今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年12月5日(火)昨日:奈良市の同和検討委員会の委員長に、「解同」関係者

 奈良市の「解同」(部落解放同盟)の幹部だった元市職員(懲戒免職)の長期「病休」問題
などを契機に同市が立ち上げた、「市の同和行政を真に人権行政にするための検討委員会」の
委員長が「解同」と密接な関係にあることが、4日までにわかった。

 同委員会は大学教授や弁護士、市担当部長ら10人で構成、11月30日の初会合で委員長に野口
道彦・大阪市立大学大学院教授を選んだ。野口氏は、社団法人部落解放・人権研究所(大阪市
浪速区)の理事。同研究所は「解同」中央本部、同大阪府連と同じ大阪人権センターの二階に
ある。

 同研究所は「解同」大阪府連などの援助協力を得て1968年に「大阪部落解放研究所」として
設立され、顧問に「解同」中央執行委員長、同府連委員長が名を連ねています。今年度の事業
計画は「差別撤廃」のために「解同」などの団体との「連帯を強化」すると表明している。

 奈良市の検討委員会とは、「解同」との協議体制や内容、同和優遇施策について「抜本的な
見直しを進め」るのが目的。しかし、「解同」と関係深い人物を委員長にして、公正な審議や
抜本的な施策の見直しができるはずもなく、批判はまぬがれ得ない。同検討委員会は非公開で
議事録は公表せず、来年1月末をめどに中間報告をまとめる。(逆差別どこまで続く泥濘ぞ)


  今夜は、今年最後の満月です。

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 12月5日は、ウォルト・ディズニーの誕生日です。

 ○ ウォルト・ディズニー(本名: Walter Elias Disney)(1901〜1967)

 イリノイ州シカゴ生まれ。彼は幼少の頃から絵を描くのを得意とし、年齢とともに才能を
発揮した。1920年、最初のオリジナルアニメーション動画を創作し、世に送り出しました。
その後、兄、ロイ・ディズニーと集めた資金で小さな制作室を作り活動を始める。


 1928年11月18日、封切られた世界初の完全トーキー映画「蒸気船ウィリー」で、スクリーン
デビューを果たす。ミッキーマウスの誕生だった。当時ウォルトは26歳。「蒸気船ウィリー」
の成功により、ミッキーマウスの人気は急上昇、彼のトーキー映画への執念は報われた。

 その後、画期的な長編アニメーション「白雪姫」「ピノキオ」「バンビ」「ファンタジア」
等の長編作を発表。漫画映画の第一人者となる。一方では自然科学映画「砂漠は生きている」
劇映画「海底二万マイル」等を製作し、32ものアカデミー賞を獲得する。

 1955年、魔法の王国ともいうべきディズニーランドを1700万ドルという巨額を投じて建設。
その後も新たなテーマパーク、ウォルト・ディズニー・ワールドのプランを指揮、また、カリ
フォルニアの芸術学校の創立にも力を注いだ。

 1967年12月15日、肺癌悪化による急性循環不全のため逝去。65歳だった。

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 ディズニーランド開園前の議論で、運営を外部へ委託するという意見が出た時、彼は昂然と
次のように語ったと言われる。

 「ここは、今までの遊園地なんかとは違う。ディズニーランドなんだ。だから、我々の手で
運営するのだ。必要なのは熱意であり、懸命に意欲的に様々な事を学ぼうとする人だ。間違い
をするかもしれないが、それを糧にディズニーランドらしいやり方を考えていきたい」。

 世界一すばらしい場所を企画、創造し、建設することはたやすいが、その夢を現実のものに
するためには人が必要なのだ。

 ※ 初期の映画では、ウォルト自身がミッキー・マウスの声優を演じていた。そのため、
素人でも簡単に物まねできる裏声キャラとなった。


  ハリウッドにも波及した赤狩り (レッド・パージ / McCarthyism )

 第二次世界大戦後に吹き荒れた、ジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」の嵐。ウォルト・
ディズニーも公聴会に呼び出され出頭している。そして「ソ連に『三匹の子ぶた』を売った
ことがある。非常に好評だった」と証言している。彼はお咎めなし。彼はむしろ極端な反共
主義者、反日思想の持ち主だった。彼は第二次世界大戦中や冷戦中、自分のキャラクターを
軍や政府に無償で提供していた。当時、製作されたプロパガンダ映画にはミッキーマウスが
戦闘機に乗り、零戦を撃墜するシーンがある。

 ハリウッドは共産主義者の牙城だという噂があり、共産主義者排斥のために、俳優や監督
スタッフなどの思想をFBIが調査したのだが、その際に、ディズニーはFBIのスパイとして、
暗躍したのではないか、闇の帝王的存在だったのではなかったか、という説がある。

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  赤狩り / 非米活動委員会(HUAC)

 委員会にとって、ハリウッドのスターや有名人を召喚する事は、彼等の行動を一般大衆に
アピールするための格好の宣伝となるために、ロバート・テイラーやゲーリー・クーパーと
いった共産主義者及びそのシンパの疑いのある映画人たちが次々と召喚された。

 赤狩りで映画産業が崩壊しかねないと感じた俳優のハンフリー・ボガートや監督のジョン
・ヒューストンたちは、アメリカ合衆国憲法第一修正条項の規定にある思想と政治的信条の
自由をHUACが侵害しているとして「第一修正条項委員会」を発足。ワシントンに乗り込んで
抗議を行うが、HUACの力が強くなるに連れて、反対運動は次第に衰えていった。

 また、委員会の圧力を恐れたハリウッドの映画スタジオは、共産党員及びシンパの疑いが
ある人物や、委員会への証言を拒否した人物のブラック・リストを作成して、このリストに
名前が載った映画人たちをアメリカの映画界から追放する。

 1953年までに『緑色の髪の少年』の監督ジョセフ・ロージーや『ジョルスン物語』の俳優
ラリー・パークスを含めて324人もの映画人がハリウッドのブラック・リストに記録された。
このハリウッドの暗黒時代の中でも、「ハリウッド・テン」のように権利章典を楯に証言を
拒否して委員会に敢然と立ち向かう者もいたが、監督・エリア・カザンや、俳優のリー・J・
コッブのように仕事を続けてゆくために仲間を裏切る者も続出した。

 チャールズ・チャップリンも共産党員のレッテルを貼られた一人でアメリカへの再入国を
禁じられていた。アメリカではその狂信的で過激な行動が反発を買って、1954年12月上院の
問責決議がなされて下火となるが、ハリウッドでの赤狩りの影響は50年代の終りまで続いた。

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アメリカの狂信的な過激な行動は、「赤狩り」でも良く分かりました。わたくしもアメリカのこの点について、今日、「ちょっと変なこと!世界史から」で紹介したばかりです。戦時中の日本も、特高などで検閲がありましたね。私の兄が、津田左右吉氏の本(ちょっと失念)を持っていたばかりに、取り調べました。要注意人物らしかったですよ。

2006/12/7(木) 午前 9:14 [ kaz*_51** ]


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