今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年12月14日(木)昨日:夕張市議会、議員定数半減・報酬43%削減・全国最低に。

 財政が破綻し、国の管理下での再建を目指す北海道夕張市の議会改革検討小委員会は13日、
議員定数を現行の18から9に、報酬の月額を規定の31万1000円から18万円に削減する案を答申
した。定数・報酬ともに全国の市議会で最低。議会は答申通りに議案を提出、議決する見通し。

 ※ 衆参両院も、大いに夕張市議会を見習って欲しいものだ。財政破綻は夕張市よりも遥かに
深刻なはずだ。来年4月から入居が始まる衆院赤坂議員宿舎(港区、地上28階、地下2階、部屋
数300)なんか作ってる場合じゃないだろう。同じ条件のマンションの家賃は月額50万円程度で
議員宿舎は5分の1以下の格安お値段、9万2000円也。情けなや 私の税金 どこへ行く。




 12月14日は、御存知【義士祭・吉良祭】でございます。

 1702年(元禄15年)大石内蔵助ら赤穂浪士46人が吉良上野介邸に討ち入り。
主君浅野長矩(ながのり)の仇を討ったもの。(+早野勘平=47士)

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 五代・綱吉の治世の出来事で、内匠頭の即日切腹は史実であり、
田村建顕邸にて切腹、享年35。遺骸は高輪泉岳寺に埋葬されました。

 内匠頭の辞世:風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん



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 ○ 義士祭(東京都高輪泉岳寺 03-3441-5560) 7:00〜21:00

 忠臣蔵の赤穂浪士、四十七士が眠る寺。境内には上野介の首を洗った首洗いの
井戸や田村邸から移築された血染めの梅と石、四十七士に関する貴重な遺品を
展示した義士館などがある。墓前供養や献茶式が行われます。また近隣の有志
らが赤穂義士に扮し、泉岳寺周辺を練り歩きます。
 (赤穂義士記念館は大人500円、中高生400円、小人250円)

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 笛の音に ちりぬるいろは 寄ってくる (吉良を見つけた時の江戸川柳)
  ※ いろは47文字 (“ん”を入れると48文字) に掛けた川柳


 ○ 大石神社・義士祭(兵庫県赤穂城址 0791-42-2054)8:00〜17:00

 赤穂城は赤穂浅野家の藩祖長直が、慶安元年(1648)から13年の歳月を費や
して築城した、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。浅野家
断絶後は、永井家、森家の藩主の居城となりました。現在、大手門や隅櫓の他
本丸門が平成8年に復元され、順次整備を進めています。

 三の丸にある大石神社は、大正元年(1912)に建立され、大石内蔵助良雄を
始め47義士と、中折の烈士萱野三平を主神に祀っています。境内には大石良雄
宅跡(長屋門・庭園)、義士木像奉安殿、義士宝物館など、見所が多数。
料金:大石神社義士史料館(大人400円 小人100円)

 赤穂義士祭:毎年12月14日には市民をあげての赤穂義士祭が催される。義士
の討ち入り姿に扮した義士行列や、参勤交代を再現した大名行列などの多彩な
市中パレードが赤穂城大手門から出発し、道中約15kmの沿道を埋めつくした
観衆を元禄の世界へと誘います。当日は大石神社の祭典や花岳寺の法要、伝統
の武道大会も行われます。

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 ○ 吉良祭 (本所松坂町公園) (吉良殿も さぞや無念の ご最期ぞ)

 江戸本所松坂町にあった吉良邸の一部は現在、松坂公園となり毎年この日は
 元禄市でにぎわう。午前中は義士祭、午後は吉良祭が行われる。

 本所松坂町公園

 本所松坂町公園は、両国にある東京都墨田区立の公園です。忠臣蔵で有名な
吉良上野介義央(よしひさ)の邸宅があった所、大石内蔵助ら赤穂義士らにより
討ち入りされた現場です。元禄の頃は、公園付近の一帯が吉良邸であり、その
広さは、公園の約76倍(8400平方メートル)と推算されるから、その広さをう
かがうことができます。邸宅は義士による討ち入り後、没収となり、住宅など
が立ち並び、吉良邸を偲ばせるものが長い間なかったが、1934年に地元有志ら
が一角の土地を購入し、公園として開かれたのが始まり。普段は住宅街の中に
あるので閑散としているが、義士際(12月14日)が行われる時は、近辺に義士
のスタイルを装った人や出店なども見られ、人がごった返すことでも知られて
います。当地には、斬られ役である吉良上野介(国元ではかなりの名君)を偲び
公園内のお稲荷さんに参拝する者も少なくない。


 ○ 吉良側の戦いぶりは?

 迎え撃つ吉良側の剣客といえば清水一角(一学)と小林平八郎。清水一角は
庭の石橋の上で三人を相手に二刀流で闘い、小林平八郎は女物の打掛を頭に
かぶって奮戦‥‥。映画やTVで映像化された吉良邸内の戦いの場面では、
定番のクライマックスシーンですが‥‥。

 この二人、実在の人物ですが、今に残る上杉家家臣の文書『大河原文書』
を読む限り、大して活躍もできずに討ち死にしています。清水一角は台所で
「少々戦い討死」し、小林平八郎に至っては全く戦わずして捕まり、身分を
怪しまれて斬り捨てられてしまいます。ハッキリ言って、絵にならない。

 彼らに代わって実際に奮戦した男が山吉新八。脇差を唯一の武器に、橋で
浪士一人を斬って池に落とし、縁側でも一人を斬ります。しかし直後に後ろ
から槍で突かれ、眉間も斬られて倒れます。しかし再び起き上がって邸内で
戦い、ついに力尽きて倒れます。まさに壮絶な最期‥‥と言いたいのですが
なんと彼はここで死なず、事件後は上野介の跡取りに付き従って、奉公した
そうです。なんかもう、元禄版『ターミネーター』です、新八っつぁん。

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 ○ 48番目の義士と言われた男、俳人・涓泉 (けんせん=萱野三平)

 討ち入りの年、元禄15年1月14日、萱野三平は自宅・長屋門の一室で自害。
享年27。仇討ちに反対する父・重利に対する親孝行と、主君・浅野内匠頭への
忠義との板挟みになったことが、その理由であったと伝えられています。

 俳人として、勝れた資質を持ち、多くの優れた句を残した「涓泉」。あまり
にも惜しい死であった。辞世の句に、晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り。

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