に独ソ戦に勝利するに到る。 大東亜戦争開戦直前の1941年10月に、ゾルゲや尾崎のグループはスパイ容疑で警視庁特高一課と同外事課によって一斉に逮捕された。逮捕に至る経緯は、まず、1941年6月に日本共産党員であった伊藤律が逮捕され、アメリカ共産党員で当時日本に住んでいた北林トモの名を自供、更に北林がアメリカ共産党の同志・宮城の名を自供した事がきっかけと言われるが、この経緯の詳細については様々な説がある。 その後、ゾルゲらは1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴され、一審によって刑が確定、それぞれに1年半・執行猶予2年(西園寺)から、死刑(ゾルゲ、尾崎)までの判決が言い渡された。 ゾルゲや尾崎らは、巣鴨拘置所(戦後、GHQにより巣鴨プリズンに改称)に拘留され、日本、ドイツ両国の敗色が濃厚となってきた1944年11月7日のロシア革命記念日に死刑が執行された。翌1945年1月には、ヴーケリッチも北海道の網走刑務所で獄死したが、クラウゼンは戦後、夫婦ともども連合軍によって釈放され、生きて故郷の東ドイツに戻ることができた。 ゾルゲが逮捕されて以降、ゾルゲはコミンテルンのスパイであることを自供したものの、ソ連政府はかたくなにゾルゲが自国のスパイであることを否定、その後もソ連の諜報史からゾルゲの存在は消し去られていた。しかしその後、反スターリン路線を掲げるニキータ・フルシチョフがソ連の指導者として君臨していた1964年に、ゾルゲに対して「ソ連邦英雄勲章」が授与されて、死後20年を経て、その功績が認知された。 ※ リヒャルト・ゾルゲは、今やロシアに隠れなき英雄である。彼は冷徹な現実家だった。対する尾崎秀実は、理想主義的共産理念を信奉する夢想家であったのか。ゾルゲよりも高い理想を持ちながらも、スパイとして処断される悲劇。その名誉が回復されることは、今後もおそらく無いだろう。 秀実と妻子との獄中通信「愛情はふる星のごとく」は、戦後のベストセラーとなった。 秀実の弟、大衆文芸評論家・尾崎秀樹は、「ゾルゲ事件」の真相究明で活動した。 1999年9月21日、胃癌のため逝去、享年70。 2003年6月、篠田正浩の映画『スパイ・ゾルゲ』が公開された。篠田は製作記者発表会で、「ゾルゲをどう描くのか」という記者の質問に対して、「政治的にどう評価するかという問題だと思います。それに対して、ジョン・レノンの『イマジン』を私の回答にしたい」と返す。 『Imagine』 Imagine there's no heaven 思い浮かべてごらん 天国なんてないんだと It's easy if you try その気になれば 訳ないことさ No hell below us 僕らの足下には地獄なんてなく Above us only sky 頭の上には ただ空があるだけさ Imagine all the people 思い浮かべてごらん 世界中の人たちが Living for today … … … 今日一日のために 生きているんだと Imagine there's no countries 思い浮かべてごらん 国境なんてないんだと It isn't hard to do そんなに難しいことじゃない Nothing to kill or die for 殺しあったり、死んだりする理由なんてなく And no religion too 宗教すらない世界 Imagine all the people 思い浮かべてごらん 世界中の人たちが Living life in peace … … … 平和な暮らしを送っているんだと You may say I'm a dreamer 僕は夢追い人かも知れない But I'm not the only one でも、それは僕一人じゃない I hope someday you'll join us いつか君もこの夢を追えば And the world will be (live) as one その時、世界はひとつになるはずさ (この一節は【refrain】) Imagine no possessions 思い浮かべてごらん 自分の物なんて何ひとつないんだと I wonder if you can 君にできるかな やってごらん No need for greed or hunger 欲張ることもなく 飢えることもなく A brotherhood of man 人はみな 同じ仲間なんだ Imagine all the people 思い浮かべてごらん 世界中の人たちが Sharing all the world … … … この世界を分かち合っていると (【refrain】)
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