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平成18年11月12日(日)自殺予告:学校・教育委員会の隠蔽体質を糾弾するもの。 11月の第2日曜日は、【夕霧供養祭(清涼寺)】でございます。 江戸時代の初め、名妓とうたわれた夕霧太夫を偲び、現役の島原太夫を招き法要を行う。 島原太夫が門前から本堂までを道中し、本堂で法要を行い、その後、太夫は禿(かむろ)を従え 墓地まで道中し、花を供えてお参りをする。渡月橋の畔では、島原太夫がお点前を致します。 ○ 島原の遊女・夕霧太夫 江戸前期には太夫などの最上級の遊女は、芸事だけでなく武家、公家、富裕層の町人の相手を 務めるだけの教養を兼ね備え、金や権力に媚びない資質も必要とされました。当時吉原の遊女、 3,000〜4,000人の中で太夫は10〜20人程だったと申します。 夕霧は嵯峨中院の生まれで俗名を「てる」とも伝えられています。京都島原(下京区西新屋敷 にあった花街の俗称)廓の扇屋四郎兵衛の抱え遊女となり、その後、寛文2年(1662)扇屋が 大阪新町廓に移り、江戸の高尾、京の吉野と並び名妓夕霧はたちまち大阪髄一の全盛をうたわれ たといいます。彼女は延宝6年(1678)正月6日、26歳でその生涯を閉じました。 夕霧太夫の書いた、「待つ春」の文は、彼女の才能と人柄があらわれている美しい文章で、 これを着物の袖などに縫い込んだり、箪笥にいれておくと生涯、衣類に不自由しないと伝えら れます。たぐい稀な「才・色・品・情」を併せ持つ夕霧太夫は多くの人々を魅了し、その後、 近松門左衛門の歌舞伎狂言・浄瑠璃にも劇化上演されて人気を博し、「廓文章」は現在でも尚 親しまれている歌舞伎の演目です。 ○ 清凉寺:〒616-8447 京都市右京区嵯峨釈迦堂 電話:075-861-0343 京都・嵯峨の清凉寺は、釈迦堂の名で広く親しまれてると共に、浄土宗の開祖法然上人が、 24歳の時に人々を救う仏法を求めて、同寺の釈尊像の前に七日間お籠もりした由緒ある寺院。 仁王門から入った広い境内に、本堂はじめ阿弥陀堂、一切経蔵、薬師寺、宝物館、弁天堂、 狂言堂、聖徳太子殿、法然上人求道青年像、鐘楼、豊臣秀頼公首塚、多宝塔など多くの堂塔が 建ち並びます。 拝観料400円(太夫道中見学は無料) 霊宝館:400円(本堂拝観は700円) アクセス:市バス28「嵯峨釈迦堂」下車、JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車 大阪市天王寺区下寺町1丁目の浄国寺に、夕霧太夫の墓があります。墓石左側面に上島鬼貫
(1661〜1738)の句、『此塚に 柳なくとも あわれ也』が刻まれている。この句は夕霧の没後 11年の1688年(元禄元年)に、鬼貫(おにつら)が墓に詣でて詠んだものとされる |

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