今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年11月17日(金)昨日:教育基本法改正案が衆院通過、野党4党は欠席。
 審議拒否に何ほどの意義があるのか知らないが、有権者の支持は受けがたい。


 11月17日は、本田宗一郎の誕生日です。

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 ○ 本田宗一郎 (1906〜1991年)  実業家 本田技研工業の創業者

 静岡県磐田郡光明村の腕利きの鍛冶屋の長男坊として生まれました。16歳で高等小学校を
卒業し、自動車修理会社のある東京に丁稚奉公に行きました。最初は子守りと掃除ばかりで
苦労の連続でしたが彼は「物事は考えようだ。毎日こうして自動車を眺め、その構造を見て
いられるだけ、幸せではないか」と考えて、兄弟子たちの仕事を必死で観察した。

そして1年ほどの歳月が流れ、とうとうスパナを握らせてもらえるようになると彼の本領が
発揮されます。彼は手先が器用な上に勘がよく、遊びよりも自動車が好きで、朝早くから夜
遅くまで、無我夢中で誰よりも貪欲に知識と技術を吸収し、ついに21歳で独立した。

 当時の自動車は輸入車ばかりで、一度故障すると海外から部品を取り寄せなければならず
修理に時間がかかり運送業者などは非常に困っていた。そんな状況の中、部品などを自分で
設計して器用に作り上げ、どんな故障でも迅速に直す彼の会社は、たちまち繁盛した。

 その後、彼は何かこの手でオリジナルのものをつくりたいと、周囲の反対を押し切って、
自動車の重要な部品であるピストンリングの製造へ転換する。ところが3万本試作した内の
50本を厳選して納品したが、わずか3本しか合格しないというありさまだった。

 そこで勉強嫌いだった彼が、技術だけではなく理論を基礎から勉強しようと浜松工業高等
学校(現・静岡大学工学部)の聴講生となり、更に大学、研究所を数年間渡り歩いて研究を
重ね、その間に特許を28件もとり、ついに大量生産に成功。それは全ての資金を使い果たし
奥さんが質屋通いするという、倒産寸前のことでした。

 そして戦後の混乱期、部品づくりから自動車を、それも「日本一でなく世界一の自動車」
を創ろうと、本田技術研究所を設立したのでした。

 本田の奥さんが自転車での買い物に苦労しているのを見かね、少しでも楽にさせてやろう
と、簡単な補助エンジンを付けてやりました。燃料タンクは湯たんぽでした。奥さんが近所
をパタパタと軽快な音を立てて買い物する光景はたちまち評判となり、私にも付けて欲しい
との注文が殺到しました。結局、これが本田技研の最初の仕事になりました。

 自転車の補助エンジンから始めて、オートバイ生産に着手、本格オートバイ・ドリーム号
を開発し、オートバイ・ブームを起して急成長。特に1958年発売のスーパーカブ号は、生産
台数2000万台以上というロングセラー商品となった。1959年からは、オートバイの国際
レースにも参加。1966年にはグランプリレースで5種目で史上初の完全制覇を達成。

 1963年には念願の4輪車製造に進出。1964年よりF1レースに参加し、「ホンダ」の名を
世界的なものにしました。そして1973年、「会社は一族のものではない」と、社長を引退、
そのさわやかな引退ぶりは脚光を浴びました。

 平成元年には、日本人として初めて米国の自動車殿堂入りを果たしますが、平成3年8月
肝不全により亡くなりました。享年84。


 「何かを発明しようと思って、発明する人がいたらお目にかかりたい。自分が困った時に
それを解決するために知恵を出すのが発明といってさしつかえない」

 「人間というのは困らなきゃだめです。絶対絶命に追い込まれた時に、出る力が本当の力
なんだ。人間はやろうと思えば、たいていのことはできるものです」

 「飛行機は飛び立つ時より着地が難しい。人生も同じだよ」

 「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」

 「芸術でも技術でも、いい仕事をするには女の事が分かってないとダメなんじゃないですか」

 「自動車を修理する前に、お客さんの心を治してあげることが大切だ。
  それには礼儀正しく、心の豊かな人間にならなければいけない」

 「欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ」


 「会社は一族のものではない」と、社長を引退した本田氏だったが、かつて臍を噛む思いを
したことがあった。おなじ物づくりの創業者として、盟友だった井深大(まさる)が、自社名を
「ソニー」と改称した時だった。本田は、自らの名を社名に冠したことを深く後悔した。

 井深大氏は、本田氏にオートバイにもICチップを組み込むべきだと、熱心に説得したことが
あった。だが、本田氏は最後までICチップの機能を理解することができなかったと言う。この
本田宗一郎と言う男は、良くも悪くも「職人」であり、「機械屋」だったのだ。だからこそ、
素晴らしいマシンを造りえた。今や車も、走るコンピュータと言われるほどに、ソフトに依存
している。ハードに関する画期的な進歩は難しい時代になった。

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私は鈴鹿に住んでいます。本田に勤める人を何人か知っていますが、仕事熱心です。工場を案内された事がありますが、隅々まで神経が行き届いていました。故人になられる前の社長は豪快さを身に着けた人だと思いました。冥福を祈ります。

2006/11/19(日) 午後 7:23 [ kaz*_51** ]


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