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平成18年12月10日(日)昨日:中2男子が「生まれ変わる」ために飛び降り自殺。 9日午前2時45分ごろ、埼玉県川越市のマンション敷地で、このマンションに住む中学2年の男子生徒が倒れていた。全身を強く打って死亡。川越署は飛び降り自殺とみて調べている。自室には「絶対生まれ変わってやる。ほんとにごめん」との手書きのメモがあった。 1957年12月10日、いわゆる『天城山心中』がありました。 天城山心中。 静岡県の伊豆天城山で、学習院大学国文科二年生の愛新覚羅慧生と 級友の大久保武道がピストル心中をしているのが発見された。 慧生の父親は清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)の弟・溥傑(ふけつ)であった。 昭和32年12月10日のこと、伊豆天城山八丁池近い草むらで心中死体が発見された。 この二人は捜索願いの出ていた学習院大二年生・大久保武道(20)と愛新覚羅慧生(19)で ピストル心中であった。ピストルでこめかみを撃ち抜いており、女性の手には、 エンゲージリングがはめられていた。 彼女は元満州国皇帝の実弟・溥傑と、わが国の元候爵家の娘・浩(ひろ)との間に 生れた日満親善の申し子だった。大久保武道は青森県南部鉄道の重役の長男だった。 二人は密かに婚約していたが、彼は健康に不安のある彼女を励まし続けていた。 彼が送った手紙の一節に「確かに弱いかもしれない。しかし私はお前が一年中、 床の中にあったとしても、私の心を解していてくれさえしたら何も望みは致しません。 私は結婚して楽しい夢をみようなどとは、つゆ思ったことはありません」。彼女も彼が 長男である立場に同情したらしい。抱き合って死んでいたという。 ○ 『われ御身を愛す』、時代が生んだロマンティック心中 自殺した当時、日本において家族観や結婚観が変わりつつあった時代であり 学生の心中事件が多発していたが、武道と慧生も結婚まで考える仲であった。 だが、それぞれの家柄や家庭事情が違うということで双方の家から反対された 結果の自殺であった。 自殺の理由はそればかりではなかった。自殺1ヶ月ほど前、大久保は父親の 不貞を知ったのである。極端な純潔意識をもっていた大久保は、自分にも次々 に女を追い求めて情事にふける漁色の血が流れていると悩む。その結果大久保 は、人生をごまかして生きるよりも清らかに死ぬほうが立派だと考えるように なった。大久保のこうした思いを「考え過ぎ」と諭した慧生も次第に大久保の 考えに同調するようになり、二人は1957(昭和32)年12月4日に出奔する。 逐電した二人はエンゲージリングを買い、その日の夜、伊東温泉の湯治宿・ 福住旅館に宿泊。翌5日に二人が投函した「大久保さんを見捨てることはでき ません、一緒に静かな所でピストルで死ぬつもりです」としたためられた遺書 が関係者に届き、二人の捜索が始まり、7日になって福住旅館に宿泊したこと が判明したことから、二人が向かった天城山中にメディアも同行する大規模な 山狩りが行われ、報道が過熱した。 3年後の1961(昭和36)年に出版された二人の書簡集『われ御身を愛す』は 当時の大ベストセラーとなり、1932年に起きた坂田山心中(慶応の学生と静岡 県の豪農の令嬢が駅舎の裏山で服毒心中し、『天国に結ぶ恋』とのタイトルで 映画化された)の戦後版ともいわれた。 愛新覚羅慧生の遺書 私は大久保さんと一緒に静かなところでピストルで死ぬ予定です。大久保さん はお父さんのことで大変悩んでいます。私はそんなことで悩むのはオカシイと 言いました。しかし大久保さんの話を聞いている内に私の考えが間違っている のに気付きました。今度のことは大久保さんと私が相談した事なので、大久保 さんをうらまないでください。 ○ 愛新覚羅慧生、周恩来に宛て手紙を書く 慧生は政治的に「日満親善のシンボル」に祭り上げられ盛んに宣伝された。 当然、慧生は1943(昭和18)年に来日させられ、幼稚園から学習院に通い学習 院大学文学部国文科時代に大久保と知り合うことになる。 慧生の母・浩は、敗戦後の1945(昭和20)年に夫の溥傑がソ連に抑留され、 のち戦犯として中国の撫順収容所に収容されたため、1947(昭和22)年、次女 ・<こせい>と共に日本に戻った。 その頃、慧生が当時の中国首相・周恩来に書いた手紙がきっかけになり慧生 の死後、1960(昭和35)年11月20日、特赦で溥傑が釈放されたため、浩は中国 に戻り、北京で溥傑と余生を送ることが出来た。溥傑は、その時はじめて娘の 死を知った。浩は涙ながらに、夫に娘の死を詫びた。 浩は1987年(昭和62)6月20日、北京で逝去、73歳。溥傑は1983年(昭和58) 全国人民代表大会常務委員となり、1994(平成6)年2月28日に88歳で他界。 ※ 娘は現実の世間に希望を見出しえず、早々と人生をリセットしたが、死して後、 父を救い出した。母は、世間の苦難に何処までも耐え抜き、最後に平安を得た。 |

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