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平成18年12月8日(金)道路特定財源の見直し:一歩踏み込んだ内容での決着になる見通し。 12月8日は、「太平洋戦争開戦の日」です。 対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日) 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃、3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発。 「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文を打電する。 この作戦はあくまでも奇襲作戦であったが、駐米大使らの怠慢から歴史に汚点をのこす“だまし討ち”となった。ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に、最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成が大幅に遅れたため、事実上、宣戦布告なき開戦となる。アメリカは「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉として、厭戦気分の米国民を鼓舞した。 また、真珠湾攻撃の1時間5分前、日本陸軍第25軍第18師団は、宣戦布告をしないで、不意討ちにマレー半島のコタバルに上陸し、英軍と戦闘を開始。これは米の対日石油禁輸に対抗して「重要国防資源の獲得」を東南アジアに求め、更には援蒋ルート遮断を狙ったものでした。(援蒋:蒋介石・国民党政府への支援) 当時の日本では、「大詔奉戴日」と呼ばれた日でした。朝早くから流れる軍艦マーチの合間に、米国と戦闘状態に入ったニュースを胸躍らせながら聞いた多くの日本国民が一転して、塗炭の苦しみを味わうのに、さほど時間を要しなかった。 【大詔奉戴日】(たいしょうほうたいび) 太平洋戦争勃発後の 1942年に従来の興亜奉公日にかわって設けられた日。 毎月8日をこの日と定め、戦時体制への国民の動員強化をはかった。 ◇ 大東亜戦争 『宣戦の詔書』 昭和天皇 昭和十六年十二月八日 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス 朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ヲ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ 皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 『12月8日を直視する』 中日 2002.12.6日の記事 日本軍は奇襲のつもりであったが、外務官僚の信じられぬ失態により、日本の最後通告が遅れ、「真珠湾攻撃」は世界史の中で、「宣戦布告なき卑劣なだまし討ち」という不名誉な烙印を押されてしまった。戦後になって初めて日本国民はその事実を知るが、責任の所在は今もって明らかにされていない。 当時の米国世論は厭戦気分が強く、ハル米国務長官はいかにして日本側に第一弾を撃たせるかに腐心していた。ハル・ノートは日本に堪忍袋の緒を切らせることが目的であった。「宣戦布告なき卑劣なだまし討ち」は米国民を一気に参戦に駆り立てたのだった。すべては米国の意図通りに進んだ。日本軍は最初から負けていたのだった。 真珠湾のアリゾナ沈没の跡には「USSアリゾナ記念館」が建てられ、記念碑には戦没した乗組員1177人の名前が刻まれている。いまも見学者が後を絶たない。 戦果:「アリゾナ」「オクラホマ」など主力戦艦を含む九隻を撃沈、各種艦船十数隻を中大破、航空機三百機を破壊 「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)と打電。 「攻撃30分前の、ワシントン時間午後1時までに米政府に手交すべし」と東郷茂徳外務大臣から日本大使館に訓電されていた最後通告の手交が遅れ、日本海軍の奇襲は不名誉な「無通告のだまし討ち」とされてしまった。そしてその理由が、ワシントンの日本大使館で前夜、転勤者の送別会があり書記官たちが飲み過ぎて、最後通告の解読と浄書が時間に間に合わなかったという信じられぬ有様だった。 浄書が出来上がったのが午後1時50分。大使が米国務省へ赴きハル国務長官に手渡したのが、午後2時20分。訓電の指定時間より1時間20分、攻撃開始より約1時間遅れていた。 ハルは「自分の五十年にわたる公的生活の中でこれほど歪曲と虚偽に満ちた文書を見たことがない。出て行け。」とののしり、野村・来栖両大使は無言の内に長官室を去った。 ( 来栖三郎 『泡沫の三十五年』) しかし、米国は日本の暗号解読に成功しており、ハルは日本大使が来る前に最後通告の内容を承知していた。ルーズベルト大統領はラジオ放送で「日本のだまし討ち」を非難し「リメンバー・パールハーバー」と訴えた。