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平成19年2月22日(木)昨日:黒川氏、石原都知事が立候補を辞退しない場合、都知事選に立候補。 1989年 佐賀・吉野ヶ里遺蹟で弥生時代後期の国内最大規模の環濠集落を発見。 紀元前3世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が 根付いた日本の文化の原点ともいえる時代。 弥生時代の遺跡の中で吉野ヶ里遺跡は佐賀県神埼郡の神埼町・三田川町・東脊振(せふり) 村の3町村にまたがる我が国最大の遺跡で、弥生時代における「クニ」の中心的集落の全貌や 弥生時代600年間の移り変わりを知ることができる。 魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国」を彷彿とさせるもので国の特別史跡にも指定される。 有柄銅剣やガラス製管玉等の出土品は、国の重要文化財に指定され、高い学術的価値を有す。 弥生時代前期(紀元前3〜前2世紀) 吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生した。やがて南側の一面には環壕をもった 集落が出現し、「ムラ」から「クニ」へと発展してゆく。 弥生時代中期(紀元前2〜紀元1世紀) 南の丘陵を一周する大きな外環壕が掘られます。首長を葬る墳丘墓やたくさんの甕棺墓地も 見られる。集落の発展とともに、その防御も厳重になっており、抗争が激しくなってきた事が うかがえる。 弥生時代後期(紀元1〜3世紀) 国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な 空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになる。特に北内郭では大型建物が登場 し、吉野ヶ里の最盛期にあたる。 ※ 学術的には、邪馬台国は九州説で「決まり」だそうだ。ただ、その見解を快く思わぬ 勢力が隠然として存在する。闊達なる議論を妨げる日本的風土が、学会に蔓延するとか。 ○ 従来の「邪馬台国=畿内大和説」が抱える矛盾点 邪馬台国論争は江戸の昔から続くものだが、明治43年に京都帝大教授・内藤虎次郎が 「卑弥呼考」(畿内大和説)を、東京帝大教授・白鳥庫吉が「倭女王卑弥呼考」(九州説)を 相次いで発表して以来、九州説と畿内大和説が対立して来た。 文献からは、おおむね九州説優勢で推移してきた。しかし近年、奈良・黒塚古墳からの 三角縁神獣鏡33面の出土などから、考古学的に畿内説が勢力を挽回するなど、迷走する。 邪馬台国畿内説で主張されてきた三大根拠とは、 (1)箸墓は卑弥呼の墓 (2)三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡 (3)1402年に、朝鮮で作成された混一彊理図(世界地図)(旅程の矛盾を辻褄合わせ) (1) 箸墓古墳は、「卑弥呼の墓」ではなかった。 奈良県桜井市の箸墓古墳は全長280メートルの初期の前方後円墳。「卑弥呼の墓」との 説もあるが、箸墓の周濠から木製の輪鐙(わあぶみ)が出土した。倭人伝によれば、卑弥呼 時代の日本に馬は存在しない。記紀の記録でも、日本での馬の使用は早くても4世紀後半。 畿内説の牙城とも言える橿原(かしはら)考古学研究所すら、最近では箸墓は卑弥呼の墓では ないと言っており、トーンダウンは否めない。 (2)三角縁神獣鏡は、「卑弥呼の鏡」ではなかった。 近畿地方を中心に全国から出土している三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡と言われ、長らく畿内 大和説の支柱をなしてきた。だが、三角縁神獣鏡は国内で既に500枚以上も出土している。 卑弥呼が魏王朝より賜った銅鏡百枚とは、数が合わない。しかも、三角縁鏡は日本以外から 全く出土しておらず、中国本土での出土も全くない。三角縁鏡は、卑弥呼の鏡だと主張して いた畿内派でも、最近は国産説を取る人が多くなっている。 (3)混一彊理図(混一彊理歴代国都之図<こんいちきょうりれきだいこくとのず>) 世界地図として、1402年に朝鮮で作図された混一彊理図では、日本列島を東西ではなく、 南北に配置している。このことから、古代中国では日本を朝鮮半島の南に南北に連なる列島 と誤認していたと主張。それゆえ、邪馬台国は畿内大和が妥当としてきた。 ところが最近、長崎県で別の混一彊理図が発見された。それには、日本列島は東西に配置 されていた。従来の混一彊理図は、地図のスペースの都合上、日本を南北に配置したのでは と推測するのが、昨今の状況。 1402年と言えば邪馬台国から千年以上も新しい。邪馬台国を、千年以上も後世の合成地図 を根拠に論ずること自体に、作為を感じざるを得ない。 (4)年輪年代測定法と言う“秘密兵器” 既に、畿内説の三大根拠は崩れた。しかし、畿内派はマスコミも巻き込んで畿内大和説を 吹聴してきた。ここで登場したのが、年輪年代測定法だった。光谷拓実氏が開発した手法で あるが、この測定法によると、従来通説より百年ぐらい古くなってしまう。また、光谷氏が データを独占しており、他の研究者が検証する事ができない。 しかも、年輪年代測定法は木材の伐採時期しか特定できず、古材の転用が多いと思われる 古代において、その価値が高いとは言えない。そもそも、古墳の周濠から発見された木片で 古墳そのものの築造時期を判断するのは問題だ、との指摘も。 白南風(しらはえ)を 集めて物見櫓かな 黛まどか ※ 白南風(しらはえ)=九州地方などで梅雨明けの頃に吹く南風。
また、8月頃の昼間に吹く南風のこと。 |

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