|
1949年1月26日、法隆寺の金堂壁画が焼失しました。 昭和24年(1949)1月26日、壁画の模写中に不慮の火災により金堂柱部と共に壁画を焼損。 (飛天の壁画二十面は、切り取って別の所に保存されていたので、被害を免れました。) 焼損した壁画は樹脂で剥落をとめ、壁画のための収蔵庫をつくり、黒焦げた柱と共に焼けた ままの状態で保存されています。 模写作業をしていた画家が消し忘れた電気座布団が原因だと言われてきたが、事実か否か 判然とはしない。当時模写に当たっていた14人の画家達は、作業後に「電気座布団は確かに 消した」と証言していた。14人の画家達は、金堂焼失後さらに幾年もの歳月をかけ、非常な 努力をして、写真などから実物と全く違わないような作品を復元した。現在、金堂壁面には 昭和42年に模写した壁画のパネルがはめこまれています。 法隆寺金堂内には四方十二面の大小の壁に、釈迦、阿弥陀、弥勒、薬師の如来世界を表した 壁画、二十面の小壁に飛天を表した壁画が描かれていました。 毎年1月26日に、焼損した壁画が保存されている収蔵庫において「金堂壁画焼損自粛法要」 が営まれます。その後、法隆寺境内において、防火訓練などが行われます。 ○ 法隆寺 奈良県斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗総本山。法隆学問寺、斑鳩寺とも。南都七大寺の 一つ。起源は607年、聖徳太子が用明天皇の遺志を継ぎ、薬師三尊像を安置したのに始まる。 次いで太子の没後、王妃・王子らは釈迦三尊像(止利仏師作)を安置して冥福を祈った。 この二つは現在も金堂に安置されている。 日本書紀では、670年に全焼したと伝え、この記事をめぐり、1890年から現在の法隆寺西院 伽藍についての再建非再建論争が展開されたが、1939年の発掘調査とその後の解体修理により 若草伽藍跡が今の法隆寺の前身であることが決定的となった。 焼失後、朝廷から特別の保護を加えられ、奈良中期には完成したと考えられる。日本の初期 大乗仏教の中心的教学の寺院で、唯識・三論の道場であり、近年まで法相宗の大本山だった。 現在は西院と東院の二域に分かれ、西院は金堂と五重塔を東西に並べた法隆寺式の伽藍配置 をなし、世界最古の木造建築の遺構をもつ。東院は739年創建の夢殿と橘夫人の邸宅を寄進した 伝法堂が中心。 西院の中心となる金堂の内部には、4大壁に諸仏の浄土図、小壁に菩薩、飛天等を描いた 壁画があり、西域美術との交流を示唆する貴重な絵画資料であったが、1949年一部を残して 焼失。この火災は文化財保護法施行の要因となった。 法隆寺は飛鳥・白鳳美術の宝庫で、この壁画、前記の三尊像のほか、百済観音、四十八体仏 夢違観音、夢殿の救世観音等の彫刻や、玉虫厨子、橘夫人念持仏厨子、百万塔陀羅尼等著名な ものが多い。なお、1934年法隆寺国宝保存事業の開始とともに次々と根本的修理が行われ、 1954年の金堂の修理落成でほぼ終了。一連の組織的な修理工事により古建築の修理技術の進展 に貢献した。1993年世界文化遺産として登録された。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