米国の世論は一挙に燃え上がり、緒戦の勝利で米国民の戦意をくじく日本側の狙いは失敗に終った。 ルーズベルト大統領の非難は短波で日本でも傍受されたが、外務省は「米国のデマ宣伝」で片づける鈍感さだった。 戦後、吉田茂外相は「岡崎委員会」を作ってこの失態を調査させ、委員会は「当時のワシントン大使館のI参事官とO主席書記官を処分すべきだ」と具申したが、処分は行われずウヤムヤに終った。日本の国家の名誉のために「岡崎委員会」の調査記録を公表すべきであろう。 興味深いのは、東京裁判で東郷茂徳被告が突然「海軍が無通告攻撃を望んだ」と主張し、法廷に一波乱起こしたことである。 マッカーサー元帥と昭和天皇のツーショット。日本人に敗戦を痛感させたのは玉音放送より、あの一枚の写真であった。(斎藤茂吉は「くそっ!マッカーサーの野郎めっ」と苦悶した) 注目されたあの第一回の会見記録が今年十月十七日、外務省から公表され話題を呼んだ。会見の立会人は通訳一人。天皇の「戦争責任」をめぐる歴史的発言の証人であり、記録の作成者ともなったこの通訳こそ、誰あろう「人差し指でポツポツとタイプを打って最後通告を遅らせた」と言われるO主席書記官の「晴れ姿」であった。この時は外務参事官で、日本の汚名をよそに、のちに外務次官にまで出世している。 <I参事官とO主席書記官とは、井口貞夫、奥村勝蔵両氏である。> 「騙し討ち」に関する外務省の53年ぶりの公式謝罪(みたいな?) 外務省は、平成6年(1994年)11月20日、戦後の調査委員会の史料『「対米覚書」伝達遅延事情に関する記録』を公開した。そして、外務省は、日米開戦からなんと53年ぶりに“米国への通告遅れ”を公式に謝罪した。 [外務省見解]:「当時の外務省の事務処理上の不手際により対米交渉打ち切りに関する対米覚書の伝達が遅延した事は事実であり、そのような事態が生じたことについては極めて遺憾なことであり、申し開きの余地のないものと考えている。外務省としては国家の重大な局面にこのような遺憾な事態を生じたことにつき、従来より、このようなことを二度と繰り返してはならない教訓として受け止め、執務体制などの改善を心掛けているところである」 (実に優秀な、申し分なく官僚的な、良く出来た文章ですね。) ※ 人は何度でも同じ夢をみる。同床同夢の悪夢を何度でもみる。それを積み重ねると歴史が出来上がる。9.11の直後、ブッシュ大統領は、真珠湾と十字軍のふたつのキーワードをポロリと洩らす。以後、封印されたこの言葉こそネオコン戦略を端的に表わすものだった。 2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロは、アフガニスタンのタリバン政権の支援を受けるテロリスト・グループが起こした犯罪だと発表され、マスコミも全体としてそう報じている。しかし、この事件とそれに関連する個々の事実をいろいろな角度から分析してみると、アメリカ政府上層部にとって、この事件は「奇襲」ではなかった可能性が大きくなってきた。 アメリカ当局の「自作自演」説も浮上する。テロの進行を防がなかった米軍、予定どおりのアフガン侵攻、“自作自演”の炭疽菌事件、ビンラディン一族とブッシュ一族の疑惑の関係。 常に米国の後追いをする日本政府は、最近の北朝鮮の脅威を巧妙に利用して、防衛庁を省に昇格させようとしている。短命と思われる安倍政権、短命だけに怖いところもあるようだ。 ○ 「USSアリゾナ記念館」 沈没した戦艦アリゾナの上に建っている。戦没者の名前を見て、涙する人も多い。 神聖な場所で、無駄なおしゃべりなど全くない。観光気分では行けない場所。 記念館から戦艦アリゾナの煙突などの部分を見ることができる。 船内からは、60年以上たった今でも、油がにじみ出てきます。 撃沈の戦艦のまま墓標とす 去りにし魂(たま)のなお消えざる如く ◇ 真珠湾を米国定史跡に、ブッシュ大統領が指定(2008年12月5日) ブッシュ米大統領は5日、旧日本軍による1941年の真珠湾攻撃から7日(日本時間8日)で67年を迎えるのを前に、真珠湾にある記念館など計9施設・場所を国定モニュメント(史跡)に指定した。国定モニュメントは国立公園と異なり、大統領が遺跡保存法に基づき、議会の承認なしに布告できる。大統領は5月、真珠湾の史跡指定構想を関係省庁に諮問していた。 新史跡は「第2次世界大戦中の勇気をたたえる太平洋国定モニュメント」と総称。奇襲攻撃で沈没した軍艦アリゾナやオクラホマ各記念館など真珠湾の5カ所、アラスカ州アリューシャン列島のアッツ島やキスカ島など3カ所、カリフォルニア州1カ所から成る。 旧日本軍は真珠湾攻撃後に両島を攻略、占領したが、アッツ島では奪還のため上陸した米軍との間で激戦となり、日本軍守備隊は玉砕した。(ブッシュ氏の 退任間際の 置き土産?) ※ 先頃、「真珠湾攻撃」よりも前の段階での、
米国の対日本奇襲作戦が明るみに出てきました。(追記:2008.12) |

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終戦の日、そして戦後日本の出発の日になる日のことをもう一度見つめ直しておくことは大事かもしれませんね。
2006/12/8(金) 午後 4:33