|
平成19年1月2日(火)2006年:日本人出生数は前年比2万3000人増の 108万6000人。6年ぶり増。 1月2日は、一年の事始めの日です。 (ブログ初め? やたら重たいぞ。) 初売り 初荷 初商 農初め 初舟 初山入り・山初め 初夢 書き初め 縫い初め 弾き初め はき初め 初風呂 姫初め etc. 【初夢】 1月2日の夜から3日の朝にかけて見る夢を初夢とする事から生まれた日。 「一富士、二鷹、三なすび」。 【筆始祭(ふではじめさい・書き初め)】 書道の神でもある菅原道真を祭神とする京都・北野天満宮の祭礼。 子供達が書いた書初が奉納されます。 1969年1月2日、皇居一般参賀で奥崎謙三が事件を起こす。 皇居一般参賀で反天皇・奥崎謙三が天皇陛下に向けて「ヤマザキ、天皇を撃て!」と叫びながら、パチンコ玉4発を打つ。翌年からの参賀者への挨拶がガラス越しになるた。 ○ 「ヤマザキ、天皇を撃て!」(奥崎謙三著、有文社刊、1980年) 反天皇・奥崎謙三がいかな人物であるか。その一端は、怪作ドキュメント「ゆきゆきて神軍」のヒットによってあまねく天下に知れ渡った。しかし、この本が世に出た時は「天皇を撃て!」などと平然と書名にかかげることすら奇跡に近いものがあった。 復讐への常ならざる執念、抜群の行動力。意表をつく独創性、超論理性。奥崎謙三は常に我々の予想を裏切る存在であった。本書は、彼の原点たるニューギニア戦線から、天皇パチンコ狙撃事件までを描く。思想書であり冒険譚でありドキュメントであり神話ですらあり、かつそのどれでもない空前絶後の一書。(帯文) ○ 奥崎謙三氏、死去「ゆきゆきて、神軍」出演 (共同)2005年6月26日 ニューギニア戦線で生き残り、旧陸軍の上官らの戦争責任を追及した ドキュメント映画「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督)の主人公として 知られる奥崎謙三氏が、16日に神戸市内の病院で死去していたことが26日 分かった。85歳。兵庫県出身。 第2次大戦中、陸軍工兵隊の一員としてニューギニア戦線に従軍。戦後は 神戸市内でバッテリー販売店を経営した。1969年1月の皇居一般参賀で昭和 天皇に向けてパチンコ玉を撃ち、服役した他、1983年に旧陸軍時代の元上官 の長男に発砲。殺人未遂罪などで懲役12年の判決を受けた。 映画「ゆきゆきて、神軍」はニューギニアの戦場で終戦直後、日本兵2人 が日本軍に銃殺された事件をめぐり、奥崎氏がかつての上官を訪ね、責任を 追及する姿を描いたもの。 ※ 兵站を断たれた戦地では人肉喰いも珍しくなかったようで、大岡昇平『野火』でも扱われています。極限状況での怨念が、奥崎謙三の人生を決定づけてしまったのか。 安倍首相が大晦日に、御夫妻で観た「硫黄島からの手紙」はクリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」に次ぐ硫黄島第2作。映画の出来としては、圧倒的に第1作が勝れているが、「硫黄島からの手紙」は日本人好みの仕上げで営業面を強く意識した。 その「硫黄島」の生還者(そもそも玉砕と言うことで、生存者は無視された)がテレビに出演して、次のようなことを語った。昨年12月のこと。 「日本は国を守るため、家族を守るために軍隊が必要。硫黄島は生き地獄だった。死んだ戦友の死体を裂いて、それをかぶって生き延びた。当時の指揮官を怨む気持ちは毛頭ない。今日は戦友たちを弔うつもりで出てきた」 首相は、一般客に交じって映画を観た後、記者団に「いい映画だね」と語った。多くの兵士が家族へ手紙をしたためたものの、届かないまま戦死したことについて「手紙に家族への思いが込められていた」と述べるなど、胸を打たれた様子だった。 作品は、昭和戦争末期の硫黄島戦を題材に、米軍と死闘を繰り広げた日本の将兵の姿を通じ 戦争のむごさを描いたもの。上官が「靖国で会おう」と自決する場面がある。 ときうつる 人それぞれの 硫黄島
(「いおうじま」は米軍の呼称。日本では、いおうとう) |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



