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平成18年12月30日(土)昨日:ホワイトソックス井口選手が東証大納会に山本金融相と参加。 12月30日は、【横光利一忌】です。 横光利一(りいち、1898.3.17〜1947.12.30) 本名:利一(としかず) 小説家にして俳人。菊池寛に師事。川端康成と共に新感覚派として活躍。 1910年、三重県第三中学校 (現・三重県立上野高等学校) 入学、スポーツ万能の少年だった。下宿時代の青春の思い出をもとに『雪解』を発表。この頃から志賀直哉に影響を受ける。 1921年頃から菊池寛に師事、また川端と出会い以後生涯の友となる。処女作「御身」を書く。1923年、菊池の推挙により同人誌『文芸春秋』同人となる。同年5月、同誌にて「蝿」を発表、そして『新小説』に「日輪」を発表。 1924年、「御身」と「日輪」を刊行。川端と共に、今東光、中河与一、稲垣足穂ら新進作家を集め、「文藝時代」を創刊。プロレタリア文学全盛の中でこの雑誌は新感覚派の拠点となった。 胃潰瘍が悪化、腹膜炎を併発して逝った横光利一、盟友・川端康成が切々たる弔辞に託す。 「君の名の傍え(かたえ)で僕の名の呼ばれる習わしも、かえりみればすでに二十五年を越えた。君の作家生涯の、ほとんど最初から最後まで続いた。その年月、君は常に僕の心の無二の友人であったばかりでなく、菊池さんと共に僕の二人の恩人であった。恩人としての顔を君は見せたためしは無かったが、喜びにつけ悲しみにつけ、君の徳が僕を霑す(しめらす)のをひそかに僕は感じた。その恩頼(おんらい)は君の死によって絶えるものではない。僕は君を愛戴する人々の心にとまり、後の人々も君の文学につれて僕を伝えてくれることは最早疑いなく、僕は君と生きた縁を幸とする。生きている僕は所詮君の死をまことには知りがたいが、君の文学は永く生き、それに随って僕の亡びぬ時もやがて来るであろうか」 横光利一(昭和22年12月30日歿 享年50)光文院釈雨過居士 多磨霊園 ※ かつて、横光利一の短篇が、「川端康成の未発表作品発見!」とセンセーショナルに書き立てられたことがあった。(昭和62年頃?)両者の作風が共に新感覚派として似ている(?)ためか、川端が習作のつもりでか横光の文章を真似て書いていたものが、川端の作品と誤認されたもの。優秀な編集者が途絶えると、得てしてかような珍事が出来するものだ。 サダム・フセイン元大統領、「人道に対する罪」で死刑執行。享年69。 |

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