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平成19年1月5日(金)ドコモが日テレ株3%取得、フジに続き民放キー局2社目。 NTTドコモは4日、日本テレビ株を3%取得したと発表。取得金額は133億円。ドコモは2006年1月にもフジテレビ株2.6%を取得。携帯電話など移動体向けの「ワンセグ」狙い。 1月5日は、夏目漱石(1867〜1916)の誕生日です。 「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。 意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」――「草枕」 江戸牛込馬場下場町にて、名主の父・小兵衛直克と、母・千枝の末子として生まれ、本名金之助。両親が高齢の為、生後まもなく里子に出され、2歳の時、塩原家の養子となるも、養父母の不仲のために9歳の時に、実家に戻る(夏目姓に戻ったのは21歳の時)。 東京大学英文科を卒業後、松山中学(愛媛県)、熊本第五高等学校に勤め、明治33年英国に留学し、明治36年に帰国してからは東京大学で英文学を教えました。第一高等学校在学中に正岡子規と知り合い、俳句を作っていたが、明治38年、雑誌「ホトトギス」に小説「我輩は猫である」を発表して、作家生活に入る。 「三四郎」「それから」「門」の三部作を書き上げた、明治43年夏、胃潰瘍となり静養の為に訪れた伊豆の修善寺温泉で吐血、意識不明に陥る。懸命の看護により一命は取り止めたが、その体験によって、彼の人生観は変化したとも言われています。 そして「こころ」では、明治と共に生まれ育った“先生”を人間の罪と重ね合わせて葬り去る漱石が、己の過去を暴いて超克するかのように「道草」を書き上げる。その後、胃潰瘍悪化のため「明暗」を執筆中の大正5年12月9日に、世を去る。 ○ 本名が「金之助」になった“理由” 庚申(こうしん)信仰というものがある。仏教と道教と神道が混淆した民間の信仰です。道教では庚申(かのえさる)の夜、人体に居る三尸虫(さんしちゅう)が寝ている人の体から抜け出て天に昇り、天帝にその人の罪過を報告するとの伝承があります。そこで寝なければ、“告げ口”されずに済むということに。庚申の夜は眠らずにいる風習が出来ました。静かに身を慎む参籠(さんろう)。これから三猿像が生まれた。目と耳と口を慎しみ、災いを避ける意味である。庚申の夜は、夫婦でも同衾を禁じた。 しかし、夜通し起きていることから猥雑になりがちで、いつしか、この夜に“できた”子は盗人になると言う言い伝えが生まれます。これが後の世では、この日に生まれた子は盗賊になるとされてしまう。つまり60人に一人は盗賊になってしまいます。そこで救済策として、庚申の日に生まれた子供には「金」の字を名前に付ければ、その子は盗賊にならずに長寿を授かるとした。大泥棒・石川五右衛門は庚申の夜に“できた”子であり、明治の文豪・夏目漱石は庚申の日に生まれた子であったから、「金之助」と命名されました。 ○ ペンネームを「漱石」にした“理由” 「枕石漱流(ちんせきそうりゅう)」と言う表現があります。石を枕にして、川の流れで口を漱ぐ(すすぐ)と言う無一物の境涯を言いますが、孫楚という者がいい間違えて、「漱石枕流」と口走ってしまった。すかさず、友人の王済がその間違いを指摘し、「石に口をそそぎ、流れに枕す、ではおかしいよ!枕石漱流の間違いでしょ?」とニヤニヤしながら言った。 ところが、孫楚は、あわてず騒がず、こう切り返す。「何も間違っていない“枕石漱流”という言葉があるのは当たり前。僕はその応用をしたまでだよ。いいかい”石に口そそぐ”というのは、歯を磨くということ“流れに枕する”というのは、耳を洗うためなんだよ」とさらりと言い抜けた。 孫子荊年少き時、隠れんと欲す。王武士に語るに、当に石に枕し流れに漱がんとすべきに、誤りて曰はく「石に漱ぎ流れに枕せん」と。