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平成19年1月12日(金)今日:交渉決裂の中村が交渉再開申し入れ、本日面談? 球団代表は「内容は分からない。中村側が会いたいと言うから会う」と話すに とどまった。球団は下交渉で、減額制限の40%を超える60%減の年俸 8000万円を提示して交渉は決裂した。 1714年1月12日、絵島が大奥の門限に遅れ「絵島生島事件」の発端となる。 江戸城大奥年寄役・絵島が役者・生島新五郎らとの宴会で門限に遅れる。 ○ 絵島生島事件(正徳4年・1714年)(大奥粛清事件・月光院勢力の失脚) 第七代将軍・徳川家継は数え年わずかに六歳。実際に政治を仕切るは将軍補佐役・新井白石、幕閣に大老・井伊直興(なおおき・彦根藩四代藩主)、老中・秋元喬知(たかとも)らが名を連ね、また家継の生母・月光院お気に入りの側用人・間部詮房(まなべあきふさ)が権力を振るっていた。将軍は人形同然。また幼年将軍なれば、大奥に御成りあそばす沙汰あるべくも無く、大奥の内情は著しく緊張を欠くものだった。 大奥の年寄・絵島は、仕える月光院の名代で多くの奥女中を伴い前将軍家宣の墓参に芝の増上寺に詣で、その帰路、懇意の呉服商・後藤縫殿助の誘いで山村座の美男俳優・生島新五郎の舞台を観る。舞台がはねた後、絵島一行は生島たちを呼び、茶屋で宴会を催す。宴会に夢中になった絵島一行は門限に遅れるが、通常は内々で江戸城平川門からこっそりと入れる筈だった。 江戸城平川門は大奥の通用門であり、また不浄門でもあった。江戸城平川門の通用門の横にもう一つの高麗門が設けられており、これが別名「不浄門」と呼ばれる門で、江戸城内の死者や罪人を城外へ運び出す門である。殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は重罪人とされ、城内の座敷牢に留め置かれた後、一関藩主・田村邸へお預けとなる為に城外へ出される際、平川門から出された。 しかし此の度は、絵島一行が平川門に着いても城門は閉ざされたままだった。暗黙の了解で開いているはずの平川門が、何故か開かない。江島と門衛との間で一騒動が起きる。やがて江戸城内が騒然となり、事件へと発展してゆく。 最近のテレビでも“大奥もの”は高視聴率が取れるようですが、昔も今も女同士の対立は白熱するもののようです。当時、大奥内には前将軍・家宣の正室・天英院を中心とする勢力と、絵島が仕える将軍の生母・月光院を中心とする勢力とがありました。また天英院は老中・秋元喬知に親しく、月光院は側用人・間部詮房や補佐役・新井白石らに近い状況にあります。この事件は天英院や老中・秋元らにとっては、勢力挽回の絶好のチャンスだったのです。 関係者が徹底的に調べられ、規律がゆるんでいた大奥の実態が次々と明らかにされます。関連してさまざまな問題が出てきた結果、処分者は実に千数百名にも達した。巻き添えを食って山村座は廃絶され、生島は三宅島に遠島になります。他に数名の役者が遠島になる。これを機会に、江戸の諸所にあった芝居小屋が全て浅草聖天町(猿若町)に移転させられました。 絵島自身は死罪。絵島の兄の白井平右衛門も妹の監督責任を問われて切腹となりますが、月光院の嘆願により、絵島本人については、罪一等を減じ高遠藩お預けとなりました(高遠藩は信濃国南部、現在の長野県伊那市高遠町)。 この一連の事件後、大奥では天英院の勢力が優勢となり、さらに翌年、将軍家継が早世すると、天英院が強く推した紀伊の徳川吉宗が次の将軍に就きます。吉宗は将軍に就任するや、月光院派とみた間部詮房や新井白石らを即時罷免する。大奥内にも大鉈を振るい、大奥の人員を半減させる。吉宗は、享保七年(1722年)、この事件の処罰者に対する恩赦を行い、中心人物の絵島以外は全員赦免されて、生島も江戸に戻されました。絵島は高遠藩の座敷牢で28年を過ごし死去、享年61であった。 ◇ 絵島囲み屋敷 高遠城址近くに、復元された絵島囲み屋敷があります。女中から大年寄にまで上り詰めた絵島が、幕府内部で激化した権力闘争に巻き込まれ、不義の罪で江戸から配流、61で生涯を終えるまでの28年間を幽閉された最期の場所。 屋敷は塀(上部には忍返あり)で囲われ、10人程の武士足軽に昼夜見張られ続け、食事は1日2回(一汁一菜)、着物は木綿のみ。読書、筆硯などは許されず、手紙などで通信する事も禁じられ、完全に外部と遮断された28年間だった。 ◇ 吉宗の“大奥リストラ”断行の一幕 吉宗は、大奥年寄りに全員に対する美醜の評価を命じる。美しい者と、美しくない者とを峻別させた。美しくない者と評価されたグループは、大奥を出されたら、どうこの身を処したものかと思案にくれたものでした。ところが吉宗の裁断は全くその逆でした。美しい者から暇を出したのです。 吉宗曰く、あれほどの器量ならば、何処へ行っても引く手あまたで困る事はあるまい、とか。 史実であるや否や、詳らかならず。とまれ、「暴れん坊将軍」の吉宗と言う人物は中々の腹黒。家継早世も都合が良すぎるような … 。
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宝塚出身の淡島千景が絵島になり、歌舞伎俳優の左団次か、団十郎が生島になった(はっきりしません)映画を見た覚えがあります。内容をしっかりと理解できなかったのですが、絵島が幽閉された屋敷の満開の桜がチラチラと散るのを見て、我が身の不幸と重ね合わせて歎く場面は涙を催さずにはいられませんでした。
2007/1/16(火) 午前 8:41 [ kaz*_51** ]