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平成19年1月20日(土)昨日:8歳で行方不明の少女、19年ぶり密林で発見か。 カンボジア北東部ラタナキリ州の密林で先週、女性が発見されたが、言葉は話せない。地元警官のサル・ルーさんが「19年前、8歳で行方不明になった娘に違いない」と主張する。 1904年1月20日、片岡千恵蔵が生まれました。 ◇ 片岡千恵蔵(1904〜1983)の誕生日は? 1903年3月10日説、1903年3月30日説、1904年1月20日説とあり、どれが本当 なのか分からない。七つの顔を持つ男は七つの誕生日があるのかも知れない。 ◇ 多羅尾伴内シリーズ『七つの顔』(昭和22年製作) 当時、GHQからチャンバラを禁じられた千恵蔵が、仕方なく現代物に転身した不死身の名探偵・多羅尾伴内シリーズの第1作。剣をピストルに持ち替えて、多羅尾伴内が活躍する。映画の冒頭に「隣近所で力を合わせて祖国復興に励みましょう」といった字幕が現われ、敗戦直後の時代色が出ている。 苦肉の策として登場した多羅尾伴内だったが、その後、千恵蔵の当たり役として、全部で11本の映画が作られている。 千恵蔵の変装は、同時期に作られていた名探偵・金田一耕助でもお馴染みだが、もともとこの人は戦前の『赤西蠣太』などでも極端なメイクによる変装を見せている。さて『七つの顔』のストーリーとは。 劇場の火事騒ぎの中、ステージ上の歌手が何者かに誘拐され身に着けていたダイヤのネックレスが奪われるという事件が起きる。ネックレスの貸し主から責任を追及され、困り切った歌手のもとに突然現れたのが、多羅尾伴内と言う私立探偵だった。彼は得意の変装を駆使して、ありとあらゆる秘密を暴き出し、宝石盗難事件の裏にある巨大な陰謀を白日のもとにさらす。そして、何処ともなく去って行く … 。 映画のオープニングが華麗なレビューで始まるなど、戦後風俗の明るい面を全面的に押し出した演出。製作者側は楽しい娯楽作品を作ろうとしていただけだと思うが、千恵蔵の脱チャンバラという観点も含めて、日本の戦後復興が色濃く塗り込まれた映画だった。 ◇ 戦後の大スター・片岡千恵蔵 戦後は、東横映画を経て、東映の創立に参加し、市川右太衛門とともに重役兼トップスターとして活躍。当時、千恵蔵は京都の山の手に住んでいた事から「山の御大」と呼ばれ、右太衛門は北大路に住んでいたので「北大路の御大」と呼ばれたという。 占領政策により時代劇製作ができなかった時代には「多羅尾伴内シリーズ」や「金田一耕助」ものを当たり役とする現代ミステリ映画で切り抜け、新境地を開く。昭和30年代の東映時代劇では当たり役「遠山の金さん」「大菩薩峠」三部作などの代表作に出演。作品としては「血槍富士」が名作として名高い。日本映画黄金期の顔として活躍した。 昭和30年代後半以降の時代劇衰退期では、東映の重役として集団抗争劇などを模索、「十三人の刺客」に主演。その後、主役にこだわって映画から退いた市川右太衛門とは対照的に、東映任侠映画の脇役などもこなす。晩年はテレビシリーズの「大岡越前」(加藤剛主演)の父親役としても親しまれた。 80歳で他界した時は、東映への貢献により「東映葬」が執行されました。 ※ 「七つの顔」の決めセリフ、ある時は多羅尾伴内、ある時は…、って子供の頃、遊んだことを思い出す。その頃、片岡千恵蔵と言えば、「七つの顔」だった。そして、晩年のテレビドラマ「大岡越前」(加藤剛主演)の父親役は何とも良かった。
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こんにちは。 大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。 昭和33年のスターベストテンもとりあげています。 よかったら、寄ってみてください。 http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu2361
2007/5/13(日) 午後 6:52 [ kemukemu ]