今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年2月7日(水)昨日:もの言えば、お叱りばかり、ヤナギサワ。

 柳沢厚労相発言要旨:家庭を営み、子どもを育てるということには、人生の喜びがあるんだという意識の面で、自己実現といった広い範囲で、若い人たちがとらえる事が必要だと思う。他方、ご当人の若い人たちは、結婚をしたい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけです。そういう若者の健全な希望に、我々がフィットした政策を出していくということが大事だと思っている。

 ※ この発言そのものには、何らの落ち度もない。あるものを健全と言えば、他のものを不健全と決めつけた事になるならば、大方の発言は封じ込められてしまうだろう。要するに「あんたにゃ、言われたかない!」って言うこと。言葉狩りで得るものはない。



 2月7日、【北方領土の日】

 北方領土返還運動を推進する目的で1981年(昭和56年)に閣議決定された記念日。
 1855年のこの日に国境を取り決めた日魯通好条約が調印されたことに由来する。

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 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日魯通好条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強になります。

 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。日魯通好条約により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875年(明治8)の樺太千島交換条約によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905年(明治38)の日露戦争の勝利で、「ポーツマス条約」により南樺太も日本領となった。

 第2次大戦の敗戦により、1951年(昭和26)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領、その状態が現在まで続いている。(日本は“不法占拠”と主張していた。)

 北方領土問題対策協会  http://www.hoppou.go.jp



 小泉内閣 メールマガジン 第175号より  「北方領土の日」 2005/02/10

 (日魯通好条約にまつわる、「日魯友情秘話」)

 この条約が結ばれる直前の1854年12月、日本は、安政の東海・南海
地震に見舞われました。和歌山県の浜口梧陵が稲むらに火をつけて村人を津
波から救った頃、津波は、伊豆半島にも押し寄せ、100人もの死者がでる
大きな被害を及ぼしました。

 このとき下田で、流された人々を救い、けが人の治療を申し出たロシア人
がいました。日本と通商条約を結ぶため交渉に来ていたロシア全権代表、プ
チャーチン提督です。この時の日本側の交渉担当者は川路聖謨(としあきら)

 大津波は、下田港に停泊していたプチャーチン提督の乗艦のディアナ号に
も被害を与えました。ディアナ号は修理のため西伊豆の戸田(へだ)に向か
う途中、悪天候のため沈没。乗員たちは、地元の人々に助けられ、プチャー
チン提督は、日本側が新たに建造した船で無事帰国したのです。ロシア政府
は、この幕府の対応に大変感謝したといいます。

 地震、津波の被害を受けながらも、両国は交渉を重ね、日魯通好条約を結
びました。これにより、日本とロシアの間に通商が開かれることになり、両
国の国境は択捉島とウルップ島の間と定められ、択捉島、国後島、色丹島及
び歯舞群島の北方四島が日本の領土として確定しました。

 * 編集部注:日魯通好条約の締結時、ロシアの名称は「魯西亜」と表記
していました。1875年の樺太千島交換条約以降「魯」は使用されず、「露」
または「ロ」の表記が使用されています。(引用、以上)


 ○ 1899年(明治32年)、北海道旧土人保護法が制定された。

 それは、アイヌに対する差別政策であり、開拓使や北海道庁の政策を容易ならしむものだった。アイヌに対しては、厳しい同化政策がとられました。アイヌの人たちは、次第に生活に困窮してゆく。保護の名の下に少数民族を迫害し、差別意識を植え付けた悪法。

 しかも、この悪法は戦後も生き抜き、廃止されたのは驚くべきことに平成9年のこと。言い換えれば、我々の差別意識は平成9年まで、延々と続いていたことになる。願わくば今日、差別意識の無からんことを。

 ※ 北海道旧土人保護法と米国のネイティブ・アメリカンに対するドーズ法との類似点が指摘される。旧土人と言い、西欧人の事実誤認に基づく「インディアン」という呼称も私たちの傲慢さを示す言葉だ。

 「言葉狩り」は無意味だが、我々は言葉を介して他者とのコミュニケーションを図る。その言葉が未熟であれば、そこからは未熟なコミュニケーションしか生まれないだろう。言葉に侮蔑が込められていれば、こころの通うコミュニケーションは生まれないだろう。ヨハネ曰く、「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、神は言葉なり」。

 DNA鑑定で、縄文人のものとアイヌのものとが、ほぼ等しいことが判明しています。

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●日魯通好条約
1855年(安政元年)、伊豆下田において「日魯通好条約」が調印されました。 この条約で初めて日ロ両国の国境は択捉島と得撫島の間に決められ、 択捉島から南は日本の領土とし、 得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領土として確認されたのです。 また、樺太は今までどおり国境を決めず、両国民の混住の地と定められました。

●樺太千島交換条約
1875年(明治8年)、日本は、樺太千島交換条約を結び、樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島を譲り受けました。 この条約では、日本に譲渡される千島列島の島名を一つ一つあげていますが、 列挙されている島は得撫島以北の18の島々であって、択捉島以南の北方四島は含まれていません。

●ポーツマス条約
1905年(明治38年)、日露戦争の結果、ポーツマス条約が締結され北緯50度以南の南樺太が日本の領土となりました。

2012/7/15(日) 午後 0:44 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]


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