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1月27日、実朝忌(實朝忌) 源実朝=鎌倉幕府第3代将軍、歌人 1219年1月27日、鎌倉・鶴岡八幡宮で源実朝が、甥の公暁(くぎょう)により暗殺される。 これにより、源氏の正統は断絶する。 ○ 源実朝(1192〜1219) 源頼朝・政子の次男。追放された兄・源頼家の後を継ぎ、11歳で鎌倉幕府第3代将軍就任。 だが実朝が政治にかかわる余地は全くなかった。頼朝亡き後、鎌倉は権力闘争に明け暮れた。 実朝は政争を回避するため、歌に打ち込む。「金槐和歌集」は藤原定家に学んだこともあり 将軍の余技を遥かに超え、独自の歌風を確立した。しかし頼朝以来、朝廷からの自立をはかる 鎌倉幕府にとって、京風への憧れを強める実朝は看過できぬものであった。 ○ 北条時政(1138〜1215) 北条政子の父 初代執権 源頼朝が、摂津源氏の源頼政の知行国である伊豆に流された時、頼朝の監視役となる。娘の 政子が頼朝の妻となった縁から、1180年の頼朝の挙兵に同陣。その後は、頼朝配下の有力重臣 として活躍、1185年の伊勢平氏の平清盛一族の滅亡後、頼朝の命を受けて上洛、守護と地頭の 設置を認めさせるべく、朝廷との交渉に当たる。同年旧暦11月25日、京都守護となる。幕府が 創立されると重用され、頼朝の外戚として勢力をふるう。 1199年、頼朝が死ぬと北条氏の権力強化を図って、有力御家人であった梶原景時や源頼家の 外戚に当たる比企能員(ひきよしかず)らを大江広元・仁田忠常らと共に殺害。1200年旧暦1月 執権就任。 また、源頼家を将軍から廃したうえで、1204年に伊豆国修善寺で殺害して政敵を排除した。 そして頼家の後継者にその弟に当たる源実朝を擁して自身は自ら執権職に就いたのである。 ながめつつ思ふもかなし帰る雁 ゆくらんかたの夕ぐれの空 散りのこる岸の山吹春ふかみ この一枝をあはれといはなむ いにしへをしのぶとなしにふる里の 夕べの雨ににほふたちばな みる人もなくて散りにき時雨のみ ふりにし里に秋萩の花 ながれゆく木の葉のよどむえにしあれば 暮れての後も秋は久しき ちぶさ吸ふまだいとけなきみどりごと ともに泣きぬる年の暮かな 塔をくみ堂をつくるも人のなげき 懺悔にまさる功徳やはある ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄 ゆくへもなしといふもはかなし 神といひ仏といふも世の中の 人のこころのほかのものかは かくてのみありてはかなき世の中を 憂しとやいはむあはれとやいはむ いとほしや見るに涙もとどまらず 親もなき子の母をたづぬる |

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金塊和歌集は、実朝の人柄を表すような素直な歌が多いと思いますね。話は代わって、横浜の主人の実家に参りました時、鎌倉の名所旧跡を案内して貰いました。
2007/1/28(日) 午前 8:58 [ kaz*_51** ]
゛ちぶさ吸ふまだいとけなきみどりごと ともに泣きぬる年の暮れかな” これは実感として、いい歌だとおもいます。
2007/1/29(月) 午前 4:54 [ kaz*_51** ]