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1948年12月23日、巣鴨プリズンで7名のA級戦犯(A項目戦犯)が処刑された。 板垣征四郎 陸軍大將、関東軍参謀長 東條英機 陸軍大將、首相、陸相 土肥原賢二 陸軍大將、在満特務機関 松井石根 陸軍大將、中支指揮官 木村兵太郎 陸軍大將、関東軍参謀長 武藤 章 陸軍中將、比十四参謀長 廣田弘毅 首相、外相、駐ソ大使 昭和天皇がA級戦犯合祀以降、靖国に行かなかったのは、「あの者だけは 許せない」と言われた人物が、その中に居たからだと伝えられております。 28名が1946年4月29日に起訴され、大川周明は梅毒による精神障害で訴追免除、 永野修身と松岡洋右は判決前に病死、1948年11月12日に判決をうけた者は25名。 7名の処刑係は米軍のマルチン・ルーサー・キング軍曹、のちの黒人運動家牧師 であったと伝えられる。彼が胸中、如何。 昭和35年に愛知県幡豆町三ヶ根山山頂に廟と墓碑が建立された。7氏を顕彰する ものではなく、殉国者を悼むための施設。米軍の警護をかいくぐって、何がしかの 遺骨を収集しえたとする。石に刻んで曰く… 妖雲獄を鎖して朔風腥し (朔風:さくふう=北風 腥:なまぐさい) 昨夜三更七星殞(お)つ (三更:子の刻、午後11時からの2時間) 暴戻の復讐太古に還る (暴戻:ぼうれい=道理に反する行い) 冤を雪(そそ)ぎ何れの日か忠霊を靖んぜん (冤:えん=無実の罪) (元陸軍中将・駐独大使・大島浩の獄中句) 昭和天皇は東條英機を信頼していたと伝えられる。孫にあたる由布子氏は 毅然として祖父の名誉復活を訴えています。東條自身は、家族らに一切を語る べからずと厳命していた。全てをひっかついで墓に入る覚悟ができていた。 裁判を免れたA級戦犯被指定者も多い。 岸信介(不起訴により釈放) 児玉誉士夫(不起訴により釈放) 近衛文麿(自殺) 笹川良一(不起訴により釈放) 正力松太郎(不起訴により釈放) 徳富蘇峰(不起訴により自宅拘禁解除) 梨本宮守正王(不起訴により釈放)等々。 死せるA級戦犯と、放免されしA級戦犯と、その乖離、如何とも埋めがたし。
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