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平成18年11月15日(水) 午前10時:何処へと 売られてゆくや D-MAT 午前10時、球団発表:ボストン・レッドソックスが5.111万ドル(約60億円)で松坂との 30日間の交渉権を獲得した。これからは松坂を、何年で、幾らで、契約するかに移行する。 「バンビーノの呪い」の再来を恐れたのか? 1920年1月3日、当時経営難にあえいでいたレッドソックスは、12万5千ドルの金銭と30万 ドル以上の負債の肩代わりをすることを条件に、ベーブ・ルースをニューヨーク・ヤンキースに トレードした。しかし、彼のヤンキース移籍を期にヤンキースの成績が伸び始め、それに反比例 するようにレッドソックスの成績は伸び悩み、1945年まではワールドシリーズにも進出できない シーズンが続いた。 それ以降もワールドシリーズに4回進出するも、優勝はできなかった。1986年のニューヨーク ・メッツとのシリーズでは、3勝2敗で迎えた第6戦を延長10回に2点リードのまま、ランナー なしであと1アウトで優勝という場面まで来たものの、3連打と暴投で同点に追いつかれ、更に ビル・バックナー一塁手の「史上最悪のトンネル」とも呼ばれるエラーでまさかのサヨナラ負け を喫してしまう。第7戦も逆転負けで、手に届くところまで来ていた、ワールドチャンピオンを 逃してしまった。 ベーブ・ルースに呪いをかけられたようだとして、いつしか彼の愛称「バンビーノ」から、 「バンビーノの呪い」(Curse of the Bambino)と呼ばれるようになった。86年もの長きに及んだ この「呪い」も2004年のワールドシリーズ制覇により解かれることとなった。 だが、2005年シーズン開幕戦、ヤンキースタジアムでは、「バンビーノの呪いは解けたのでは ない。86年に一度しか優勝できなくなると言うものだ」と皮肉り「2004+86=2090」と書かれた プラカードが見受けられた。しかし、ボストン側も負けてはいなかった。ヤンキースが球界最高 年俸(10年で300億円)のアレックス・ロドリゲスを擁してからワールドシリーズを全く制覇でき ないことから「A-ROD の呪い」として反撃する。 ※ 「D-MAT の呪い」なんて事は、ないでしょうね。 今日、11月15日は、【七五三祝い】です。 おおかたは、土日の11日、12日に済ませますが、15日に行うのが正しい。 数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の時、成長を祝い神社に 参詣する行事。11月15日に行うようになったのは五代将軍徳川綱吉の子、徳松 の祝いがこの日に行われたことからとも、言われている。(男の子は5歳のみ とする地方もあります) 数え年3歳のお祝いを髪置きの祝いと呼び、男女ともこの日から髪を伸ばす しきたりがありました。数え5歳(満4歳)の祝いは男児の袴着の祝いとして 定着しています。数え年7歳(満6歳)になると、女の子は着物についている 付け紐を除いて、帯を結ぶようになることを祝う、帯直し祝いを行いました。 生活の基本的習慣がほぼ一人前に身につく頃だけに、就学前のけじめをつけさ せる意義深い習慣として伝えられてきました。 〔 袴着<はかまぎ>の祝い:宮中では着袴<ちゃっこ>の儀 〕 平安時代、男児女児ともに3〜4歳あるいは6〜7歳のときに、初めて袴をつける儀式を 行いました。碁盤の上に子供を立たせ、腰結いの役の人が袴をつけました。この頃は吉日を 選び行っておりましたが、室町時代に11月15日と定められ、江戸時代以降は男子のみの風習 となりました。現代でも宮中では古式にのっとった「着袴の儀」が行われています。 愛子さま「着袴の儀」 11月11日午前 元赤坂の東宮御所 皇太子家の長女愛子さま(4)の「着袴の儀」が11日、東京・元赤坂の東宮御所「日月の間」 で行われた。一般の七五三に当たる皇室行事。童形服で正装した愛子さまは皇居・宮中三殿に 参拝し、天皇、皇后両陛下に挨拶された。 童形服は誕生の際、天皇陛下から贈られた。皇太子ご夫妻が見守る中、女官らの手で、紫色の 袴や赤色の袿(うちき)を身に着け、衵扇(あこめおうぎ)を手にして儀式を終えた。 愛子さまは12月1日が5歳の誕生日。宮内庁東宮職によると、最近は庭の花を生けて両親や 自分の部屋に飾ったり、遠足の芋掘りで使った布袋に自分で名前を刺しゅうするなど、元気に 育っている。昔話の紙芝居で覚えた「拙者」「わらわ」などの言葉を使って遊ぶこともあるという。 中国では7、5、3の奇数が縁起が良いとされることから影響を受けたようである。 また7、5、3を合計すると15になることから、15日は縁起の良い数を重ねた良き日と して、子供の成長を祈り願う日となった。11月が選ばれたのは、旧暦では11月15日が、 二十八宿で祝い事に最良の日とされる「鬼宿日」であることからだとも言われている。 七五三につきものの「千歳飴」の発祥地は江戸時代の浅草寺。飴売り七兵衛なる者が
「千年飴」「寿命糖」と名付けて売り歩いて有名になったとされる。子供たちの好物で ある飴と、七五三に子供の喜ぶ顔が見たい親の気持ちが結びつき七五三の定番になった と考えられる。千歳飴は水飴を適度に煮詰めた後飴の中に気泡を入れながら加工した物 で、このために色は白くなり量も増え、風味がよくなります。赤くした物と組み合わせ 紅白の飴を、長寿を願って鶴や亀が描かれた袋に入れます。 |

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