|
平成19年2月19日(月)昨日:宇和島徳洲会病院・専門委の調査結果は「病腎移植、大半不適切」 患者側に、万波医師を支援する動きも。藁をも縋る?「いのち」は倫理を無視してはならない。 和田移植の弊害が、どれほど日本医療にダメージを与えたか。忘れてはならない事実がある。 2月19日は、「あさま山荘事件」が起きました。 1972年2月19日、連合赤軍のメンバー5人が河合楽器の保養所である軽井沢の浅間山荘に 人質をとって籠城。その後の人質救出作戦の一部始終が、テレビ中継された特異な事件。 あさま山荘事件とは、1972年2月19日に始まる軽井沢にある河合楽器の保養所「浅間山荘」 において連合赤軍が、管理人を人質に、10日間にわたり立て籠もった事件。 人質は浅間山荘の管理人の妻。連合赤軍のメンバーは5人。2月28日に、警察が浅間山荘に 強行突入して解決。人質は無事救出したが、警察官2人が殉職した。 作戦開始から7時間半後の午後5時半から放水によって犯人が篭る部屋の壁を破壊する作戦 が取られ、午後6時10分、第九機動隊隊長・大久保警視から一斉突入の命令が下り、数分後、 犯人全員を検挙した。 突入の様子は、テレビで生中継され、その日の総世帯視聴率は調査開始以来、最高の数値を 記録、人質救出の瞬間は民放、NHKを合わせて90%弱を記録したと言う。 人質の無事救出が至上命令となったが、犯人らは警察の要求を一切聞き入れず、かつ一切の 要求をしなかったため、人質女性の安否すら警察当局は把握できなかった。警察は人質の安否 確認と、犯人の割り出しのために偵察行為を繰り返したが、山荘が切り立った崖に建てられて おり、犯人側に地の利があり、しきりに発砲してくることなど、情報収集ははかどらず、事件 が長期化した。 テレビ中継により、国民の重大関心事となってしまった浅間山荘立て籠もり。この事件の 現場指揮を命ぜられたのが、警察庁警備局付警務局・監察官の佐々淳行(さっさあつゆき) だった。カミソリと言われた後藤田正晴警察庁長官の指名だった。 佐々は、人質の居場所を特定すると、地元建設業者の協力を得て、クレーンで鉄球を打ち 込む作戦を展開した。その模様は全国に中継された。こうして膠着状態を打開した後、突入 命令が下された。 彼は、1969年の東大安田講堂攻防戦でも、この作戦を提示したが、上司OBにより あえなく却下されている。「君は、あの伝統ある講堂を壊す気かっ!」と一喝された。 ○ モニュメント「難局打開の鉄球」 (新潟県上越市板倉区) (鉄球はそれぞれ、重さ約1トン、直径約70センチ) 光ヶ原高原で撮影が行われた映画「突入せよ!あさま山荘事件」で、もの言わぬ主役を つとめた鉄球が、ロケ現場の丘に設置されています。 佐々淳行の「連合赤軍あさま山荘事件(文春)」の映画化「突入せよ!あさま山荘事件」 の撮影が2001年11月から12月にかけて光ケ原高原で行われた。厳しい気象条件の中、主役の 役所広司、宇崎竜童らも体当たりの演技で、撮影は困難を極め、東映史上最も過酷な撮影 現場との声もあった。 「難局打開の鉄球」の命名者は、佐々淳行自身だった。佐々の碑文あり。 1986年に、第3次中曽根康弘内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長に就任。 1989年の昭和天皇大喪の礼を最後に、同年6月退官。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




はじめまして、「あさま」検索で来ました。TB、させてください。
2007/2/19(月) 午後 5:20
買ったばかりの小さなテレビで、はらはらどきどきしながら見てました。 連合赤軍について認識不足なんですが、浅間山荘事件も派手なわりには真意が伝わってきませんね。赤軍に女性幹部がいましたが、その後の消息をご存じですか。
2007/2/20(火) 午後 7:41 [ kaz*_51** ]
このページ私のブログから紹介させて頂きました。よろしくお願いします。
2007/9/14(金) 午後 6:15