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平成18年11月13日(月)昨夜:前知事・佐藤栄佐久の談合出直し選で民・社推薦の佐藤氏当選。 11月13日は、【空也忌】です。 (【京都空也堂開山忌】は11月の第2日曜) 平安中期の僧で市聖と呼ばれる踊念仏の開祖、空也上人の命日。 ○ 空也上人(903〜972) 浄土教の先駆者で、特に庶民の間に念仏を広めた。生国不明。諸国を遍歴後、京都に入り、 口称念仏を広め、市聖(いちのひじり)と呼ばれた。天台座主・延昌により受戒、光勝の名を 受ける。悪病流行時は勧進で仏像を造立。鴨川東に西光寺(後の六波羅蜜寺)を建立。同寺の 唱えた念仏が阿弥陀仏となる空也上人立像は有名。 ○ 空也堂 (蛸薬師通堀川東入) 空也を本尊とするため空也堂と呼ばれるが、紫雲山光勝寺極楽院と号する天台宗の寺院。 天慶2年(939)、空也上人の開創といわれ、当初は三条櫛笥(くしげ)にあったので櫛笥 道場とも市中道場とも呼ばれた。応仁の乱で消失したが、寛永年間に現在地に再建された。 空也は鐘を叩き念仏を唱えて全国行脚し、仏教の庶民階層への布教に尽力するかたわら橋を 架け、道路や井戸を整備し、野にある死骸を荼毘(だび)に付すなど社会事業も行った。その ため、空也は市聖とか阿弥陀聖(ひじり)と称され、後の一遍をはじめとする布教僧に大きな 影響を与えました。空也上人が東国教化のため、寺を出立した陰暦11月13日を忌日とするが 京都空也堂では、毎年11月の第2日曜日に空也上人開山忌が執行されます。 Q:六波羅蜜寺の、六波羅蜜(ろくはらみつ)って何? A:迷い・苦悩から解放されるための六つの方法論 一、布施 (ふせ。広くゆきわたらせて、ほどこす。) 見返りを求めない施し。むさぼりの心を抑えて恵みを施す。物だけではありません。 二、持戒 (じかい。いましめをたもつ。) 人として自ずと守るべきもの、たもつべきもの。自らが自らを律して真理に背かない。 三、忍辱 (にんにく。はずかしめをしのぶ。忍=刃の下に心をおく。) 辱めを受けて堪え忍ぶ。頑張らずに、溜め込まずに。明日のことを今日煩うことなく。 四、精進 (しょうじん。たゆまぬ努力。) 命とは、私たちに与えられた時間のこと。命を惜しみ、日々の務めに生きる。 五、禅定 (ぜんじょう。波立つこころ、波静まれば自ずと見通す。) 自らのこころの動揺にたじろぐことなく、自心をみつめ続け、正しく受け止める。 六、智慧 (ちえ。無分別の分別。) 迷い、こだわりを離れた自由なこころ。世間・常識に捉われない自由な世界観。 (六波羅蜜=六つのパーラミター。パーラミターはサンスクリット語で、漢訳では到彼岸、 度<=わたす、渡>)などとされる。究極の完成態という意味になる。異説あり。) 「平成の空也上人」 千葉の彫刻家が模刻 京都市東山区・六波羅蜜寺 重文像と並べて公開 2006年11月 京都市東山区の六波羅蜜寺にある空也上人立像(重要文化財)と、この像を模して若手の 仏像彫刻家が学生時代に作った像が、11月1日から並べて公開されている。川崎純性住職は 「鎌倉時代と平成の現代に作られた2つの像から、衆生救済に尽くした上人の時代を超えた 慈悲を感じてほしい」と話す。 彫刻家は千葉県市川市の堂本寛恵さん(33)。像は実物を忠実に再現した模刻。素材、技法も 同様で、ヒノキの一木造を基本に、一部に寄木造の手法を取り入れた。 堂本さんは1998年に東京芸術大大学院の卒業制作で空也上人立像の模刻を計画。写真撮影を川崎住職に申し入れたところ、「写真を見て彫るという安易な考えで模刻はできない。本気でやるなら通いなさい」と一喝された。 2年間に約100回、千葉から車や夜行バスで寺を訪問。寸法を知るだけでは把握できない張りや膨らみを見つめ、メモを取ったり、絵に描いたりして制作に生かした。 堂本さんは卒業後、京都や東京で仏像や法具の制作を手掛け、現在は国宝の仏像など7点の模刻や制作に携わっている。模刻は「当時の仏師と思いを共有することが重要」といい「空也上人立像を通して仏像が生み出される過程を学べた」と振り返る。 模刻が実物とともに公開されるのを前に、堂本さんは「平成の世にも空也上人を慕う人間が いることを知ってほしい」。川崎住職は「複製とは違って、模刻には制作者の魂が込められて いることを感じ取ってもらえるのではないか」と話している。公開は11月30日まで。 乾鮭も空也の痩も寒の中 (芭蕉) 乾鮭(からざけ)は寒中に作られ市中に出回るもので、痩せ細ったものの喩え。空也は、 ここでは空也僧のこと。空也僧とは、空也堂を本拠として遊行する僧たちで11月13日の 空也忌から48日間、寒中修業に入る。その修業中には毎夜未明に腰に瓢箪を巻きつけて 念仏を唱え、鉢を叩き、和讃を唱えつつ踊りながら街中を練り歩いた。空也僧は念仏宗の 優婆塞(在家の男性信者)であった。瓢箪を叩いて歩くところから、のちには「鉢たたき」 とも称されるようになりました。 ※ 子供の頃に空也上人の写真を見た時、とても気味が悪かった。舌先から物の怪を出す
妖怪変化の姿だと思った。空也上人の表情そのものも怖かった。何故だったんだろう。 |

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