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12月31日、除夜の鐘 なぜ、煩悩は百八となっているのか? その1 108=四苦八苦(4×9+8×9)これは良くできたウソ。 その2 108=一年(12ヶ月+24節気+72候)何やらコジツケっぽい。 その3 108=人間の煩悩の数を108も数えあげたインド人の数字好き。 ※ 眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類 この18類それぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・現世・来世の三世に 配当して108となり、これを人間の煩悩の数とする。 しばらくは藻のごときとき年を越す 森 澄雄 路の辺に鴨下りて年暮れんとす 前田普羅 一書買ふことにて足れり年用意 佐々木麦童 除夜の鐘ローンローンと聞こえます マネー川柳 ○ 紅白まめ知識 1957年、第8回、藤山一郎が後進に道を譲る形で歌手としての出場を辞退。 1959年、第10回で新世代デュオ歌手・ザ・ピーナッツが出場。 1962年、淡谷のり子、林伊佐緒、伊藤久男が落選。戦後派歌手のみとなる。 1963年、第14回紅白歌合戦で最高視聴率81.4%を記録する。 1964年、第15回紅白歌合戦よりカラー放送となった。藤山一郎ら再出場。 1973年、第24回、美空ひばりが紅白歌合戦に落選。実弟が暴力事件で逮捕。 1984年、都はるみが紅白歌合戦を最後に引退。でも1990年に復帰する。 1990年、長渕剛がベルリンから中継で3曲歌う。NHKスタッフをボケ呼ばわり。 1990年、小林幸子と美川憲一の豪華衣装対決に注目が集まるようになる。 1997年、X-JAPANが紅白歌合戦を最後に解散する。 2002年、中島みゆきが黒部ダムから「地上の星」を歌い、歌詞をトチる。 2005年、みのもんた起用。効果があったのか、なかったのか。 2006年、DJ-OZMAがトップレス・ボディースーツのダンサーを“独自”演出で苦情殺到(追記)。 ○ NHKの「公正中立」の杓子定規的な適用による歌詞改変事件など として、かぐや姫が出場辞退。(クレパスは商品名) 「真っ赤な車」に変えさせようとした。しかし実際には「真っ赤なポルシェ」 のまま歌われた。(「レッツゴーヤング」では「真っ赤な車」で歌った ) 「受信料を払いましょう!」「裏番組は録画しましょう!」などの発言、 視聴者から大バッシングを受ける。桑田はNHKに詫び状を書かされ、 「詫び状書く位なら二度と出ない!」と紅白との確執を生む元凶となる。 け時間を下さい」の「紅白史に残る茶番」と言われた“粋な”計らい から紅白史上初のアンコール。しかし総合司会の生方惠一が「ミソラ (美空ひばり)…都はるみさん」と言ってしまって週刊誌に「ミソラ 発言」として叩かれ翌年、NHKを退職。 出演者の大幅刷新と多ジャンル化を断行。水前寺清子や研ナオコ、 田原俊彦らが次々と落選。島倉千代子・三波春夫も出演者決定の前に 出場辞退を発表。代わってオペラ歌手の佐藤しのぶ、シャンソン歌手 の金子由香利、民謡の岸千恵子、ニューミュージックからは谷村新司 ミュージカル俳優の市村正親らが出場、出演者の顔ぶれは変わった。 しかし、その年のヒット曲を中心とする本来の紅白の在り方を否定す る方針転換には視聴者から少なからず反発の声が上がり、60%の大台 に乗せる、という意味での視聴率の回復には至らなかった。 2006年、“乳出し”パフォーマンスで抗議電話殺到のDJ-OZMAの関係者が、NHKに 謝罪文提出。橋本元一会長は翌月11日の定例会見で「現場では使いにくい 状況はあると思う」との表現で、事実上の“出演禁止”を申渡した。 視聴率低迷(全然そう思わないが…)のテコ入れとして“キワ物”を起用 したNHKの姿勢が全ての発端。「出演をNHKに後悔させてやる」と、宣言 していたDJ-OZMAの“公約”履行ということか。 中居正広(34)の気の無い司会ぶりに、紅白凋落を、まざまざと見た思い(追記)。 1月5日放送のラジオ「荒川強啓のデイキャッチ」の電話投票では、「この騒動で一番 悪いのは誰か?」と全国アンケートを行ったところ、DJ-OZMAが29%(856票)、NHKが42% (1238票)、誰も悪くないが29%(853票)という結果。批判の矛先は「知らなかった」と 言い訳に終始したNHKに向いている(追記)。 12月31日は、歌人・俵 万智の誕生日です。 (1962年生まれ) 水蜜桃の汁吸うごとく愛されて 前世も我は女と思う 幾千の種子の眠りを覚まされて 発芽してゆく我の肉体 うしろから抱きしめられて目をつぶる 君は荷物か翼か知らぬ
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