王曰はく「流れは枕すべく、石は漱ぐべけんや」と。孫曰はく「流れに枕する所以は其の耳を洗わんと欲すればなり。石に漱ぐ所以は、其の歯を研かんと欲すればなり」と。(枕石漱流=俗塵を避け、山野にて隠棲すること) 頑固者の言い逃れであり、余りに見事な切り返しに、ここから流石(さすが)という言葉も生まれました。夏目漱石は時代の流れに逆らって生きてみよう、世の中を斜めから傍観する、そんな意味を取って、「漱石」にしたとか。 木瓜(ぼけ)咲くや 漱石拙を 守るべく 夏目漱石 月に行く 漱石妻を 忘れたり 菫程な 小さき人に 生まれたし 猫に顔 見られゐるなり 漱石忌 (12月9日 49歳) 林 淳実 前後を切断せよ、 妄(みだ)りに過去に執着するなかれ、 徒(いたず)らに将来に望みを属するなかれ、 満身の力をこめて現在に働け。 『倫敦消息』 ○ 絶筆「明暗」の結末が気になる人々… 『続・明暗』 水村美苗著 (1990年 筑摩書房) 『明暗』は、夏目漱石の絶筆。朝日新聞の連載第188回で作者逝去の為、中断された作品。漱石が如何なる世界に到達せんとしたか、それは文学史上の興味深い謎。1990年に筑摩書房から水村美苗女史が、漱石の文体を模して結末を付けた。この野心的快作は芸術選奨新人賞を受賞しました。 広告文:見合い結婚した津田とお延の夫婦と、津田のかつての恋人・清子の三角関係を軸にエゴイズムの顛末を追究した夏目漱石の『明暗』。漱石の死によって未完のまま閉じられた近代小説の最高傑作が74年ぶりに書き継がれた。東京を遠く離れた温泉場で二人きり、久々に対面を果たした津田と清子はどうなるのか。漱石の文体そのままに描く話題の続編。 水村美苗:東京出身。夫は経済学者の岩井克人。イェール大学大学院仏文科博士課程修了。プリンストン大学講師、ミシガン大学客員助教授、スタンフォード大学客員教授の経歴。『私小説』(1995年、野間文芸新人賞) 『本格小説』(2002年、読売文学賞) 『夏目漱石「明暗」蛇尾の章』 田中文子著 (1991年、東方出版) 帯文:漱石が『明暗』を書いた頃の日本人は、心と深くかかわって生きていた。心と心が触れ合い交わり合い、傷つけ合う姿を漱石は静かにみつめて描いた。平成3年、私はその頃の心をみつめようとした。 『新・明暗』 永井愛著 (2002年、而立書房、二兎社・上演) 漱石未完の絶筆『明暗』を永井流にアレンジし、現代劇としてシニカルにしてコミカルな視点で 描ききった作品。 ※ 主人公・津田由雄の持病を痔疾とした漱石の意図は? 人間は自ら思い煩うほどには深刻な存在ではなかった。わがままで必死な人間どもが右往左往する物語。その結末に関し大岡信や大江健三郎ら多くの作家、研究家が想像力をかきたてられ、論文やエッセイの中で発表した。 ※ 明治天皇が崩御なされ、乃木将軍が殉死し明治は終焉した。今こそ新しき時代の起こらん時ぞ、“自由と独立と己れとに充ちた”時代が華ひらく時ぞと思うほどに胸の塞がるる。西洋近代の影響下、自己確立の光輝と、極めて個人的な寂寥感と、我はそもなに人ぞ。 “先生”は唐突に自殺してしまう。遺書に残された言葉。「私は明治の精神が天皇に始まり天皇に終ったような気がした。最も強く、明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」。 古来、命ながければ恥多し、とか。誠実に自己を探求すれば、自心の卑しさに辟易せざる者とて無からん。エゴイスティックな自分にどこまで耐えられるか、漱石は則天去私という言葉に救われた。芥川は、“先生”のように死んでしまった。時代への、殉死なのか。
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”先生の 膝あたたかき 猫ひるね ” おそまつでした。
2007/1/7(日) 午前 6:09 [ kaz*_51** ]