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平成18年12月28日(木)昨夕:佐田玄一郎・行政改革担当相(54)辞任。 本間・税調会長の直後。就任早々に、死に体の態をなす安倍内閣。 幕引きのシナリオが始まる中、どう足掻くのか。 1978年12月28日、田宮二郎が猟銃自殺。 映画俳優・田宮二郎が1978年(昭和53年)、東京・港区元麻布の自宅で散弾銃で 左胸部を射ち自殺。享年43。 TVドラマ「白い巨塔」の収録終了後、異常な虚脱感に囚われ、その数日後に自殺。妻・幸子に宛てた遺書には「生きるって苦しいことだね。死を覚悟するのはとても怖いことだよ。病で倒れたと思ってほしい。事実、病なのかもしれない。そう思って諦めてほしい」とあった。 1年半ほど前から強度の躁鬱病にかかり米国で治療したものの治らず、被害妄想の果ての死とみられている。このほか、映画製作失敗による借金苦、女性問題などいろいろな憶測がとんだが、夫人は日記帳7ページにわたり綴られた遺書を公開して噂を否定した。 ◇ 「スター街道」まっしぐら 1935年、京都市生まれ。学習院大在学中に、スポーツ新聞のミスターニッポン・コンテストで優勝。これが縁で大映10期生として入社。本名の柴田吾郎で57年に、デビュー。2年後、大映社長・永田雅一がオーナーを兼務する大毎・オリオンズの強打者・田宮謙次郎にあやかって田宮二郎を芸名とした。 改名が転機となり、それまで線の細い二枚目にすぎなかった田宮は『女の勲章』(1961年)の野心的で冷酷なビジネスマン役あたりから個性が輝き出した。勝新との共演による『悪名』シリーズ(1961年〜)から『黒の試走車』を始めとする「黒」のシリーズ(1963年〜)、『宿なし犬』でスタートした「犬」シリーズ(1964年〜)等々、硬軟の役柄を自在にこなし男優が手薄の大映現代劇のなかで、群を抜く存在になった。 ことに、大学医学部内のどろどろした権力争いを描いた山崎豊子原作、山本薩夫監督の『白い巨塔』(1966年)では、他を押しのけ教授の座を獲得するエゴイスト・財前五郎を見事に演じきり代表作となった。 ◇ 崩れ落ちた…「白い巨塔」 財前五郎の役柄を地でゆくように、田宮二郎が躓きの石に見舞われる。 『不信のとき』(1968年)の宣伝ポスターの序列が4番目であることに、強い不満を持った田宮は猛抗議をする。主役の若尾文子の次に並ぶと思っていた田宮は、序列に俳優のプライドを懸けた。 だが、女優偏重の傾向のある永田雅一はこれを軽く一蹴。田宮をあっさりと解雇してしまう。そして、5社協定で他社が田宮を使わぬよう通達したのだ。 大映との契約切れを待って、田宮が復帰するのは1年後。それまでテレビや歌で食いつないだ。その後は、各社の映画に出演した。『華麗なる一族』、『不毛地帯』(1974年)の熱演がある。 テレビではフジ『白い巨塔』(1978年)で映画と同じ財前五郎役に扮し、鬼気迫る演技を見せた。自殺はこのドラマの終了直後だった。 ※ 私が好きだったのは『悪名』シリーズ。勝新太郎との息のあった共演が記憶に残ります。TVでは、なんと言っても『クイズ・タイムショック』でした。歯切れのいい田宮の司会ぶりは、痛快なほど小気味よかった。「現代は時間との闘いです。さあ、あなたの心臓に挑戦します。タイム・イズ・マネー、1分間で100万円のチャンスです! 果たして超人的なあなたはこの1分間をどのようにして生かすか? クイズタイムショック!」。 田宮は「クイズタイムショック!」の司会を、自殺の3ヶ月前に自ら降板を申し入れている。その後は山口崇に交代。その頃から田宮の鬱病は重く深刻だったようだ。
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そんなことがあったんですね・・・。
2006/12/28(木) 午後 4:53 [ - ]
田宮次郎さん、本当に大好きな役者さんでした。繊細な方だったのですね。天国で安らかにお眠りください。
2012/6/13(水) 午前 5:12 [ yuhchan ]